【星山麻木教授】 この瞬間そのものを豊かにする学びを

30年以上に渡り、特別支援教育の最前線で子供と向き合い続ける明星大学教育学部の星山麻木教授。「特別支援は教育の原点」と話し、その在り方を突き詰め続ける。星山教授の初任時代を振り返りつつ、学校、教育、教師の本質に迫るためのヒントをひもとく。(全3回の第1回)

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限られた時間を生きる子供たちとの出会い
――そもそも教育を志したきっかけは、どのようなものでしたか。
オンラインで取材に応じる星山教授

音楽教師に憧れたからです。当時は子供が好きという気持ちよりも、自分が好きな音楽を子供たちに教えたいという思いが強かったように思います。

ですから東京学芸大学教育学部で、音楽科を専攻しました。大学で学んだのはいわゆる定型発達の子供に対しての、音楽指導の手法です。ところが卒業後に初めて赴任したのが養護学校で、肢体不自由など重度の障害や進行性の病気の子供たちが多くいる学校でした。そこでの経験が第二の人生の始まりと言っても過言ではないほど、現在の私に大きな影響を与えています。

初めて担任したクラスの子供は、半分近くが交通事故の後遺症や脳性麻痺など運動の困難があり、車いすを使っていました。「先生」と呼ばれる立場で初めて出会ったのが、そんな環境にいる子供たちでした。そこからみるみるうちに、特別支援教育に魅かれていきました。

――どのような初任時代を送ったのですか。

それから先は、この場では語り尽くせないほどドラマでいっぱいの日々でした。

担任した子供の多くに、進行性の病気の子がいました。彼らと過ごす日々の中で教えてもらったことは、数え切れません。最初の生徒との別れは、高校2年生の夏休みの終わりでした。そうした生徒との別れが、次々と繰り返されました。突然の別れを経験するうちに、いつしか「教育とは何だろう」「教師には何ができるの」「生きるとはどういうことか」……と、思いを巡らせるようになっていきました。

そして、教育を語るときによく出てくる「受験のために」「社会に出たら困らないために」といった、子供に未来があることを前提にした言葉の数々に、違和感を抱き始めました。同時に、人生を終えるのが17歳かもしれない、21歳かもしれないという限られた時間を生きる子供たちにとって、この45分の授業で学ぶ意味を考えることがどれほど大切かという視点に変わっていきました。

先が読めない未来のために我慢したり、無理に頑張ったりするのではなく、この瞬間の出会いに感動し、面白さに気付き、今この瞬間そのものを豊かにできる学びを目指したいと思いました。

初任時に重い障害のある子供に出会わなかったら、特別支援教育について、ここまで突き詰めて考えなかったでしょうし、自分の中でもっと彼らのことを「学び続けたい」という、はっきりとした答えは出なかったように思います。もう会えない教え子たちもいるけれど、たくさんのことを教えてもらいました。

私一人ではどうにもできない
――当時は経験も浅かったでしょうし、子供たちと接することに戸惑いや迷いはありませんでしたか。
「自分の体験や思いを、子供を通して後世に伝えられる」と、教職の良さを語る

発達や運動に制限のある子供にどんな音楽の授業を届ければいいのか、誰も教えてくれないのですから試行錯誤の連続でした。教育学部の音楽科では「中学生や高校生にはこの曲を合唱させましょう」とは教えてくれますが、実際の現場で生徒のニーズに合わせてどうアレンジしていくかは、自分で考えなければいけません。

それ以上に困惑したのは、日々の学校生活で子供を介助することでした。介助の仕方は学生時代に習っていませんでしたし、ご飯を食べる、着替える、車いすに移動するなど、いろんな場面で戸惑いました。特に重い障害がある子供は、お昼ご飯を食べるのさえ時に命がけなのです。そんな緊張感のある現場で私を助けてくれたのは、保護者の皆さんや周りの教員でした。

不安になると、自然と人間は助け合うようにできているんですね。そのときにいくら頑張っても私一人ではどうにもできないのだと、いい意味で割り切って考えられるようになりました。

例えば、送り迎えのときに保護者の方と交わす「今日はどれくらい食べた」「発作がどうだった」など、ささいなことに思える情報交換が、子供の命を支えているのです。教師同士でも連携は欠かせません。医療チームと同様に、1人の生徒に対し教師4~5人がついていました。職員室や廊下ですれ違ったときなど、隙間時間を見つけては、情報共有をしていましたね。

初任時にそんな環境に置かれ、1人でやれることに限界があることを、身をもって体感しました。そして、同僚や保護者など周りに助けられたり、逆に助けたりしながら、一人一人の子供の命を守り、向き合うのが教育の原型そのものなのだと気付きました。

そのように私自身、周りと連携しながら子供を支えることが当たり前の環境にいたので、通常学級で教師1人が30人、40人の中で支援の必要な児童生徒を見る現状は、まったくもって無理だと感じています。

――たしかに特に通常学級ではチームで児童生徒を見る意識が薄かったり、圧倒的に環境が整っていなかったりと課題が山積していますね。

そうですね。私は初任から4年間勤務した後、特別支援教育を専門的に学びたくて大学院に入りました。その時に出会った先生方から、「特別支援教育は教育の原点だ」という言葉を何度も聞きました。現場を見ていた私は、その言葉に心から納得できました。

今は通常学級の先生方に専門性をお伝えする立場でもありますが、通常学級でも大人が連携しなければ成り立たないところは同じではないでしょうか。結局、教育というものはどれだけその子を大切に思っていたとしても、担任であれ、保護者であれ、一人ではできないものなのです。

教師の知見を後世に伝える
――特別支援は教育の原点。まさにその通りですね。

教育者には、大人が子供を教え指導する「上から下へ」の考え方がある気がしてなりません。でも、私の場合は教師として最初に出会った子供たちに、生きる意味や学ぶ意味を教えてもらいました。つまり教育とは教師の指導内容に左右されるものではなく、生きている人間そのものが学び合うことのように思えます。

これからの人生でこのメッセージを次の世代に伝えることが、私の使命です。これまで出会ってきた多くの子供たちには直接恩返しできませんが、彼らや彼らの命を支えてきたご家族が私に教えてくれた宝物を、今向き合っている若い先生や児童生徒にお返ししたいです。そうやって循環していくのが、教育という仕事の意味だと思います。

指導技術や指導内容は手段にすぎず、教師自身が人生で大切にしてきた体験や考え方を、子供たちを通して、後世に伝えることが教師の本当の役割なのではないでしょうか。

私は教育の仕事は、すてきなものだと思います。現在は教育学部の教授として、教員志望の学生たちや若手の先生に話をする機会も数多くあります。そのときは「教育の仕事は自分がもしいなくなっても、自分の大切にしてきた体験や考え方を、子供たちを通して後世につないでいってもらえる、大切な仕事だよね」と話すようにしています。

(板井海奈)

【プロフィール】

星山麻木(ほしやま・あさぎ) 明星大学教育学部教育学科教授。保健学博士。(一社)星と虹色なこどもたち設立。(一社)こども家族早期発達支援学会会長。日本音楽療法学会認定音楽療法士。クリエイティブ音楽ムーブメント研究会代表。映画『星の国から孫ふたり』監修。東京大学大学院医学系研究科国際保健学専攻(母子保健学)博士課程修了。行政や教育委員会と連携しながら、さまざまな地域の子育て支援、サポーター育成、早期発達支援、子育て支援ワークショップの開発、療育や特別支援教育の実践を行っている。著書に『星と虹色なこどもたち 「自分に合った学び方」「自分らしい生き方」を見つけよう』(学苑社)。https://hoshiyama-lab.com/


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