【星山麻木教授】 自分の多様性を受け入れ、教壇に立つ

特別支援教育に30年以上携わり、鳴門教育大学や明星大学などで教員の育成にも関わってきた星山麻木教授(明星大学教育学部)。全国の学校を巡り、多くの教員と対話をし続けている。学級経営や児童生徒との向き合い方に迷う教師に向けてのアドバイスとは――。(全3回の最終回)

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「教師」以前に「人間」として
――児童生徒の多様性を受け入れるために、どんなことが教師に必要でしょうか。

研修をしている中で、まず勧めるのは自分の中の多様性に気付くことです。今の学校現場は「こうあるべき」という教師像ありきになっていて、それぞれの先生が人間として本当の自分について語り合ったり、考えたり、発見したりする時間が確保されていません。そうしたことを丁寧にやっていくと、みんなそれぞれ違うということに改めて気付けます。

見よう見まねで他人と同じ行動はできても、本質的な自分は変えられませんし、それぞれ違うのが当たり前です。例えば、自分にどれだけ自閉スペクトラム症(ASD)傾向や注意欠如・多動症(ADHD)傾向にあるかを考えたことがある先生は、ほとんどいないでしょう。でも考えてみると、誰にでも少しは傾向があるんです。多様性がある教室をつくるには、まず教師自身が自分のことを受け入れられるといいですね。

私は全国の学校に足を運んで、授業を見学させてもらったり、先生方の相談に乗ったりしていますが、苦しそうな先生ほど、自分の中にある多様性を受け入れられていないと感じます。よくクラスの問題として苦悩を語られますが、見ていると実はそうじゃなかったりする。その先生自身の中に解決できていない問題があり、それに気付けていないんじゃないかなと思うことがよくあります。

先生が「こうしなきゃいけない」という思い込みの中で、本当の自分ではない姿を一生懸命演じ、それを見た子供たちがストレスを感じてしまう。そしてうまくいかないことがあると、「子供が悪い」もしくは「自分が悪い」と否定に走る。でも本当は誰のせいでもなくて、たまたま自分の中に眠っていた正義が思い通りにならない傷つきが表面化しただけなのです。

例えば、子供がちょっとした約束を破っていら立ちを感じたとき、「なぜできないのか」「みんなと同じようにしなければ」と子供の問題に置き換えてしまうことはないでしょうか。でも、先生が「できない理由もさまざまなんだ」と多様性を受け入れられていれば、「いろいろな子供がいていいんだな」と子供の特性を尊重できるようになるのです。

――教師が変わると、児童生徒にも影響がありそうですね。

オンラインでインタビューに応じる星山教授

はい、不思議なことに子供たちも先生の姿を見て、子供同士でお互いを受け入れられるようになります。「〇〇君は、私と違うからこそお互い必要としている」と、気付けるようになるんです。

相手の良いところを認めつつ、何かに困っているときは自分の得意で助ける。その逆も然りです。こうやって子供たち同士が相互理解しながら、自分の良さを認めてもらい、苦手なものは安心して開示できる環境を整えていかなければなりません。例えば実際の授業で「ネガティブフルーツバスケット」というゲームを取り入れ、自分の苦手や相手の苦手を理解し合える授業をしている先生もいます。「黒板の字を写すとき、いつも時間が足りなくて、本当はいつもドキドキしている」と誰かが言うと、「僕も、私も」と共感する子が出てきます。

学級経営の中で、教師は良い子であるための思考や行動を子供たちに促すことが多く、できないことや困っていることを表現する機会はほとんどありません。でも、一見マイナスに見えるようなことの共有は、共感や理解が生まれやすいのです。

自分の特性を理解して教壇に立つ
――苦手なことを安心して開示できる環境は、大切ですよね。

実は、私たち大人も同じです。例えば忘れ物。忘れ物が多い子供にどんな指導をすればいいかと、先生たちはよく他人事のように話していますが、先生自身はどうでしょうか。そのため、教員研修では「鍵を探している先生は、いつも探していませんか?一方で探していない先生は、いつも探していませんよね。どこに違いがあるのでしょう」と、話し合ってもらうことがあります。

同じ内容を子供同士で話し合いしたところ、「私はこんな工夫をしているよ」と、多種多様なアイデアが大人よりもたくさん出てきました。多くの学校では「できないこと」に着目して責めたり、叱ったりを繰り返してしまいますが、子供たちはできるようになるためのやり方を知りたいのです。

学校という場で学ぶ意味の一つは、子供たちがお互いの違いを認め合い、尊重、尊敬し合えるところだと思います。学校は大人の考える「効率の良さ」を求める場所ではないはずです。児童生徒がみんな真っ白で、同じ考え方をする子ばかりだったら、教師も教えやすいかもしれません。でも、それでは人間として面白くないし、学校が存在する意味がなくなってしまいます。

とはいえ、考え方を変えるためには時間が必要です。そもそも私たちの中には、いろいろな自分が住んでいます。そのカラフルな自分を正直に表現しているのが、目の前にいる子供たちです。それに気付けると、学級経営も授業づくりも、これまでより一歩先に進められるのではないでしょうか。

――学級経営や児童生徒との関わり方などに悩んでいる教師に、どのようなアドバイスを送りますか。

「自分をどういう人だと思う?」と問い掛けて一緒に考えてみると、解決のヒントがたくさんあります。例えば、自分のASD特性に気付けていない先生がいます。きちんと整理整頓していないと気持ち悪いとか、一つのことに集中すると周りが見えなくなってしまうとか、自分が抱えている特性に気が付かないまま教壇に立っている人は少なくありません。自分の特性について理解できていないと、違うタイプの児童生徒の言動に傷ついたり、保護者とのトラブルがこじれたりと、対人関係に問題を抱えがちです。

特に最近多いのは、保護者との関係についての相談です。実は、今の保護者世代も先生たちと同様に、自己理解がほとんどできていないと感じます。そのため、先生を責めたり、他の保護者のせいにしたりするなど、他者を攻撃することで解決しようとするケースはよく耳にします。

何か問題が発生したときは、先生であれ、保護者であれ、人のせいにしないことが大切です。私は「関係性、コミュニケーションのすれ違い」と捉えるようにしていて、コミュニケーション手段を変えると改善すると信じています。みんな自分の特性から主体的に考えているわけですし、自分の立場から物事を見ているので、自分と違う他人を許せなくなるのでしょう。忘れっぽい人がいるのも、おっちょこちょいな人がいるのも、脳の機能の特性が違うからです。お互いに理解できていると、歩み寄れます。

学校は五感をぶつけ合える場所
――最後に、学校とはどのような場所だと捉えていますか。

学校に行けなくなった子供たちともたくさん出会ってきたので、その問いについてはよく自問自答します。

私が考えるに、学校は人と人が触れ合える場所。自分とは違う価値観や考え方、生き方そのものを学び取る体験ができる場所だと思います。

だから学校に行けない状態は、ちょっともったいないとも思います。それは将来の心配というよりも、他者との出会いから生まれる学びを得る機会が減ってしまうからです。教科学習のように、ただ問題を解くだけであれば、オンラインでも一人でも可能です。でも生身の人間は映像や音声だけでは分からないし、五感をぶつけ合ったり、磨き合ったりしながら関わり合っていく必要があります。

これからの学校は、学年や学校種別に関係なく、多様な人と出会えて、教え合えて、得意なものを見せ合えて、苦手なことを助け合えるような、人間同士の関わり合いの楽しさを学んでいく場所になっていけばいいなと思います。そうした営みこそが、子供たちの生きる力につながるはずです。

学校に行くと元気がなくなってしまう子供が多い現状を見ると、「学校とは何か」を問い直す大きな変換点に来ていると思います。子供が学校に行くたびにエネルギーを奪われるのは不思議なことです。教室に入るたびに元気になってほしいし、学校へ行くことが楽しみであってほしい。そうするためには、子供たちが学校という場で、自分の知らなかった自分の良さを誰かに発見してもらったり、自分の役割が分かったりする経験を積み重ねていくことが必要だと思います。

こんな時代だからこそ、学校の本質的な意味を改めて問い直し、確認し合っていかなければならないと感じます。

(板井海奈)

【プロフィール】

星山麻木(ほしやま・あさぎ) 明星大学教育学部教育学科教授。保健学博士。(一社)星と虹色なこどもたち設立。(一社)こども家族早期発達支援学会会長。日本音楽療法学会認定音楽療法士。クリエイティブ音楽ムーブメント研究会代表。映画『星の国から孫ふたり』監修。東京大学大学院医学系研究科国際保健学専攻(母子保健学)博士課程修了。行政や教育委員会と連携しながら、さまざまな地域の子育て支援、サポーター育成、早期発達支援、子育て支援ワークショップの開発、療育や特別支援教育の実践を行っている。著書に『星と虹色なこどもたち 「自分に合った学び方」「自分らしい生き方」を見つけよう』(学苑社)。https://hoshiyama-lab.com/


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