【コロナと教育・英国編】学校給食を届け続けた副校長

新型コロナウイルス変異株の大流行で、3回目のロックダウン(都市封鎖)中の英国。ロンドンに居住する国際ジャーナリストの木村正人氏が、現地の教員や子供たちの姿を伝える。(全3回の最終回)

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港町グリムズビーの「ヒーロー先生」
ロックダウン中、子供たちに無償の学校給食を届けているゼイン・パウルズ副校長(パウルズ副校長提供)

雨にも負けず、風にも負けず、厳しい寒さの中、英イングランド東海岸沿いの港町グリムズビーのウエスト・プライマリー・スクール(西小学校)のゼイン・パウルズ副校長は、いつものようにショートパンツにトレーナー姿で、重さ35キログラムもあるリュックサックや荷物を担いで学校を出発した。

リュックサックの中には、自宅でオンライン授業を受けられない子供たちへのパソコンや本、約130人分の給食がぎっしり詰まっている。パウルズ副校長はロックダウンになってから午前7時半には学校に到着、同9時半から午後1時半までの約4時間、ひざの痛みをこらえながら12キロメートルを歩く。

「うちの学校の児童数は約310人、このうち140人近くが何らかの福祉手当を受けている家庭の子供たちで、無償の学校給食の対象だ。シングルペアレントや、子供が3人も4人もいる家庭もあり、都市封鎖中、無償給食がなければ子供たちはひもじい思いをする。子供たちに変わりがないか、家庭訪問も兼ねて無償給食を配り始めた」

昨年春の1回目の都市封鎖では、計885キロメートルを歩いて7500食分の無償給食を子供たちに届け、エリザベス英女王から大英帝国勲章のMBEを贈られた。パウルズ副校長は3人の子供の父親。教師になる前は英陸軍に勤務しており、休日にはマウンテンバイクを楽しむスポーツマンだ。いつしか周りから「ヒーロー先生」と呼ばれるようになった。

昨年8月にはエジンバラ、ダブリン、カーディフ、ベルファスト、ロンドンの城を巡る2414キロメートルの慈善サイクリングを敢行し、休暇中の恵まれない子供たちに無料の食事やレクリエーションの機会を提供するため、5千ポンド(約70万円)以上を集めた。「自宅にいる子供たちにきちんとした食事を与えるのは、とても大切なことだ」と言う。

ハムロール、人参スティック5~6本、果物、小さなクッキーといった無償給食の定番メニューに、パウルズ副校長は「前日の夜か当日の早朝にスーパーマーケットに行って、ヨーグルトや果物などを買い足している」。スーパーマーケットの方が学校給食会社より安く、栄養のある食品が手に入るからだ。

ある学校給食会社が10日分で30ポンド(約4200円)の価値があると宣伝した無償給食について、ある母親がスーパーマーケットで買い物をしたところ、5ポンド(約710円)だったと反論して波紋を広げた。学校給食会社側はすぐに「実際は5日分で10.5ポンド(約1490円)だった」と訂正に追い込まれた。

「無償給食の定番メニューでは子供たちに十分ではない」

無償給食の予算は児童1人当たり1日2.34ポンド(約330円)。都市封鎖中は5日間で3.5ポンド(約450円)が追加されるため、合計15.2ポンド(約2150円)となる。パウルズ副校長は「無償給食の定番メニューでは子供たちには十分ではない」と打ち明ける。

欧州連合(EU)加盟後、EUの共通漁業政策で漁獲量が制限され、水産加工業が衰退したグリムズビーでは、およそ子供の3人に1人が貧困にあえいでいる。ひどい地区では貧困に苦しむ子供は半数近くに達する。グリムズビーこそ、ボリス・ジョンソン英首相がEU離脱によって救済すると約束した典型的な地域なのだ。

しかし「子供たちを学校に送り出して下さい」と呼びかけたばかりのジョンソン首相が、翌日には突如として都市封鎖と学校閉鎖を宣言したことで、準備していた1週間分1500万食の給食が廃棄され、無駄になった。これが無償給食に回されていたら一体、何人の子供たちの空腹が満たされていたことか。

英廃棄物収集会社ビジネス・ウエイストの広報責任者マーク・ホール氏は吐き捨てるように言った。

「これは国家的災害だ。政府は学校を完全に失望させた。冷蔵庫に入れられていた学校給食はゴミ箱行きになった。突然の方針転換によって引き起こされた食品廃棄物は、驚くべき量にのぼる。事前に準備する時間があれば、フードバンクなど他の場所に回すことができていた」

マンU・ラシュフォード選手の無償給食キャンペーン

サッカーの英イングランド・プレミアリーグで首位を争うマンチェスター・ユナイテッドのFWマーカス・ラシュフォード選手(23)は昨年6月、夏休みの間、無償の学校給食の停止を決めたジョンソン首相に撤回を求めた。イングランドだけでも130万人の子供に無償の学校給食が提供されている。

下院議員にあてた公開書簡で、ラシュフォード選手は「私の母は十分な夕食をとれるよう最低賃金でフルタイム働いたが、それだけではとても足りなかった。母がどれほど懸命に働いたとしても、私のような家族が成功するための仕組みはなかった」と訴えた。

「政党の違いを超え、子供が空腹にならないようにするということに全員が同意できないか」というラシュフォード選手の訴えに、ジョンソン首相は夏休みの間も無償の学校給食を続けることを決め、1億2千万ポンド(約170億円)の特別予算をつけた。

慈善団体と協力して300万食を用意するため、2千万ポンド(約28億3千万円)相当の寄付を集めたラシュフォード選手も、パウルズ副校長と同じようにMBEを贈られ、「英国の子供が誰1人としてベッドの中でお腹を空かすことがないよう、みんなで力を合わせよう」と呼びかけた。

ラシュフォード選手と話し合ったというパウルズ副校長は「彼の功績は大きい。福祉手当を受けている家庭の子供には、自動的に無償の学校給食が提供されなければならない。そうした子供たちには、長期休暇の間も食事が与えられるようにすべきだ」と話した。

ナイフやフォークの使い方を忘れてしまった幼児も

都市封鎖中に親と子供が接する時間が増え、家族の一体感が育まれた微笑ましい例もあった。しかし問題を抱える家庭では子供たちの退行現象がみられた。

英教育監査局(Ofsted)が昨年秋に学校訪問をしたところ、春の都市封鎖で幼児グループが最も影響を受け、トイレトレーニングを受けたのにオムツに戻ったり、ナイフやフォークの使い方を忘れてしまったりする幼児が観察された。読書をする集中力を失った年長児童もいた。

コロナ危機で学校封鎖が長引けば、子供たちの教育格差が一段と広がる恐れがある。英教育シンクタンク、国家教育研究財団のジュリア・トンプソン氏は筆者にこう解説した。

「恵まれない子供たちはオンライン授業にあまり参加しない傾向がみられた。理由の一つはオンライン授業に必要なテクノロジーの、パソコンや良好なインターネット環境などへのアクセスが少ないことだ」

「一部の学校は感染を防止する安全な環境を整える追加費用に苦しんでおり、遅れをとっている子供たちを支援するために、さらに多くの資金を利用できるようにする必要がある」

イングランド南東部バークシャー州の小学校で副担任を務める外山紀子さんは、日英の違いを比較してこう語る。

「学校閉鎖は2月中旬ではなく、3月いっぱい続くかもしれない。コロナ危機で子供たちのメンタルヘルスにも大きな影響が出ている。日本の場合、カリキュラムから遅れてしまうと現場の教師の焦りが大きくなる。しかし精神的にこの危機を乗り越えることができれば、学力の遅れはいつか取り戻せるはず」

コロナ危機で真に求められているのはハイテクを駆使したオンライン授業よりも、もっと人間的なパウルズ副校長のような子供たちへの愛情ではないのだろうか。

【プロフィール】

木村正人(きむら・まさと) 在ロンドン国際ジャーナリスト(元産経新聞ロンドン支局長)。憲法改正(元慶應義塾大学法科大学院非常勤講師)や国際政治、安全保障、欧州経済に詳しい。産経新聞大阪社会部・神戸支局で16年間、事件記者をした後、政治部・外信部のデスクも経験。2002~03年、米コロンビア大学東アジア研究所客員研究員。著書に『EU崩壊』『見えない世界戦争「サイバー戦」最新報告』(いずれも新潮新書)


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