木村泰子氏×宮口幸治氏 「非認知能力こそ大切」に違和感

特別支援教育の充実は課題として指摘され続けているが、いまだに、サポートを必要としているにもかかわらず、支援の輪から外れ「厄介な子」「問題児」として取り残されている子供がいるのも事実だ。

教育新聞では1月10日、大阪市立大空小学校初代校長の木村泰子氏と、『ケーキの切れない非行少年たち』の著者である立命館大学の宮口幸治教授をゲストに迎え、読者限定のオンライン対談を開催した。立場の違う二人が、支援を必要とする児童生徒に学校教育がどう関わっていくべきかについて議論を深めた。第1回は特別支援教育の在り方や、学校現場で近年、注目を浴びる「非認知能力」について触れる。全3回。

(司会・教育新聞記者 板井海奈)

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毎日笑っていますか?
――まずは視聴者の方にごあいさつをお願いします。

木村泰子氏

木村 どうですか、皆さん。笑っていますか? 先生も、保護者の皆さんも、毎日笑っていますか? 一斉休校が明けて学校が始まって、児童生徒が戻ってきました。子供たちは今まさに「また学校お休みになる?」「コロナがうつったらどうする?」と、不安の真っただ中にいるのではないでしょうか。子供は大人の良いところも、悪いところも、シャワーのように全身で浴びています。憎まれ口もたたくし、全然気にしていないという表情をするけれど、大人が笑えなくなって困っていると、ますます本心を見せてくれなくなります。これは、大空小学校の子供たちから教わったことです。

今はすごく大変なときです。「大変」は「大きく変わる」と書きます。大空小学校でも最初の頃は「大変、大変」と毎日言っていました。でも大変なことが起こっても最後の最後で、「ラッキー」「楽しいやんか」と思える自分たちになれました。だから「大変」「想定外」と聞いたら、「よし、変われるチャンスや!」と思います。チャンスが来たと思えば、大変なときでも笑えます。私たち大人の笑っている顔は、子供たちを安心させる力があります。

今回、宮口先生と初めて対談させていただきます。私は学校現場しか知りません。世の中には、発達障害や貧困などで、困っている子がたくさんいます。学校現場で困っている子供に学ばせてもらった私と、児童精神科のドクターとして困っている子供と関わり、外から学校現場を見てこられた宮口先生。誤解を招く表現かもしれませんが、宮口先生は学校から「排除」された子供たちに関わってこられたと思います。今日は学ばせてもらえると思って、この時間をワクワク、楽しみにしていました。

病院に来られる子供は、ほんの一部

宮口 ありがとうございます。まず私のプロフィールを簡単に紹介させてください。兵庫県出身で大学卒業後、建築関係の企業に5年間勤めました。そこで感じることがあり30歳のときに医学部に入り直して、37歳で医師になりました。その後は児童精神科医として、大学病院や大阪府立の精神医療センターに勤務してきました。

多くの人が「病院に行けば何とかしてもらえる」「支援が必要な子供にとって病院は最後のとりで」と思っているかもしれません。しかし、私が病院に勤務して感じたのは、どうにも救えない子供たちがいるという現実でした。病院に来られる子供はほんの一部ですし、医師が診るときにはどうしようもないほどに傷つき、手遅れになっているケースが往々にしてあります。

危機感を覚え、病院に来られない子供たちがどうなっているのか調べたところ、その一部が医療少年院に行っていることも分かりました。われわれ教育者が、子供たちに最も行ってほしくない場所の一つです。そこで「これはなんとかしなければいけない」と思い立ち、医療少年院や女子少年院に勤務し始めました。

すると、それまで少年院で使われていた矯正プログラムはとても古くて、少年たちの社会復帰に向けてあまり活用できない実態が見えてきました。例えば、発達障害や知的障害の少年たちに対応できていないのです。そこで新たに矯正プログラムを作って、彼らの教育や治療を続けてきました。

そこで生まれたプログラムが『コグトレ』というもので、今では学校関係者にも幅広く使っていただいています。社会面、学習面、身体面、全ての子供にとって必要な3つの支援を包括的に育むものです。4月には学会も立ち上がり、近ごろはこちらの活動にも注力しています。

2016年から立命館大学で教壇に立っていますが、医療少年院での活動も続けています。

体育の特別支援教育が現場でできているか?
――立場が違うお二人ですが、支援が必要な子供とそれを取り巻く学校教育の実情について、どのように見ていらっしゃいますか。

宮口幸治教授

宮口 困っている子供たちをどう支援するべきかという切り口で言えば、大きく方向性を間違えないために、その子がどの段階でどう困っているのかを大人がしっかりアセスメントする必要があります。まったく違う方向に見立ててしまうと見当違いの支援になって、教師も子供も不幸になります。それをしっかり見立てる力を先生方にはつけていただきたいなと思います。

例えば、漢字や計算ができない子供がいるとします。その根底には何があるのでしょうか。少年院にいたころは漢字が苦手な子には漢字を、計算ができない子には計算をひたすらやらせていました。それでもあまり成果は出ず、ある時、少年たちに簡単な図形を模写させてみました。すると、多くの子が描けなかったのです。他にも、複数の☆を5個ずつ囲むといった作業すらできない子も少なからずいました。

つまり彼らには漢字や計算などいわゆる教科学習以前の、「見る力」や「聞く力」などの基本的な認知機能に支援の必要性があったのです。それらの弱さは社会面にも影響します。そういった子供たちは少年院だけではなく、至るところにいます。学校の先生がそれに気付けず指導が空回りしてしまうケースは、よく相談として寄せられます。

私は子供の支援は、社会面、学習面、身体面の3つから成り立っていると考えます。現状の学校では、それら認知知能に基づいた支援が十分にできている状況にありません。だから、そのはざまで苦しむ子供が生まれるのです。

例えば身体面の支援。体育の授業に、系統だった特別支援教育はあるでしょうか。身体が不器用な子供に対して、学校でどのような教育をしているでしょうか。社会面の支援についても、例えば、よくかんしゃくを起こす子供がいる場合、他人の気持ちが分からないのか、自分の気持ちがコントロールできないのかで支援の方法は変わってきます。その子がどこでつまずいているのかポイントを見極めて、アセスメントをしっかり見立てる力を学校の先生がどのようにつけていらっしゃるのか気になります。

木村 今、宮口先生が「体育の特別支援教育はあるのか」とおっしゃった途端、「私の聞きたい言葉が聞けた」と思いました。実は私の専門は体育なんです。今まで特別支援教育を専門にやっている方をはじめ、さまざまな教育関係者と対話してきましたが「体育の特別支援教育が現場でできているのか」と言われたのは初めてです。今の学校教育の急所を突いた言葉だと思いませんか。

体育の授業中に走るのがしんどい子に対して、「この子が速く走れなくても、どうすれば走ることに恐怖を感じず、逃げずに、楽しく取り組めるか」という合理的配慮を、私たちはどれだけできているでしょうか。

今の特別支援教育は、算数と国語をベースに進められています。算数と国語ができずに低学力と見なした子供を、特別な教室に追いやっています。ここ数年で特別支援学級の数は急激に増えており、いくら設置しても追い付かない状況です。果たして低学力と見なされ、特別な教室に追いやられた子供たちは、本当に特別支援教育が必要なのでしょうか。

私はこれまで、地域の学校で学ぶべきニーズの子供たちが、居場所をなくして特別支援学校に追いやられる事例をいっぱい見てきました。

学校で「認知」の解釈がぶれている
――宮口教授が指摘される「認知能力」に関して、学校現場では理解がまだ十分に広まっていないような印象があります。

木村 宮口先生が先ほど、「計算どころか数合わせもできない」「他人の気持ちどころか、自分の気持ちすら自分で把握できていない」といった子供の話を紹介されましたが、こういった力を含めて「認知」と捉えればいいのでしょうか。

というのも、この「認知」の解釈を巡って、学校現場がぶれているのではないかと思うのです。だから「認知能力」「非認知能力」という言葉を、多用しなければいけなくなっている。でも、言葉が独り歩きすると、教師それぞれが自分のやりやすい方に解釈して使ってしまう恐れがあります。結果、認知能力や非認知能力を付けることが目的と化し、子供はそのための道具という状態も生まれかねません。

「認知」という言葉を教師として使う以上、スマホで調べた言葉の意味ではなく、目の前の子供たちの事実を反映させた概念として使っていかなければならないと感じます。

宮口 確かに、「認知=IQ」と誤解される方は、学校現場に限らず多いように思います。そもそも専門家の中でも、認知の定義そのものがあやふやなのです。概念は欧米から入ってきたのですが、国や地域によってその定義は違います。

日本ではどのような使い方をされているのか、私も疑問に感じています。実は、「非認知能力」という言葉自体が存在するのかという意見もあります。英語では「non-cognitive」と言いますが、「non」を単純に「非」と訳してよいのかということです。「非認知能力」があるとすれば、第六感とか予感のようなものと個人的には解釈しています。ですから、教育現場で「非認知能力」という言葉が多用されている現状には、正直ピンときません。

例えば、他人の気持ちを知るためには相手の表情をしっかり見て、観察する必要があります。これは視覚認知です。相手が何を考えているのだろうと考えるのは想像力で、つまりこれも認知能力です。つまり対人関係において、ほぼ全てのことに認知能力が必要なのです。これは学習面でも同じで、集中力や注意力がなければ取り組めません。生活をする上での全ての行動に、認知能力は関わっているのです。

ですが近年、認知能力の価値が大きく誤解されていると思います。「非認知能力こそ大切」という書籍を目にするたびに、著者はどういう意味で主張しているのだろうと違和感を抱いてしまいます。

木村 ありがとうございます。聞いている皆さんもすっきりしないかもしれませんが、実は正解なんてないのかもしれません。正解を教えてもらうよりも、次に「認知能力」「非認知能力」と耳にした時に、一人一人の先生が「この言葉はどんなふうに使われて、目の前の子供の事実はどうなのだろうか」という思考につなげていくことが大切なのではないでしょうか。「正解なんてない」という視点を持てるようになるだけで、こうやって皆さんと出会えてよかったなと思えます。

【プロフィール】

木村泰子(きむら・やすこ)大きな反響を呼んだドキュメンタリー映画『みんなの学校』で知られる、大阪市立大空小学校の初代校長。同校では「全ての子供の学習権を保障する」という理念の下、教職員や地域の人たちと共に、障害の有無にかかわらず、全ての子供がいつも一緒に学んでいる。退職後は、全国で講演活動などを行う。著書に『「みんなの学校」が教えてくれたこと』『「みんなの学校」をつくるために』(ともに小学館)など。

宮口幸治(みやぐち・こうじ)立命館大学教授。一般社団法人日本COG-TR学会代表理事。医学博士、日本精神神経学会専門医、子どものこころ専門医、臨床心理士、公認心理師。京都大学工学部卒業、建設コンサルタント会社勤務の後、神戸大学医学部医学科卒業。大阪府立精神医療センターなどを勤務の後、法務省宮川医療少年院、交野女子学院医務課長を経て、2016年より現職。児童精神科医として、困っている子供たちの支援を多職種協働で行う「日本COG-TR学会」を主宰し、全国で教員等向けに研修を行っている。著書に『コグトレ みる・きく・想像するための認知機能強化トレーニング』(三輪書店)、『ケーキの切れない非行少年たち』(新潮社)など。

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