【藤原さと氏】「探究」の定義とは?

そもそも「探究」とは何なのか――。探究的な学びに積極的に取り組む教師が、改めて問い直したいことではないだろうか。教師が学び手となって探究を学ぶプロジェクト研修「Learning Creator’s Lab(以降LCL)」を主宰する藤原さと氏に、探究の定義やレベルについて聞いた。(全3回の第2回)

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学校の中で「探究的な学び」の割合が小さすぎる
――そもそも、何をもって「探究的な学び」と言えるのでしょうか。

「探究的な学び」については、多くの先人がさまざまな形で定義をしていますが、その内容は必ずしも一致していません。その中で私が特に優れていると思ったのは、さまざまな定義を包含しつつも、探究と探究でないものを明確に分かつ米国の哲学者ジョン・デューイによる定義です。

デューイは著書『論理学』の中で、探究のプロセスを「不確定的状況」から「確定的状況」に移行し、そのサイクルを回転させることだと定義しています。

この「不確定的状況」というのは、必ずしも「問い」である必要はないと、私は思っています。何らかの「仮説」や「モヤモヤ」だったり、「何かしたい」という気持ちからスタートしてもいいのです。

「学び」にはさまざまな形があって、知識やスキルを得るような「講義型の学び」もあれば、自分から学びを構成していく「探究的な学び」もあり、そのどちらも必要です。しかし、現状は学校の授業の中で「探究的な学び」の割合が小さすぎると思います。

世界的な情勢から考えても、子供たちが自分で問いを立てたり、やってみたいと思ったことから何かをつくり出したりするような学びが、学校の中で増えていった方がいいことは明らかです。

――「探究的な学び」に対して懐疑的な人は減りましたし、積極的に取り組もうとしている教師も増えています。一方で、自分の実践が「探究的な学び」と言えるのか、自信が持てない人もいるようです。
論考「The Many Levels of inquiry」より、探究の4つのレベル(藤原氏提供)

論考「The Many Levels of inquiry」によると、探究には1から4までレベルがあるとされています。

レベル1は「確認としての探究」で、これは「問い」も「プロセス」も先生によって設定されていて、アウトプットである「結論」もおおむね決まっているようなものを指します。例えば、理科の実験で仮説も実験方法もすでに教科書に載っていて、示された手順を追っていくようなイメージです。

レベル2は「構成された探究」です。これは「問い」や「学びの概念」があらかじめ設定されていて、「プロセス」も先生がデザインしています。なるべく子供たちが探究のサイクルを回せるように、先生はサポートしていきながら、「結論」は子供たちが生み出すようなイメージです。

レベル3は「ガイドされた探究」です。これはある程度、探究の軸や領域は決めておくけれども、そのプロセスやアウトプットは決められていません。常に子供たちの様子を見ながら次の活動を考えていくなど、よりダイナミックな探究活動で、例えばレッジョ・エミリア教育がこれに当たります。

レベル4は「オープンな探究」です。子供が興味を持った内容について自ら「問い」や「仮説」を立て、活動内容を設計しながら学びを深めていきます。

「このプロジェクト中に変容させたい」を手放す
――レベルが高い方が、より良い探究だと言えるのでしょうか。
大切なのは臨機応変に学びをカスタマイズすること

レベルが上がるごとに、より「非構成」な探究になっていくわけですが、必ずしも探究レベルが高いほど優れているということではありません。

国際バカロレアや、私がこれまで見学してきた多くの海外のPBL実践校では、大方が「構成された探究」でした。特にある程度、時間が限られている中で、学習指導要領に定められた目標や内容に従って教科として探究的な学びを進める場合、「構成された探究」がやりやすいとは思います。

LCLでも今後、学習指導要領からプロジェクトをつくるラボ型の講座をやりたいと考えています。例えば、これまで歴史の授業では、起きた出来事を時系列で学んできました。それを例えば「争い」に焦点を当てて、全体の構成を組み替え、可能であれば他教科と融合してみるといったような学びの組み立てを支援できないか、構想しています。

「構成された探究」であっても、子供たちは自ら問いを立て、学んでいきます。大切なことは、どの型で取り組んでいるかではなく、目の前の子供たちの様子や、置かれている状況に合わせて、臨機応変に学びをカスタマイズしていくことだと思います。

例えば、LCLの3期生である東京都小金井市立前原小学校の蓑手章吾先生は、コロナ禍の一斉休校中、「オンライン自習室」を開設して、子供たちの「好き」を軸とした「オープンな探究」に取り組みました。そこでは、ある漫画の絵を極めていく子や、ピアノを練習してその上達の様子を動画で投稿する子など、さまざまな探究が行われていたそうです。

休校中の「時間がたっぷりある」という強みを生かして、その時の子供たちに必要な学びを組み立てた素晴らしい実践だったと思います。「総合的な学習の時間」や「家庭における探究」ではオープンな探究も含め、より非構成な授業設計ができますので、トライしてみるといいでしょう。

目の前の子供たちに、どんな実践をしていくのか。それは学齢によっても違ってくるし、都市部の学校か地方の学校かによっても大きく違ってくるでしょう。

――LCLの参加者からは「探究的な学び」について、どのような悩みや課題を聞きますか。
「子供たちが這い回る時間を取ることが大事なときもある」と藤原氏

「授業で遊ばせていると言われる」といったような悩みはよく聞きます。これまで私が見てきた学校の実践でも、特に長期にわたるプロジェクトでは、はたから見ると遊んでいるようにしか見えない活動が続くこともありました。それをいわゆる「這い回る経験主義」だとやゆする人も、一定数いるのだと思います。

でも、子供たちが「這い回る」ように見える時間を取ることが、すごく大事なときもあります。緩やかな時間からこそ、本当の「問い」やその子自身の「言葉」が出てきます。そこで先生が「ああしなさい」「こうしなさい」と差し込んでしまうことによって、子供たちの意思や言葉を途切らせてしまい、自発的な学びから遠ざかってしまうこともあると思うんです。

時間の制約と学びのバランスが悪いまま、焦って「このプロジェクトが終わるまでに、子供たちに変容してほしい」と思うと失敗します。

教科を学ぶことを目的とした構成的な探究であれば6週間前後、非構成なものであれば、70時間の総合的な学習の時間をフルに使って1つのテーマをじっくり学ぶ――などが目安となります。

自発性を育てたいと思った時は、ある一定の見通しを持ちつつも、はじめに「急がない」という忍耐力が求められます。その時には目に見える結果が出ていなくても、その子の中で育っているものは必ずあるので、それを信じる必要があります。

私自身もLCLの2期目ぐらいまでは、「このプログラム期間中(8カ月の間)に参加者を変容させたい」と意気込んでいました。でも、そのエゴを手放してみたら、期を卒業してから大きく変化し、さまざまな活動を積極的に推進する先生たちが出てきたのです。

そんなこともあって、「時間」を使いこなすことの大切さを痛感しています。LCLに関しては、数年、もしくは一生をかけてメンバーを支援し、その変容を見届けたいと、今、強く思っています。

(松井聡美)

【プロフィール】

藤原さと(ふじわら・さと) (一社)こたえのない学校 代表理事。慶應義塾大学法学部政治学科卒業。コーネル大学大学院修士(公共政策学)。日本政策金融公庫、ソニーなどで海外アライアンス、新規事業立ち上げなどを経験。仕事をしながら子育てをする中で「探究する学び」に出合い、2014年「こたえのない学校」を設立。小学生向けの探究型キャリアプログラムを実施するほか、16年から学校教育に携わる教師と学校外で教育に携わる多様な大人が出会い、チームで探究プロジェクトを実施する「Learning Creator’s Lab」を主宰。18年、経産省「未来の教室」事業の採択を受け、世界屈指のプロジェクト型学習を行う「High Tech High」の教員研修プログラムの日本導入に携わる。著書に『「探究」する学びをつくる』(平凡社)。

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