【3.11から10年】相馬高校の卒業生 荒優香氏に聞く

〈そっちには行かせられない〉〈放射能あぶないじゃない〉。福島県相馬市の県立相馬高校の生徒が震災の3年後に制作した映像作品『これから。』は、福島第一原発の事故が引き起こした分断がテーマだった。疎外感、悔しさ、もどかしさ……被ばくの不安とともに生きる高校生の視点が、人々を隔てる「見えない壁」を浮き彫りにしていた。自分たちを置き去りにする社会に向かって声を上げた生徒たち。大人になったいま、何を思うのか。

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「発信していくことが大事」と思えるまで

「世の中は『がんばろう東北』という流れで、そんなに頑張れないよと、もやもやしていました。高校に入って、先輩たちが芝居で叫んでいる言葉が、すっと胸に落ちてきた。自分たちの心をちゃんと伝えられている気がしたんです」

現在24歳の荒優香さんは、福島県相馬市の実家で暮らしていた中学2年生のときに東日本大震災に遭った。県北部の相馬市は避難区域には入らなかったが、原発事故は生活を直撃した。「祖父母が農業をやっていて、お米を作っても売れなくなった。風評被害もありますが、食べてもらっていいのかと心配していた。野菜も捨てたりしていました」。

2012年4月、原発から約45キロの場所にある相馬高校に進学。同校の先輩たちが、自分たちが暮らしの中で感じていることを、演劇やドキュメント作品に込めて発信しているのを知る。

「最初はこんなこと言っていいのかなとも思いました。じつは中学校のときに何気なく『原発が無かったらグラウンドが使えるのに』と言ったことがあって、そしたら急に同級生に『ごめんね』と謝られたんです。お父さんが原発の警備員だったから、と。自分の言葉が彼女を傷つけてしまったことをすごく後悔しました。家族を亡くしたり、家が流されたり、町の人はみんなそれぞれに事情を抱えて生きていて、震災のことには触れられない雰囲気がありました」

〈未来なんてよく言うよ。お前らが壊したくせに〉〈将来たぶん結婚できない〉〈放射能にびくびくおびえて生活してるのが自由?〉……。切実な叫びをそのまま舞台化した演劇は、相馬高校放送局が部活動として制作・発表した『今伝えたいこと(仮)』。12年から13年にかけて福島、京都、東京などで上演された。震災後の高校生の心情をリアルに描いた作品として注目され、舞台を記録したDVDの上映会も全国各地で行われた。

一連の活動は13年、優れたジャーナリズム活動を顕彰する日本ジャーナリスト会議のJCJ賞に選出。同賞を高校生が受賞したのは初めてだった。演劇部を経て放送局に加わった荒さんは、この演劇の舞台に立ったほか、ドキュメンタリーなど他の作品づくりにも意欲的に取り組んだ。

「作品を見てくれる人がいて、応援してくれる人がいる。ありがとう、と言ってもらえたりもする。声を出したことで、応えてくれる人がたくさんいることが分かった。発信していくことが大事なんだと思えるようになりました」

映像作品『これから。』
映像作品『これから。』のワンシーン(相馬クロニクル提供)

震災後の日常生活を描く映像作品『これから。』は、震災で同校と縁ができた映画監督の是枝裕和さんが、テレビ番組の企画で来校して指導してくれた作品だ。脚本、撮影、出演も全て高校生自身で担当している。

荒さんの演じる主人公は、5年前に埋めたタイムカプセルを掘るために友人を誘うが、友人の親に「そっちには帰らせない」と拒否される。悪意ではなく、子供を思う気持ちから出た言葉だから反論できない。別の同級生と新たにタイムカプセルを埋めることにした主人公は言う。掘り起こすのは30年後にしよう、と。〈30年たてば何か変わってるかもしれない〉。

当時、その年数が何かの区切りでもあるかのようにニュースで繰り返し報じられていた。セシウム137の半減期は30年、と。

「学校に行けること、学べることは喜びだったけれど、あの頃は負の感情も強かった」と荒さんは当時を振り返る。「町のあちこちで除染しているし、通学路の脇に黒い袋が積み上げられている。バッジ式線量計を持たされているのに、大丈夫だと言われても……。自分たちは実験動物にされているんじゃないかと思っていた」

一緒に物事を考えられる大人に
相馬市は津波でも大きな被害を受けた(2011年8月31日撮影)

相馬市の海沿いには日本百景の一つである松川浦がある。あの日、9メートル以上の津波が襲い、多くの漁船が流され、漁業施設もほぼ全壊した。10年後のいま、汽水の湖面は穏やかで、漁船が並ぶ風景だけを見れば、活気も感じられる。しかし、かつての良港が完全に復活したわけではない。原発事故による福島県沿岸での漁業自粛は継続中。試験操業によって市場には福島県産の魚介類も出回るようになっているが、漁業復興はまだまだ道半ばだ。

「10年たっても、震災がなくなったわけではなくて、その上で生活をしている感じですね。やっぱり悲しみや悔しさがある。おじいちゃんのお米は買ってもらえるようになりましたけれど」

原発事故が生活に影を落とす一方で、荒さんは、福島を応援してくれる人々がいることも感じていた。「自分も誰かを支援できるような人間になりたい」と、大学に進んで国際協力について学んだ。海外留学なども経験し、卒業後は技能実習生の監理団体で働いている。

「子供たちを守ってあげるとか、一方的に何かを教えてあげるとかでなく、一緒に物事を考えられる大人になりたいと思っています。これからを共に生きる人間として『ねえどうする?』と話をしたい。言葉を出せなかったり、意見を言える場所がなかったりするつらさは味わわせたくないので」

記憶遺産

「彼女たちの言葉は、研ぎ澄まされ方が尋常ではない。修羅場をくぐって成長せざるを得なかったんだと思います」。そう話すのは、震災時に相馬高校放送局の顧問だった渡部(わたのべ)義弘さんだ。作品制作は生徒の自主性に任せていたという。「子供たちに言いたいことがあるとしたら、その口をふさぐようなことはしたくない。部活動の中で、自分が心を動かされるようなすごいものが生まれてきたので、生徒を信じてやらせてあげたいと思いました」

渡部さんは15年から県内の他校で勤務しているが、作品を広く知ってもらうために、卒業生らと共に「相馬クロニクル」という団体を立ち上げた。年間20~30回ほどのペースで全国各地を回って作品を上映。コロナ禍だった昨年もオンラインで公開を続けた。「高校生の震災直後の声がこうやって残っている。記憶遺産と呼んでもいいと思います。人とのつながりを大切にして公開を続けていきたい」と話す。

「子供たちと一緒に考える大人になりたい」と話す荒さん

仕事場のある仙台市で暮らす荒さんは、週末などは相馬市の実家で過ごす事も少なくないという。相馬高校での写真撮影をお願いした。「母校は久しぶりですね」とほほ笑む彼女に、10年後の「今伝えたいこと」を聞いてみた。

「震災を話せる場ができたらいいと思います。それは東北に限ったことではなくて、たとえばうちも停電したとか、津波の映像を見て子供が怖がったとか、それぞれに経験があるはずです。大小とか軽重はなくて、その全てが未来にとって大切な記憶だと思う。そういう対話をしていたことで助かる人がいるかもしれない。救われることがあるかもしれない。もしかしたら、いま自分が悩んでいることが、未来の解決策につながるかもしれない。あの日、避難した人もいれば、とどまった人もいる。何が正しいのかは分からないです。でも、その一つ一つの声を残していけば、悩んでいることも、きっと無駄じゃなくなる」

※相馬高校放送局の作品についての上映依頼や問い合わせは、相馬クロニクルの渡部さん(watanobe.yoshihiro@gmail.com)まで。

(篠原知存)

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