【3.11から10年】新たな学校を地域と作る 福島県浪江町


福島県浜通りの中央からやや北に位置し、海や山、川など豊かな自然に囲まれた浪江町は、福島第一原子力発電所の事故により、約2万1000人の町民が避難を強いられた。避難指示が解除されて1年後の2018年4月、新しい小中学校が開校。10人の児童生徒とともに新たなスタートを切った。児童生徒は現在30人にまで増え、町外から転入してきた子供、原発事故前の浪江町を知らない子供も増えた。様変わりした地域とのつながりをゼロから作り上げてきた学校と、子供たちに地域再生への希望を見いだす住民たちに話を聞いた。

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新たな学校、消えゆく学校
校舎の解体準備が進む幾世橋小学校(2月9日撮影)

澄みわたった青空にあられが舞う、今年2月上旬のある朝。浪江町の東側に位置する町立幾世橋(きよはし)小学校では、校舎の解体準備が進められていた。東日本大震災に伴う福島第一原子力発電所の事故以来、休校状態が続いており、10年を迎える今年4月に閉校が決まっていた。学校施設を有効活用するべく民間事業者の公募も行ったが、決定には至らなかった。

浪江町には震災前、幾世橋小学校を含め小学校6校、中学校3校があった=地図=。現在の浪江町は、1950年代に5つの村と合併して誕生した歴史を持つ。それぞれの村があった地区では、学校が地域文化を育むコミュニティーの要(かなめ)となり、統廃合を重ねつつも重要な役割を担ってきた。

 

【地図】東日本大震災後の浪江町の学校再編

11年3月11日の東日本大震災で、状況は一変した。震度6強の揺れと15メートルを超える津波で、651戸の家屋が全壊、6平方キロメートルが浸水した。さらに福島第一原子力発電所の事故で浪江町全域が避難対象となり、約2万1000人の住民は散り散りになった。浪江町の小中学校9校は全て休校となり、そのうち浪江小・津島小・浪江中の3校が避難先の二本松市で廃校舎を利用して再開した。

17年3月には避難指示が一部解除され、住民の帰還が始まった。当時、浪江中の校長だった浪江町教委の笠井淳一教育長は、避難指示解除から数カ月後、二本松市から生徒たちを連れて浪江町を訪れた時のことをこう振り返る。

「『君たちが通うはずだった浪江中学校はここだよ』と見せてあげたかった。まだ帰還する住民も少なく、子供を受け入れる態勢もない時期。町の人たちは中学生の姿を見て、『中学生だ、子供がいる!』と驚いていた。町に中学生の姿があるだけで人々が明るくなり、子供は地域の力になるのだと思った」

浪江町教委は避難先での教育活動を継続しつつ、町内では1つの小中学校に集約して学校を再開することを決めた。18年4月、町の東部にあった浪江東中学校を改修する形で「なみえ創成小学校・中学校」が開校。浪江町に戻る子供の拠点となるよう学区は指定せず、スクールバスを使って町内外から通えるようにした。事前の意向調査では希望者がほとんどいなかったが、開校時には小学生8人、中学生2人が集まった。

「いろいろな避難先から戻ってきた子供たちは当初、自分の気持ちを表現することが難しく、心が開けないこともあった。異なる学年での交流を通じて、少しずつ打ち解けていった」。開校時には同小の校長だった同中の馬場隆一校長は語る。

浪江町に子供たちが戻ってきた――。震災後、浪江町の人々が多く避難していた二本松市や福島市の仮設住宅で、子供たちの学習支援に携わっていた新山伸一さんは「浪江町へ帰る子供たちに何かできないか」と、約30人の元気なお年寄りとボランティア団体「チームなみえG&B」を立ち上げた。

新山さんは元宮城県の教員で、震災後はNPO法人で活動してきた。「(避難先から)浪江町に戻ろうとすれば『なぜ戻るのか』と言われ、来たら来たで放課後に外遊びのできる友達も少ない。子供たちが孤立しないように地域の力で応援しよう、となった」

「チームなみえG&B」は近隣への旅行や料理教室、餅つき、子供祭りなど、なみえ創成小中に通う子供たちと会員との交流の機会を作ってきた。「交流を通じてじいちゃん、ばあちゃんの温かさや息遣いが、子供の心を安定させたのではないかと感じている」と新山さんは話す。

馬場校長は「地域では『学校ができてよかったね』と期待してくれ、応援もしてくれた。子供がいて先生がいて、さらに地域の人が関わってくれることで、徐々に学校が学校らしくなってきた」と、これまでの歩みを振り返る。

震災前を知らない子供たち
なみえ創成小の髙田英世校長(左)となみえ創成中の馬場隆一校長

馬場校長が特に印象に残っている出来事として挙げるのは、開校から半年後の18年10月に実施した運動会だ。児童生徒や保護者の数もわずかで当初、実施は難しいのではないかと思われたが、地域の協力を仰いで実行に踏み切った。同年夏に10ほどの地域団体の代表が集まり、実行委員会を組織して話し合いを重ねたという。

浪江町に移住してきた若者や地域再生を学ぶ大学生まで協力の輪が広がり、300人ほどのコミュニティーが出来上がった。移住した若者でつくる任意団体「なみとも」で、運動会の開催に尽力した代表の小林奈保子(なおこ)さんは「大人たちの方が応援を楽しんでいたほど。地域の人やボランティアも競技に参加し、面白い運動会になった」と振り返る。

この運動会を皮切りに、地域の団体や大学生などがなみえ創成小中の授業や体験活動に関わる機会が増えたといい、馬場校長は「地域の人たちのパワーを感じた。黙っていたら運動会もできなかったし、その後のつながりもなかったのではないか」と話す。

開校から3年がたとうとしている現在、なみえ創成小中では小学生24人、中学生6人の計30人が学ぶ。「地域と支え合い、地域とともに歩む学校教育」を掲げる同小中では、双葉郡の8町村の学校とともに、総合的な学習の時間を活用した「ふるさと創造学」という探究学習を行っている。

これまで浪江町の伝統工芸である大堀相馬焼を体験したり、20年に競りが再開した浪江町内の請戸(うけど)漁港で水産業について学んだりと、さまざまな活動を行ってきた。同小の髙田英世校長は「少人数だからこそ、ワゴン車でフットワーク軽く、地域に出掛けていけることはメリットだ」と話す。

こうした学習内容を、双葉郡内の学校が集まる「ふるさと創造学サミット」などで発信する機会もある。同中の馬場校長は「子供たちも復興に向かう気持ちを学び、将来が見えてくるようになった」と語る。

現在の中学生6人のうち4人、小学生24人のうち3分の1ほどは、家族などが浪江町にゆかりを持つというが、本人は震災時にまだ生まれていなかったり、幼かったりと、震災前の記憶を留めている子供は少ない。さらに近年は、復興関係などの親の仕事の都合で、町外から転入してくる子供も増えている。髙田校長は「子供たちにとっては、知らない町のことを勉強しているような感覚だろう」と話す。

浪江町教委の笠井淳一教育長

浪江町教委の笠井教育長も「ふるさと創造学は当初、ふるさとを持っていた子供の喪失感を、その再発見につなげる形で始まった。今は復興ステージの変化に伴って、人の動きも変わっている。浪江町での生活経験が短い子供が増え、浪江町をゼロから知ることから始まる段階だ」と話す。

「浪江町に学ぶ場があることは大切。ただ住んでいるからふるさとなのではなく、そこで学んだという証が、『自分の足元に浪江があったのだ』という、ふるさとへの思いを作っていく」。ふるさと創造学を通して『浪江町のシンボルをデザインしたい』という夢を持った生徒もいたといい、笠井教育長は「自分の生き方の羅針盤になったのかもしれない」と評価する。

なみえ創成小中での教育活動が本格化する一方で、震災前にあった小中学校の一部は、今年に入って施設の解体が進められている。海沿いに位置し、津波の被害を受けた請戸小は震災遺構として保存・活用する方針が決まっている。昨年7月には、帰還困難区域の2校と請戸小を除く小中学校で学校見学会が行われ、卒業生やかつて勤務していた教員、地域住民など、のべ2600人が訪れて別れを惜しんだ。

今年1~2月、学校施設の解体直前に予定されていた2度目の見学会は、新型コロナウイルスの影響で中止を余儀なくされた。地域住民の中には解体に反対する声もあった。自身もかつて浪江町の小中学校に勤務した笠井教育長は「校舎を残すだけでもかなりの維持管理費がかかるうえ、修理も必要になる。寂しいが、復興に向かう上で新しい姿に変わっていくことも大事なのではないか」と前を向く。

なみえ創成小中には「これまでの浪江町内にあった6つの小学校、3つの中学校の伝統や文化をしっかり背景として踏まえつつ、新たな地域の文化の核となってほしい」と笠井教育長は期待を寄せる。

子供や若者がまだまだ少ない

とはいえ、地域にはまだ課題も多い。浪江町は震災前から高齢化が進んでおり、10年の国勢調査で65歳以上の人口は26.7%(全国23.0%)となっていた。21年1月末時点での居住人口は1579人、989世帯と震災前の1割前後。65歳以上の高齢者が4割近くを占める一方で、10歳未満は52人、10代は27人と、あわせて居住人口の5%ほどにすぎない。

昨年9月、震災時に住民登録があった人などを対象に町が行った住民意向調査の結果では、4359世帯のうち「戻らないと決めている」が54.5%、「まだ判断がつかない」が25.3%だった。戻らない理由は、避難先などで「すでに生活基盤ができているから」が半数超と最多。戻らないと決めている人は30代では66.9%、29歳以下では73.3%に及び、次世代を担う若者や子供を町に呼び込んでいくことが課題になっている。

馬場校長は「まだまだ『普通の学校』ではない。児童生徒の数が少なく、子供同士が関わる教育活動も十分にはかなわない」。髙田校長も「小学校でも子供が1人という学年や、男女どちらかが1人という学年もあり、子供同士で相談もできない。各学年10人いれば、活動の幅も広がるのだが」と話す。

浪江町の元気なシニアが中心となって活動してきたチームなみえG&Bは、コロナ禍で子供たちとの交流がしづらくなっている。新型コロナウイルスは、高齢者の重症化リスクが高いとされることもあり、集団での活動に不安を覚えるメンバーもいるという。

「チームなみえG&B」で事務局長を務める新山伸一さん

そうした中、チームなみえG&Bの新山さんは「昔ながらの浪江の気質や伝統を残していくことは大切。ただ、若い人たちが新たに入ってくることでまた違った文化が生まれ、古くて新しいふるさと・浪江町の土台になっていくのではないか」と、次の世代への希望を託す。

「私たちは浪江町に帰る子供にも、縁あって浪江町に来た子供にも、どちらにも等しく、温かく手をかけたい。全ては浪江町の子供のため。結果として、それを見た家族が浪江町に来てくれることがあれば、次につなげていけるかもしれない」

浪江町の若者でつくる「なみとも」代表の小林さんは現在、任意団体「いわき・双葉の子育て応援コミュニティcotohana(コトハナ)」でも共同代表を務め、双葉郡の子育て世代に向けた情報発信も手掛けている。「交通アクセスがよく便利な都市部に比べれば、子育てをするにはハードルがあるかもしれない。その代わりいろいろな人とつながり、助け合って解決策を探していけるのが、今の双葉郡だと思う」

なみともの副代表で、農業や飲食店を営む和泉(いずみ)亘さんは「今後、この町に必要なのは仕事と若い人」と指摘する。「浪江町は日本の社会課題の縮図みたいなもので、学校の統廃合も(日本の他の地域に先駆けて)“早送り”で体験しているのかもしれない。それでも最近は、新生児や子供の姿を見ることも増えた。こうした子供たちに浪江町で学び、将来も浪江町で暮らすことを選んでもらいたい」と願いを語った。

(秦さわみ)

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