【3.11から10年】ふたば未来学園 「未来創造探究」の誕生


福島県立ふたば未来学園は2015年4月、東日本大震災と原発事故で深く傷ついた福島県双葉郡に、校名の通り、地域の未来を描くために中高一貫校として新設された。生徒たちのほとんどは小学生の時に被災し、避難生活の経験者も多い。そんな生徒たちに、同校は「変革者の育成」をスクールミッションに掲げ、課題解決型探究学習「未来創造探究」を柱に置いた独自のカリキュラムを提供してきた。この野心的な取り組みを通じて、子供たちは何を学んだのか。卒業生3人と学校側の2つの視線から捉え直し、震災復興を通じた学校教育の成果と課題を確かめてみたい。第1回は、寮生活をしながら耕作放棄されていた畑を借りて野菜を作り、地域の人々を巻き込んでファーマーズマーケットのイベントを開催した1期生、佐藤勇樹さん(福島大学行政政策学類3年生)の体験を紹介する。

(教育新聞編集委員 佐野領)

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4年半ぶりの一時帰宅 町の景色に衝撃
ふたば未来学園高校に通っていた当時の佐藤勇樹さん

佐藤さんは神戸市で生まれ、フェリー船の航海士をやっていた父親の転勤で4歳から静岡市で過ごし、小学2年生に進級する時に母親の実家がある双葉郡富岡町に引っ越してきた。小学5年生が終わろうとしていた11年3月11日、東日本大震災が発生。町内で避難生活を送った後、原発事故のため住民の避難が決まり、3月下旬から家族とともに茨城県鹿嶋市でアパート暮らしを始めた。地元テレビの定点観測のような取材を受けていたこともあり、「『富岡に戻りたいな』という気持ちをずっと意識していた」という。

4年半がたち、中学3年生になった佐藤さんは、富岡町に一時的な立ち入りが認められる15歳になった。テレビや新聞では復興が進む被災地のニュースが増えていたが、佐藤さんが震災後初めての一時帰宅で目撃した富岡町の景色はまったく異なっていた。

「ショックを受けました。震災直後のまま残っている家、草だらけになっている空き地や田畑。家の中は雨漏りでぼろぼろになっていて、ネズミの糞だらけでした。自分には『もう、復旧は終わっているのかな』というイメージが漠然とあったので、それと現実の違いに驚きました」

この一時帰宅の経験について、佐藤さんは「大人が4年間かけても、どうにもできない問題が、この地域にはあるんだな、と強く思った。自分は中学3年生だけど、『何かできることはないのかな』と考えるようになった」と振り返る。そのころ、ふたば未来学園高校の開校を知らせる連絡が町役場から届き、パンフレットには復興に携わる人材の育成を目的とした学校で、海外研修でも学べることが書かれていた。「復興についてピンポイントで学べるし、海外にも行ってみたい。これ、いいな」と思い、佐藤さんはふたば未来学園高校への進学を決めた。

「予測困難な未来」が現実になった

ふたば未来学園は東日本大震災の発生から4年1カ月後の15年4月、中高一貫校のうち、まず高校が先行して双葉郡広野町に開校。19年4月に中学校が続いた。開校時から現在までふたば未来学園の副校長を務めてきた南郷市兵さん(42)は、震災発生時に文科省職員として生涯学習政策局(現・総合教育政策局)に所属。「言い過ぎになるぐらい言うと、結果的に世界水準が東北に追いついてきた。経緯としてはそうでした」と話す。震災直後にさかのぼって経緯を追ってみたい。

「被災地では、本当に街がなくなってしまい、そこに人々の営みがあって、子供たちが学校に通う姿が想像できなくなってしまった。それまでは予測困難な未来に対応する力が必要だと言われても、教育現場はなかなか実感できなかったけれども、東日本大震災ではそれが現実になってしまいました」と、南郷副校長は振り返る。

最初は「もう懸命に目の前の課題に対処するしかない毎日」が続いたが、発生から3カ月たったころ、被災地の学校現場では、教員たちや教育長たちから「これまでの教育でよかったのか」「もっと抜本的な転換が必要ではないか」といった声が聞こえてきた。

「自分たちのコミュニティーを持続可能にしていくために必要な資質・能力は何か、そのための学びはどうあるべきか。これまでの教育の本質を問い直そうという発想です。こう考えた先生たちが東北にいたことは、ほのかなともしびでした。このともしびをしっかりと燃やしていくことが東北の復興の進路になるし、同時に日本全体にもあてはまるのではないか、と考えた」

国内外からさまざまな支援の声が届いた。その一つとして12年春、経済協力開発機構(OECD)とタイアップした「OECD東北スクール」がスタート。先端的なPBL(Project Based Learning)型の教育プログラムを通じて、キー・コンピテンシー(これからの社会を担う人たちに必要な資質・能力)を育むことを目指したプロジェクトだった。

参加したのは、岩手・宮城・福島の中高生約100人と教員たち。春と夏に数日間の集中スクールを合宿形式で行い、通常期には地域ごとに分かれて活動した。「スタートしてみると、OECDは世界標準の非常に高い球をどんどん投げ込んできた。被災地だからといって、甘やかさなかった。東北の先生方も、子供たちも、もちろん私自身もずいぶん鍛えられました」。研究者が多いOECDにとっても、1人の子供の成長を継続的にみる経験は初めてだったという。

南郷副校長は「プロジェクトの期間中、OECD職員も文科省職員も、学校現場の先生も、中学生も高校生も一緒になって、たくさん喧嘩をして、いっぱい涙も流しました。そうやってぶつかり合いながら、子供たちはすごく成長していきました。伸びた資質・能力もあるし、想像よりも伸びなかった力もある。その結果、『これをやれば、子供たちは間違いなく成長するな』という実感を共有できた。それは確信に近いものでした」と、力を込める。

キー・コンピテンシーは実社会での実践で育まれる
ウェブインタビューに応じる南郷市兵・福島県立ふたば未来学園副校長

OECD東北スクールが見出した、キー・コンピテンシーを育む教育とはどういうものか。南郷副校長は「一番核になるのは、実社会での実践です。子供たちを教室に閉じ込め、大人が編集し終わった教科書で学ばせるのではなく、混沌とした実際の課題に体当たりさせていく。その過程で子供たちは学び、大人には思いもよらない解決策を考えてくることもある。その結果、子供たちには『自分は何者として、この世の中に貢献したいか』という人間としての芯ができた。それが原動力となり、子供たちは自分の志に向けて、さらに学んでいくようになった」と説明する。

OECD側も2年半のプロジェクトは多くの成果を挙げたと受け止めている。白井俊著『OECD Education2030プロジェクトが描く教育の未来』(ミネルヴァ書房)によれば、OECD教育スキル局の田熊美保シニア・アナリストは、震災という非常時において、子供の粘り強さ(resilience)、柔軟さ(flexibility)が発揮され、むしろ大人のほうが励まされ、新たな発想を学ぶなど、大人と子供の間に「学びの相互作用」のサイクルが生じていることに気付かされたという。同書は、こうした子供たちの役割の重要性に対する認識は、OECDが世界的な教育の指針を描いた「Education2030プロジェクト」において一貫して重視されることになった、と指摘している。

南郷副校長は、こうした経緯を踏まえ、「東北の復興で得た経験は、結果的にグローバルスタンダードと重なっていった」と話す。ただ、課題意識も残った。それは「こうした学びを教育課程の中でできなかった」ことだ。OECDは求めてきたが、「この学びをカリキュラムに取り込む学校環境が当時はなかった」という。このキー・コンピテンシーの育成を教育課程に取り込んでいく考え方は、その後、「生きる力」をキャッチフレーズとする新しい学習指導要領でも重視されることになる。

OECD東北スクールと前後して、原発事故によって双葉郡内の5つの高校が休校に追い込まれていた双葉地区教育委員会は13年7月、県立中高一貫校の設置を柱とする「教育復興ビジョン」を決定。政府・文科省も全面支援を表明した。こうして設立されたふたば未来学園では、課題解決型の探究授業「未来創造探究」がカリキュラムの中核に置かれた。キー・コンピテンシーの育成を目指した学びは、新学習指導要領を先取りするかたちで、教育課程にがっちりと組み込まれることになった。東日本大震災は日本の教育を変えていく契機になったと言っていい。

探究学習のスイッチが入った

佐藤勇樹さんは15年4月、1期生約150人の一人として、ふたば未来学園高校に入学し、寮生活を始めた。避難生活が続いているため、新入生のほぼ半分が親元から離れ、構内に新設された寮で高校生活をスタートさせた。

「寮生活のルールを何もないところから自分たちで決めていく必要がありました。大変だったけど、すごく自由度が高かった。学期末になって寮にいる人が少なくなったとき、3時間かけて風呂の大掃除をやったことがあります。その日はシャワーで済ませることを申し合わせて、湯船を丸一日乾燥させ、次の日にみんなできれいな風呂に入った。一緒に暮らしていたからこその楽しさがありました」。きれいに掃除した寮の風呂で、仲間とはしゃぐ男子高校生の姿が目に浮かぶようだ。部活は野球部に入り、ピッチャーになった。

探究授業のカリキュラムは、まず1年生で2コマ設定される「産業社会と人間」から始まる。入学すると、まず大型バスに乗って地域の人々に会うツアーに参加し、そこから感じた課題を元に演劇のシナリオを作って、自分たちで演じる。このとき、劇作家で演出家の平田オリザ氏が、教員とともに指導に当たる。こうして1年生で探究学習の基礎を学ぶ段階を終え、2年生と3年生で3コマずつ設定される「未来創造探究」でフィールドワークを元に自分のテーマを設定し、探究を進める段階に入っていく。

佐藤さんの関心は、二つあった。一つは原発事故によって壊れてしまったコミュニティーだった。「避難指示で地域のコミュニティーが全く変わってしまった。今いる人たちで新しいコミュニティーができるのが理想ではあるけれども、残念ながらそこが構築できていない」。もう一つは、野菜の風評被害。「双葉郡の野菜は、残念ながら過去において基準値超えが出てしまっていて、その事実はどうしても消すことができないけれども、今は基準値超えの野菜はない。ただ、安全と安心は違う。双葉郡の野菜は、基準値でみれば安全ではあったけれども、みんなが安心して買えるかというと、そうではないと受け止める人もいた。だから、安心につながる何かを作りたいな、と考えていました」

こうした課題意識は探究学習を進めるうちにだんだん固まっていき、2年生の初めには、地域コミュニティーの拠点として「カフェをやりたい」と考えるようになっていた。

決定的な転機を迎えたのは、2年生の夏休み。米カリフォルニア大学バークレー校で行われる地域貢献プログラムの3週間集中コースに参加したときに、サンフランシスコ郊外で毎週末に開催されているファーマーズマーケットを訪れたことだった。このプログラムは地域に貢献する人材の育成を目的に、ソフトバンクが東日本大震災で被災した岩手・宮城・福島の高校生約100人を毎年招待している。

ファーマーズマーケットという言葉自体、佐藤さんは知らなかったという。「出展者が各自のテントを持ち寄ってブースにしたり、キッチンカーが並んでいたりして、小さな子供を連れた夫婦からお年寄りまで、幅広い層の人たちが来ていました。楽器を演奏している人もいた」。人々の暮らしの一部として、ファーマーズマーケットがしっかりと定着しているところが、特に印象に残ったという。

「『これ、すごくいいな』と思った。自分の中でしっくりきた。コミュニティーと、野菜のイメージという両方の課題に大きな影響を与えられるのが、ファーマーズマーケットだと解釈しました」

米国で行われたプログラムには、たまたまふたば未来学園から野球部のマネージャーをやっていた女子生徒が参加していた。帰国前に一緒に食事をして、「話があるんだけど。部活、辞めようと思って」と切り出した。野球部を辞めて時間を作り、ファーマーズマーケットをやりたいと話すと、女子生徒は「本気なら、思い切りやった方がいいよ」と背中を押してくれた。「それで決心がついた」という。

このとき、佐藤さんの探究学習は、スイッチが入った。生徒が自分から学び始めると、探究学習は一気に加速していく。

地域の大人を動かしたファーマーズマーケット

日本に帰国した佐藤さんの行動は素早かった。まだ夏休み中だったが、野球部の担当教員に「すいません。部活やめます」と届け出た。そして、「農業のこと、自分はあまり知らないな」と思ったので、ふたば未来学園がある双葉郡広野町の直売所に歩いて行き、レジの女性に「ちょっと教えてください」といきなり切り出した。紹介されたのは、ちょうど居合わせた遠藤政子さん。90歳を過ぎたおばあちゃんだった。その日から、佐藤さんはほぼ毎日、直売所に通った。

「農業の話とか、震災後にどういう動きをしたのかとか。いろいろ聞きました。『お茶、飲みなー』と言われて、話を聞いているのが好きでした」。午前7時半ごろ、地元の農家が野菜を搬入するところを手伝い、直売所が閉まる午後1時まで入り浸った。9月になって新学期が始まっても週末には直売所に通い続け、この人間関係から新たな展開が生まれた。

「10月に入る前ぐらいでした。直売所でおばあちゃんたちと話していたら、『将来農家になりたいんだよね』と言われ、『農家になりたいのなら、畑がないとだめだね』『じゃあ、畑、貸してあげるよ』と話が膨らんでいきました。農家になりたいと言った覚えはないのですが、とにかく畑を借りることになって…」

急展開を受け、佐藤さんは探究授業の担当教員に相談。畑を貸してくれる農家と会ってもらい、実際に借り受けることになった。だが、畑はしばらく使われていなかった耕作放棄地で、予想したよりもはるかに広かった。とても一人では耕しきれない。そこで後輩や同級生に「野菜、一緒に作ろうぜ」と声を掛け、最終的に20人近いメンバーが関わるようになった。教員は探究授業のテーマとして、ファーマーズマーケットや畑の活動を進めるよう、背中を押してくれた。佐藤さんは探究授業の時間だけでなく、放課後や週末などを使ってメンバーと一緒に畑を耕し続け、ほうれん草、キャベツ、そら豆、トマト、スナップエンドウ、とうもろこし、陸穂(おかぼ)、ラディッシュなど12-13種類の野菜を育てた。

翌年4月、ふたば未来学園の教職員たちがびっくりするような出来事が起きた。町役場から学校に電話が入り、「佐藤勇樹君という生徒が、明日、役場で記者会見をするのですが、学校は承知していますか」と伝えられた。

3年生になっていた佐藤さんは、ファーマーズマーケットを実際にイベントとして開催することを計画。会場探しや資金作りを地域の人たちに相談するうち、地元信用組合の担当者からクラウドファンディングの募集を勧められ、学校に報告しないまま町役場の担当者と打ち合わせ、募集告知の記者会見を設定。報道関係者向けのプレスリリースもすでに出していた。探究学習が進んでいくと、生徒は教員たちの予想を超えた行動をする。

「役場からの電話を受けたら『学校さん、承知していますか』と聞かれたので、とっさに『今、承知しました。教員も出します』と答えました。とにかく本当に、彼は体当たりでいろいろなことをやりました」と、突然の電話に対応した南郷副校長は苦笑する。

佐藤さんは「記者会見は自分にとっても予想外の展開でした。学校への連絡とか、そういう段取りは、いま考えると、抜けていたと思います」と、率直に振り返る。「畑の活動を始めたときは、地域に知り合いが誰もいなかった。直売所をはじめ、人と関わるきっかけに自分から参加して、自分が何をやりたいのかを伝えたつもりでした。そうしたら、知り合った人が別の人を紹介してくれて、その積み重ねからどんどん話が転がっていきました。いろいろな人との関わりがあってこその展開だったと、すごく思います」

ファーマーズマーケットは2カ月後、広野町の二ツ沼公園で、1日限りのイベントとして実現。残念なことに、開始を宣言してすぐに雷雨になってしまったが、活動を通じて知り合った地域の人たちが出店し、100人前後が参加した。クラウドファンディングは目標金額10万円を大きく上回る26万円を集めて成功した。佐藤さんの試みによって、限定的ではあっても、地域の大人たちが動かされる結果となった。

「一歩踏み出すハードルが低くなった」
震災を経験した同世代の若者たちにインタビューを行う佐藤勇樹さん(左)

卒業後の進路として、佐藤さんは福島大学で行政学を学ぶ道を選んだ。ふたば未来学園の未来創造探究を通した学びは、大学3年生となった佐藤さんの今につながっているのだろうか。

「つながっていると思います」と、佐藤さんは即答した。「自分が何をやりたいか、それを実際にどうやるか、一通りの流れは高校時代に経験できた。いきなり知らないところに一歩踏み出すことへのハードルが低くなった」と続けた。

さらに「周囲との連絡やコミュニケーションの取り方が大事だということも分かった。高校生の時はできなかったけれども、一度失敗しているからこそ、いま何かやるときには失敗が少なくなっている気がします。知識だけではなく、方法についても考え、実際に実践してみたことが、学びとしてすごく大きいものだった」と振り返った。

探究学習の評価は成果よりもプロセスが重要だと言われるが、佐藤さんの場合も、実社会の中で実践するプロセスで多くの学びを体得し、それが自信にもつながったようだ。

佐藤さんは大学卒業後、富岡町に戻るかどうか、現時点では決めていない。「ずっと富岡に戻ると決めていたのですが、昨年の3月11日、震災のあった時間に黙祷するために富岡に帰って、何のために戻るのか分からなくなりました。もともと自分は富岡には小学2年生から4年間しか住んでいません。その時の思い出の場所も、どんどん変わっています。ただ、高校の時からお世話になった双葉郡のコミュニティーは居心地がいいので関わりたいという気持ちはあります」と話す。

「原発事故の経験は特殊だから、その特殊性で街の変化を語ることは簡単です。でも、街が変わること自体は、他の場所でもいくらでも起こっている。10年たてば自分が知っていた店がなくなるのは珍しくない。原発事故の特殊性と、どこにでもある話を整理することで、自分は震災や諸々を、もっとかみ砕いて受け止めることができるようになるのではないかな、と思っています」

揺れ動く気持ちを整理したくて、昨年末、富岡町で震災体験を語り継ぐNPO法人「富岡町3・11を語る会」に参加し、語り部としての活動を始めた。震災を経験した同世代の若者たちにインタビューを行い、「Here I am -10年目の僕らの立ち位置-」と名付けた動画のシリーズをYouTubeで公開している。

大学卒業後の進路を聞くと、佐藤さんは「自分が納得できるくらい気持ちを整理できれば、この地域で生活することを選択するでしょう。でも、整理できなければ、外に出るかもしれません」と、言葉を選びながら話してくれた。東日本大震災と原発事故の被災体験を抱えながら、多感な10代を過ごした子供たちにとって、心のケアという課題はいまなお消えていない。

そうした一連の課題に対して、佐藤さんは、地域の人々と関わることを通じて、向き合おうとしている。そのための心構えや方法論を身に付ける上で、実社会での実践を重視したふたば未来学園の未来創造探究が大きな役割を果たしたことは確かなようだ。

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