【3.11から10年】教師がいなくても学び続けられる生徒を

全国の学校現場の一人一人に教師の存在意義を改めて問い直した、未曽有の大災害から10年が経過した。それぞれの教師が3.11をきっかけに始めた、新しい教育を探す旅の現在地は今、どこを通過しているのだろうか。教育新聞では、震災と学校をテーマにしたオンライン鼎談(ていだん)を開催した。

1995年の阪神淡路大震災の被災地、兵庫県神戸市にある県立舞子高校の環境防災科で科長を務める桝田順子教諭、東日本大震災で「大人が教えられることの限界」に直面し教育改革に着手した新渡戸文化小中高校統括校長補佐の山本崇雄教諭に、10年間の挑戦を振り返ってもらうとともに、中学2年の時の被災経験が契機となり教師を志した宮城教育大学大学院の菊田佳那さんも招き、これからの10年に向けた「未来の教育」について語ってもらった。全2回の第1回。

(司会・教育新聞記者 板井海奈)

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大人がいなくても学び続けられる子供を
――まず、自己紹介をお願いします。

右上から時計回りに、菊田佳那さん、山本崇雄教諭、桝田順子教諭、教育新聞記者の板井海奈

桝田 兵庫県神戸市にある県立舞子高校の環境防災科で教員をしています。もともと地歴の教員でして、舞子高校に赴任するまでは防災について特別に学んだわけでもなく、地理や歴史を普通に教えていました。

本校の環境防災科は、阪神・淡路大震災の経験と教訓を次の世代に継承することを狙いに、2002年に設置された、日本で初めての防災専門学科です。「防災」という教員免許はないので、さまざまな教科の教員が関わり、生徒とともに学びながら、成長しています。

実は私自身も、本校に赴任するまでは防災に関する知識はほとんどありませんでした。学生時代に阪神・淡路大震災を経験しましたが、自宅の周りは幸い被害が少なく、身近であれだけの被害があったにも関わらず、何もできなかったという思いをずっと持っていました。

環境防災科で初めて担任を持った生徒が、阪神・淡路大震災のあった94~95年生まれでした。震災の記憶がない子供たちです。彼らが高1の3月に、東日本大震災が起こりました。そのとき生徒たち自身が自発的に動き、彼らと行動を共にしながら、東北の方々と関わらせていただきました。生徒がどんどん変容していく姿を隣で見ながら、私自身がそれに支えられて防災教育にますます深く関われたように思っています。

山本 私はもともと都立高校の教員を25年していました。11年の震災を機に教師主導の授業から、生徒主導のスタイルを取り入れるようになりました。被災地に足を運んで状況を目にしたり、いろいろな人と対話したりする中で、教師や保護者、大人がいなくても学び続けられる子供を育てなければいけないと気付き、その観点で授業改革を進めてきました。

とはいえ、公立校での変革は時間がかかります。さらに改革を進めていくうちに、学校だけにとどまらず、企業や地域と協働して授業をつくり、子供たちを社会につなげる役割の意義を見いだしました。社会の変化をいち早く学校教育に取り入れたいという思いから、教員として働くとともに、企業とも契約して勤務する兼業スタイルになりました。

現在は私立校に異動して、震災時に思い描いた生徒主体の授業の実現や、それに伴った教育改革の形を構築しています。これが公立校を含めた一つのモデルケースになればいいなと思って活動しております。

被災時の担任の熱意が、ターニングポイントに
――ありがとうございました。本日は宮城県気仙沼市出身でいらっしゃる、宮城教育大学大学院の菊田佳那さんにもご参加いただきます。

菊田 現在、宮城教育大学大学院に通いながら、外国人の児童に対応する非常勤講師として宮城県多賀城市の小学校に勤めています。4月から県内で正規教員として、教壇に立ちます。

私は10年前の東日本大震災で、祖父母を亡くしました。当時、気仙沼市立階上中学校の2年生で、学校で被災しました。父と姉には当日の夜中に会えましたが、母と会えたのはその2~3日後でした。祖父母も中学校に避難してくるのを待っていたのですが、残念ながら亡くなってしまいました。

学校で家族を待っている間、一人ぼっちになってしまうかもしれない不安や孤独でいっぱいだった私を支えてくださったのが、当時の担任の先生でした。夜中になっても家族に会えず心細くてどうしようもなかったのですが、先生がずっと隣にいて言葉を掛けてくれたおかげで、安心できたのを今でも覚えています。

その先生とは今でもつながりがあり、教員採用試験に合格した際もご連絡をさせていただきました。実は1年ほど前に知りましたが、先生ご自身も震災でご家族を亡くされていました。ご自身もつらい思いをされている中でも、私たち生徒のために熱意を持って行動してくださった姿は、私が教師を志すにあたりターニングポイントになりました。

生徒というより“同志”
――ありがとうございます。それではまず、東日本大震災以前と以降で、教師としてどのような変化があったかをお伺いしたいです。

桝田 阪神・淡路のときもそうでしたが、教師以前にまず人間として、自分の無力感を痛感し、「私に何ができるのか」と思い巡らせました。

東日本のときは生徒たちが「とにかく何かしたい」と、募金活動など今できることをやろうと、すぐさま立ち上がりました。発生から2カ月後の5月には、1カ月間にわたって生徒が現地に派遣され、私も共に宮城県に足を運びました。生徒と一緒に泥かきをしたり、被災者の方とお話をしたり、私自身、教師というよりも一人の人間として災害と向き合い続ける日々でした。私たち大人はどうしても自分の無力感にさいなまれてしまいますが、生徒の圧倒的なパワーに支えられ、動き続けられたように思います。

神戸に帰ってきた後も、「何かしたいけれど何をすればいいのか」ともやもやした気持ちを内に秘める私たち大人を横目に、生徒はどんどん思いを口に出して、お互いで語り合って、私に提案してくれる。正直どっちが教師か分からないくらいで、彼らは生徒というよりも“同志”という方がしっくりきます。

震災があったからというよりも、本来、教師と生徒は対等な関係だと改めて気付きました。山本先生のお話にあったように、生徒は自分で伸びていこう、学ぼう、社会の役に立とうと、それぞれが思いを抱えています。学校は教師や生徒の関係性を超えて、その思いを交換し合える学び合いの場だと体感できたように思います。

山本 震災から10年を迎えるにあたって、過去の写真を見返す機会が増えました。当時、自分に何ができるか考えたときに、現地に行ってボランティアをする選択もありましたが、今目の前にいる自分の生徒と向き合って、未来をつくる営みを止めないことが大切だと決意したのを思い出します。

私も実際に被災地に足を運び、被災した皆さんに話を聞いて、「大人にできることはそんなにない」と再認識しました。そして東京にいる自分の生徒を思い浮かべ、「私が明日からいなくなったら、彼らはどうなるのだろうか」と想像したのです。

そこから知識を教えるよりも、学び方を提示したり、さまざまな人と協働の機会を与えたり、教師がいなくても生徒が達成感を得られる方向に授業のスタイルを大きく変えました。

だから、震災当時の写真を見ると、そのときの強烈な思いがよみがえります。同時に今の新型コロナウイルス感染症を巡る混乱も重なって、教師をはじめ大人にできることは少ないと改めて痛感するとともに、子供たちを自律させることが何より大切だとひしひし感じているところです。

震災で知った、知識を活用する力の大切さ
――お二人がそうやって思い描いた教育の在り方は、10年たった今、どのように実を結んでいると感じますか。

桝田 山本先生のお話に出たコロナに関連すると、一斉休校時や緊急事態宣言時も、授業が遅れるとか、学力が伸びないのではないかということを過剰に気にしなくても済んだように思います。

知識はあくまでツールの一つにすぎないので、それを使うも、使わないも生徒自身に選択肢があります。知識のあるなしよりも、もっと大切なのはどう学ぶか。例えば本校の環境防災科は、防災や災害について3年間通して学びますが、その中で最も育まれるのは生徒自身の人間としての根っこの部分。自分の課題に真正面に向き合うこと、人との関わりや命を大切にするということです。

緊急事態宣言下でも、オンラインを駆使して遠隔で生徒と関わりながら、知識を増やす学びというよりも、社会に関心を向け続ける視点を持って学習を進められたのでよかったと感じています。

山本 東日本のときもおそらく全国の先生たちは、大人主導の教育の限界を感じたのではないでしょうか。そこで社会全体が少し変化したように思いますが、正直、元に戻るのも早かったように感じます。

コロナ禍の今、一気に子供主体の学びが進んでいるように見えますが、本来は平常時においても学びは教師ではなく、子供が主役で語られるべきです。

例えば一斉休校下で進んだオンライン授業は、休校が明けると非常時のための特別な手法として認識されつつあります。コロナの状況が落ち着く一方で、せっかく気付けた本来の学校教育の姿を再び忘れ、受験や教科書の進度が大切といったこれまでの“当たり前”に戻ってしまう怖さを感じています。

――菊田さん、ここまで聞いてみていかがですか。

菊田 桝田先生、山本先生共に、知識を教えるのではなく、学び方を示すという点で共通しているなと感じました。私も震災を経験して、いわゆるマニュアルや教科書の答え通りに動くことが必ずしもいいわけではないと実感してきました。知識をツールとして、いかに活用できるかの方が難しいし、社会に出た上でも大切なように思います。4月から学校現場で子供と関わる上でも、心に留めておきたいです。

【プロフィール】

桝田順子(ますだ・じゅんこ) 1998年兵庫県立高校の教員に採用される。2009年舞子高校に赴任。10年から7年間環境防災科で担任を務め、18年より科長となる。兵庫県震災・学校支援チーム(EARTH)に所属。防災教育学会員。

山本崇雄(やまもと・たかお) 新渡戸文化小中高校統括校長補佐。都立両国高校附属中、都立武蔵高校附属中で自律型学習者を育てる「教えない授業」を実践。新しい教育の在り方を提案する「未来教育デザインConfeito」の設立にも携わる。著書に『なぜ「教えない授業」が学力を伸ばすのか』(日経BP)など多数。

菊田佳那(きくた・かな) 1996年、宮城県気仙沼市生まれ。同市立階上中学校、同県立宮城県気仙沼高校卒業。東日本大震災時は中学2年生。2021年3月宮城教育大学大学院 教育学研究科 修士課程修了予定。22年度より宮城県の公立学校で教員として、教壇に立つ予定。

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