【3.11から10年】 震災を経験した教師だからできること

東日本大震災から10年、学校教育はどう変わり、ここからどこに向かっていくのか。日本で初めて防災専門学科を設置した、兵庫県立舞子高校環境防災科科長の桝田順子教諭、3.11をきっかけに教育改革を進める新渡戸文化小中高校統括校長補佐の山本崇雄教諭、そして中学2年生で被災し、今年4月から教壇に立つ宮城県教育大学大学院の菊田佳那さんを招き、震災を起点にそれぞれの描く学校の未来の姿について語り合うオンライン鼎談(ていだん)を実施した。後編では、防災教育を切り口に子供たちの当事者意識を育む必要性や、新型コロナウイルス感染症など混乱を極める社会で子供たちが生き抜く力を身に付けるために、学校教育に何ができるかを考える。全2回の第2回。

(司会・教育新聞記者 板井海奈)

この特集の一覧

対話の中で当事者意識を育む
――桝田教諭が防災教育をするにあたって、一番大切にされていることはどのようなことでしょうか。

桝田 当事者意識を持つことです。授業の中で生徒はさまざまな発言をしますが、最初はどうしても表面的だったり、教訓をなぞっているだけだったりします。もちろん、最初はそれでいいのです。そこから私たち教師や多様な立場の人と対話して、「それは本当に自分の言葉や思いなのか」と自問自答を繰り返し、学びを深めていきます。

人からの伝聞の情報をなぞるのも大切ですし、入り口はそれでいい。でも、そこで止まってしまっては結局、他人事で終わってしまいます。一歩進んで、自分に置き換えたらどうなのか、考えられる力が必要です。この学びを心の底から大事だと感じ、それを他の人に伝えたいと思うならば、単なる知識で終わってしまってはいけません。

時間がかかってもいいので、一つ一つの学びを自分自身のものにしてほしいと願いながら、生徒と向き合っています。

与えすぎると子供は考えるのをやめる
――当事者意識の重要性は、山本教諭もたびたび指摘されています。

山本 防災教育も授業も同じで、大人が与えすぎると子供たちは考えることをやめてしまいます。典型的なのが避難訓練。多くの学校では避難訓練の日時を行事予定表に入れて、いつどこで火災が発生するか、どこに避難するかも決まっています。そうすると、子供たちは必然的に考えず、教師の指示通りに動くだけになってしまいます。

生徒自身が「避難訓練を事前に告知するのはやめよう」と発案し、取り入れた学校があります。子供たちが避難訓練の矛盾に気付けたのは、素晴らしいことですよね。

実際、学校で火災が起きたとして、子供たち自身がそれぞれの状況を踏まえ、どの経路でどこに逃げるのが最善かを瞬時に考え、導き出せる力を育むことが、避難訓練の最大の目標なのではないでしょうか。教師が計画した綿密な避難経路を徹底することや、放送に合わせて整列して移動することが目的ではありません。

その力を付けるためには、訓練する上で、混乱したり、時間がかかったりとうまくいかないこともあるでしょう。でもそれに寛容になっていかなければなりません。「そうだよね、最初はうまくいかないよね」「急に避難しろと言われても、混乱するよね」というのがスタート。そして「でも、君たちはどう考える? これが訓練じゃなかったら、どうしただろう?」、そう投げ掛けて一緒に考えることこそが、避難訓練であり、防災教育なのではないでしょうか。

子供たちを当事者にするためには、まず教師自身が本気で考えて当事者にならなければいけないと思います。

震災を経験した教師が伝え続けること
――菊田さんはどう感じますか。

右上から時計回りに、菊田佳那さん、山本崇雄教諭、桝田順子教諭、教育新聞記者の板井海奈

菊田 非常勤講師として勤めている多賀城市の小学校は、東日本大震災で津波の被害を受けています。ですが、学校でカリキュラムを組んで防災学習には取り組んでいません。避難訓練も山本先生がおっしゃったように、事前に教員や児童に共有した上で実施しています。その学校だけでなく、多くの学校がこのような現状にあるように思います。

私は気仙沼市立階上中学校という、防災教育にとても熱心な学校出身です。年間35時間のカリキュラムを組み、3年間で「自助、共助、公助」を学びます。それが当たり前だったので、震災を経験した教員として、経験していない子供たちにどう継承していけるのか、どんな役割を担っていけるのか、疑問に感じています。

桝田 階上中学校は、全国的に見てもレベルの高い防災教育を展開されています。

一方で、菊田さんが指摘されたような学校が多いのも事実です。防災教育の必要性は感じていながらも、要する時間や内容を考えたときに、ハードルを高く持ちすぎてしまい、なかなか着手できていない実態があります。

でも考えてみてください。防災は、身近なところに溢れていますよね。国語でも、算数でも、英語でも、どの教科にも少しずつ、防災の要素は取り入れられます。カリキュラムをがっつり作るのももちろん防災教育ですが、自分が関わる教科や授業の中で要素として混ぜることもできるのです。どんなことも防災と関わるという広い視点を持っていると、気負い過ぎずに自分も楽だし、アイデアがどんどん湧きますよ。

あと、子供からの視点でもう一つアドバイスさせてください。子供たちには、いろいろな将来の夢がありますよね。そういう夢の一つ一つに、「じゃあ、もしその立場で災害がきたら」と防災の視点を入れてみる。

例えばケーキ屋さんだったら、「避難所でおいしいケーキを配ったら、みんな喜ぶよね」という言葉を掛ける。そうやって、子供たちが社会や地域のために自分も何かできるのだと考えられるきっかけを与えられたらいいように思います。

――菊田さん自身、充実した防災教育を受けて、実生活で生かせたと感じたことはありましたか。

菊田 実際に震災を経験したとき、自分がやるべきことがすぐに頭の中に湧いたのを覚えています。最初は校庭に避難して、津波が来るから校舎3階に移動するとなったときも、私を含めた生徒たちが自然に地域の高齢者の方を手助けできました。また消防隊の方が来たときも、「何か必要なものはありますか」「お手伝いできることはありますか」と声を掛けて、常に自分ができることは何かという視点を忘れなかった実感はあります。

日ごろの学びの成果が出て、自律的な行動につながったように思います。

子供たちが重たい使命感を負わないために
――3.11以降も自然災害や新型コロナウイルスなど、社会の混乱が続きます。子供たちがそんな逆境の中でも生き抜けるために、学校教育に何が必要でしょうか。

桝田 防災教育を通して児童生徒に「あなたもできることがあるよ」「自分の力を発揮していいんだよ」と伝えるのは、良い面もありますが、彼らに負荷を与える面もあると思っています。

例えば何か大きな災害が起こったとき、家族を亡くした子供が、「自分に何かできたことがあったのかもしれない」と自責の念に駆られるようでは何の意味もありません。これまで防災教育に長く携わってきましたが、そのバランスが難しいという葛藤は常に持っています。

私たち大人が思っている以上に、子供たちは「頑張らなきゃ」と強く感じています。もちろん社会を良くしていくことは大切ですが、これまでの社会をつくったのは私たち大人です。その責任を子供たちに全て負わせるのは、間違っているように思います。子供たちが重たい使命感を負う必要がないことも、併せて伝えていきたいと思っています。

まずは、自分の幸せをちゃんと考えられる人になってほしい。その上で、周りの人の幸せも考えてくれればいい。自分も幸せ、周りも幸せ、それぞれが幸せであれば、最終的に社会や世界は穏やかになるものだと捉えてほしいです。

山本 まずは全ての大人が、教育がこれからの社会を構成する一翼を担っているということを、改めて再認識するのが必要だと思います。その上で、どんな社会をつくりたいか、合意形成を進めていく。

今、日本を含め世界全体が依存型の社会になりつつあると感じます。コロナ禍で浮き彫りになりましたが、さまざまな情報に踊らされるばかりで、主体的に考えられる大人が少ないのではないでしょうか。この原因はこれまでの教育の在り方にあると、私たち教師は受け止めなければなりません。

子供たちに自律的に幸せになってほしい、多様性を受け入れながら自分の目標を達成してほしいと願うならば、そのための教育や学校であるべきです。入試や試験、教科の授業は、あくまでそのための過程。最上位の目標を最優先させ、子供たち自身が選択し、自律的に学べる学校にするために、一人一人の教員がもっと議論を深めなければなりません。

多用性を受け入れて合意していくための対話が、大人を含め、今の日本では足りていません。学年や年代、環境、国境の違いを超えた対話の場を持つことで、多様性や違いを踏まえ、自分の幸せや世界の幸せをつくっていく経験ができます。それを児童生徒自身が実感するために、学校現場に何が求められているのか、私たち教師は本気で考えなければなりません。

【プロフィール】

桝田順子(ますだ・じゅんこ) 1998年兵庫県立高校の教員に採用される。2009年舞子高校に赴任。10年から7年間環境防災科で担任を務め、18年より科長となる。兵庫県震災・学校支援チーム(EARTH)に所属。防災教育学会員。

山本崇雄(やまもと・たかお) 新渡戸文化小中高校統括校長補佐。都立両国高校附属中、都立武蔵高校附属中で自律型学習者を育てる「教えない授業」を実践。新しい教育の在り方を提案する「未来教育デザインConfeito」の設立にも携わる。著書に『なぜ「教えない授業」が学力を伸ばすのか』(日経BP)など多数。

菊田佳那(きくた・かな) 1996年、宮城県気仙沼市生まれ。同市立階上中学校、同県立宮城県気仙沼高校卒業。東日本大震災時は中学2年生。2021年3月宮城教育大学大学院 教育学研究科 修士課程修了予定。22年度より宮城県の公立学校で教員として、教壇に立つ予定。

この特集の一覧

関連
関連記事