障害のある子供と一緒に競い合う スポーツの持つ夢と力

身体的な面では健常者と違いがないにもかかわらず、知的障害のある子供たちがスポーツを楽しめる環境は十分に整っていない。しかし、少しずつ変化の兆しも見え始めている。障害の有無に関係なくあらゆる人が同じ競技に参加し、互いに高め合うことが当たり前になれば、インクルーシブな社会の実現への近道になるかもしれない。そんな夢に向けて奮闘する教師や子供たちにスポットライトを当てた。


教師になって34年、甲子園への夢の始まり
生徒のバッティングを指導する荻野さん(左)

学校が春休みに入った3月下旬、「春のセンバツ」が盛り上がりを見せる中、都内のとある屋内野球練習場では、はやる気持ちを隠せないでいる球児たちの姿があった。

「34年目になってやっと、知的障害のある特別支援学校の生徒が硬式野球をする姿を見ることができた」

そう振り返ったのは、東京都立青鳥特別支援学校の久保田浩司教諭(2020年度末まで都立中野特別支援学校)。知的障害のある特別支援学校高等部の生徒に硬式野球を教え、将来的には硬式野球部をつくって「甲子園」の予選に出る。そんな「甲子園 夢 プロジェクト」を立ち上げようと、久保田教諭が記者会見を行ったのは3月初めのことだった。「正直なところ、誰も来ないんじゃないかと思っていた」と話す久保田教諭だが、プロジェクトがメディアに取り上げられると、連日のように問い合わせの電話が鳴ったという。

指導は、社会人野球チームYBC柏の監督や特別支援学校でソフトボールの指導をしてきた久保田教諭をはじめ、千葉ロッテマリーンズで投手として活躍した荻野忠寛さんやYBC柏の選手らがボランティアで担うほか、報道を見て久保田教諭の思いに共感した教員も協力に名乗りを上げた。

特別支援学校高等部にもさまざまな運動部活動はあるものの、「危険だから」などの理由で、硬式野球部が置かれている学校はほとんどない。そのため、知的障害のある生徒が甲子園やプロ野球に憧れ、「硬式野球をやりたい」と思ってもかなわないという実情がある。

この日、初めての練習会に集まったのは11人の生徒とその保護者ら。中には、京都府や愛知県から車で駆け付けた親子もいた。野球は初心者という生徒もいて、経験値はばらばらだが、「硬式野球をやりたい」という思いはみな同じだった。

「やりたいポジションはある? うまいか下手かは関係ないから。野球は自分が得意なことをやればいいんだよ」と荻野さんらが緊張を和らげようと気さくに声を掛けながら、練習がスタート。顔を合わせたばかりで、最初は口数が少なかった生徒たちも、ノック練習が始まると次第に打ち解け、「ナイスプレー」などと声を掛け合うようになっていった。

バッティング練習では、空振りしている生徒を見つけた久保田教諭がそっと近づいて耳打ちをする姿があった。すると、驚くことにその直後、生徒のバットはボールを捉えるようになった。

「『空振りしてもいいから思い切り振ってごらん』と言っただけ。おっかなびっくりしているのが一番いけない。一度当たれば、その子の自信になる」と、後で久保田教諭は指導の秘訣(ひけつ)を教えてくれた。

知的障害のある選手も一緒に野球ができる社会を
子供たちに初めての硬式野球の感想を聞く久保田教諭

硬式野球の夢を見ていたのは、子供だけではない。

わが子が野球をする姿を初めて見た瀧口茂隆さんは「息子は小さい頃から野球を見るのが好きで、ずっと野球をやれる場を探していた。キャッチボールをしたことがあるくらいで、ほとんど初心者だが、野球をしたい子たちと一緒に、こうして野球をやれていることがありがたい」と感慨深げだった。

インターネットのニュースで知り、息子を連れてきた説田俊江さんも「特別支援学校の高等部に入るときに、野球部のある学校を探したが、通える所にはなかった。今は小学生の頃からお世話になっている少年野球チームで『指導者』をしたり、公園で友達とキャッチボールをしたりするくらい。だから、心から楽しんでいるのが分かる。今日は本当に、来てよかった」とほっとした笑顔を浮かべた。

最後に、元プロ野球選手の荻野さんが投げる球を打ち返すという夢のような体験をして、2時間の練習メニューはあっという間に終了。次回までに自主練習できるようにと、1人に1球ずつ硬式野球のボールがプレゼントされた。

練習に参加した生徒に話を聞くと「父が野球をやっていて、キャッチボールはしていたが、チームで練習したことはなかった。いつかピッチャーとしてマウンドに立ちたい」(栃木県立宇都宮青葉高等学園3年の荒井翔瑛さん)、「楽しかった。野球をやっている以上、甲子園は憧れの舞台。バットに当たったときの衝撃は軟式と全然違った。ほんの少しの練習でも、すごくうまくなった気がする」(神奈川県立中原養護学校3年の松前敦喜さん)と、口々に感動を語ってくれた。

もともと、都立高校の教員として野球部の監督となり、甲子園に出場することが夢だった久保田教諭が、最初に赴任したのは養護学校(当時)だった。その学校にある「野球クラブ」を任せられ、投げ方も知らない生徒たちにボールの握り方や投球時のステップなどを丁寧に教えると、見る見るうちに真っすぐボールを投げられるようになった。その喜びを全身で表現する生徒たちの姿を見て、久保田教諭は新たな夢を見つけた。

その後、ソフトボール部の顧問として、都の特別支援学校の大会では通算14回の優勝に導いたが、一般の高校との練習試合は断られ続け、やっと受けてくれた女子チームには大敗した。そこで、腕を大きく1回転させる「ウインドミル投法」を自ら習得し、コツを子供たちに丁寧に伝えるなどして実力を付け、一般のチームと試合する機会も次第に増えていった。初めて一般の大会で勝利したときには、部員も保護者も「やればできる」と歓喜したという。

そうしてソフトボールでは実績を積み重ねていったが、硬式野球をやりたいという生徒がいても、学校としてできない状況は変わらなかった。

「いつか子供たちと硬式野球に挑戦したい」

その思いが久保田教諭の中で次第に大きくなっていき、野球を愛するさまざまな人が応援する「甲子園 夢 プロジェクト」として形になった。

夢への第一歩を踏み出した久保田教諭は「硬式野球をやりたくてもできなかった。そういう思いを持った子がこんなにいる。保護者もやらせてあげたかったんだと思う。この子たちが甲子園の予選に出られるように、学校にも硬式野球部をつくってくれるよう直談判していきたい。野球をやることに障害の有無は関係ない。知的障害のある選手も一緒に野球ができるように、社会の認識を変えていかなくてはいけない」と力を込める。

プロジェクトでは、今後も練習会を定期的に開催していくという。練習会への参加希望などの問い合わせは久保田教諭(090-4661-6022)まで。

いつか「自分の技」を持った選手に
華麗な技を決める有山大翔さん(有山みゆきさん提供)

「それまでは『俺なんかどうせあかんわー』が口癖だったのに、スケボーがうまくなってくると自分に自信が出てきた」

そう語る母親の有山みゆきさんの隣には、日中の猛練習でくたくたになり、眠い目をこすりながら取材を受けてくれている大翔さんの姿があった。

発達障害の一つである注意欠陥・多動性障害(ADHD)があり、小学校では特別支援学級に通っている大翔さんは、オリンピックでメダルも期待される日本スケートボード界注目の新人だ。3月に行われた日本スケートボーディング連盟が主催する「JSF WINGRAM CUP」の、12歳以下の部門で2位に輝き、4月からは大人の部門に活躍の場を移す。

教室を突然飛び出してしまったり、音に敏感だったりする大翔さんに「とにかく体を動かして疲れさせれば、多動も多少はましになるかもしれない」と考えたみゆきさんがスケートボードを勧めたのは、大翔さんが小学1年生の頃だった。最初は近くを消防車が通り過ぎるだけで気が散ってしまうなど、長続きするか心配だったが、当時スケートボードを指導していたコーチが「足し算をしながら滑る」など、集中力を高める練習の仕方を工夫してくれた。そうして、できる技が少しずつ増えてくると、大翔さんは一気にのめりこんでいった。

「技が一つできるようになったら、さらに次の技をやりたくなる。数えきれないほどのたくさんの技があり、それを覚えるのが楽しい。いつか、この技なら誰にも負けないというような『自分の技』を持った選手になりたい」と大翔さんは言う。今では、学校が終わってから午後9時ごろまで、毎日4時間の練習を欠かさない。

スケートボードの上達とともに、学校生活でも落ち着いて過ごせる時間が増え、周囲から一目置かれたり、応援されたりすることが自信につながっていった。大会では、うまくいかないと壁に頭を打ち付けるなど悔しい感情を抑えきれないときもあるが、それで周囲から何か言われたことはない。大翔さんに障害があることを知らない選手も多く、全国2位の栄冠は完全な実力勝負の結果だ。

「大会で好成績を残せば、中学生からプロになることもできる」と語る大翔さん。実はサーフィンとスノーボードでも、かなりの実力を誇る。

「まだ3S(スケートボード、サーフィン、スノーボード)全てでプロになった選手はいない。同い年で自分よりうまいライバルはたくさんいるけれど、日本で初めての3Sのプロを目指したい」

そう夢を語る大翔さんを見つめるみゆきさんは「息子は負けたときも障害のせいにはせずに、自分の努力が足りないんだとさらに練習する。障害があるかないかは関係ない。今ではすっかり頼もしくなった。これから何かしてくれそうな気がして、今から楽しみ」と目を細める。


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