【社会へのパスポート】 生徒と社会をつなぐ窓口

3月まで勤務していた市立札幌大通高校で、数々の「社会とつながる教育実践」に取り組んできた札幌市教委の西野功泰(よしやす)指導主事。道立の教員だった西野氏が、札幌市立高校の教員採用試験を受け直してまで、同校で働きたかった理由は、「社会に近い、開かれた学校」というコンセプトに強く惹かれたからだった。自身は社会とのつながりが皆無だったというが、そうした状況からどのように実践を展開してきたのか。その軌跡を聞いた。(全3回の第2回)

この特集の一覧

「社会に近い、開かれた高校」で働きたい
――もともとは道立高校の教員で、札幌市立高校の教員採用試験を受け直したそうですね。

大学卒業後、最初は札幌市立高校の昼間定時制で2年間、期限付き教員として勤務しました。その後、北海道の教員として正式採用となり、釧路市の道立高校に勤務していました。ただ、その高校は3年後には閉校することが決まっていたんです。

私は商業・情報科の教員なので、マーケティングやビジネスに関わる科目を教えてきたのですが、自分自身は企業で働いた経験がありません。それがコンプレックスでもあり、教材研究をしても物足りなさを感じていました。

釧路の高校では、3年目に進路指導部長を任され、その高校の最後となる卒業生の「進路決定100%を目指す」というミッションを与えられました。そこで私は就職支援の一環として、地元の外部企業と連携しようと試みました。

企業側からは、快く「協力しますよ」との返事をいただきました。しかし、当時は学校と特定の企業が連携することへのハードルが非常に高く、実現には至らなかったのです。

生徒たちが頑張ってくれたおかげで、どうにか進路決定100%は達成できたのですが、私自身は「なぜ外の企業とつながれないんだ」という悔しさや、なんとも言えないモヤモヤ感を抱きました。

社会とつながれない悔しさを感じた過去もあったという西野指導主事

そうして教師をやめようかとまで考え悩んでいた時に、札幌市の知り合いから、「お前にぴったりの学校が新設されたよ」と連絡をもらったのです。それが市立札幌大通高校でした。

学校のコンセプトは、「社会に近い、開かれた高校」。私はこのコンセプトに強く惹かれ、どうしてもこの高校で働きたいと思いました。そして、札幌市立高校の教員採用試験を受け直し、設立2年目の2009年から21年3月までの12年間、同校に勤務できました。

――新設校だったのですね。どのような学校だったのですか。

札幌市立の定時制高校として、08年に開校しました。午前、午後、夜間の三部制で、単位制を導入しています。全校生徒は約1100人、教職員も100人以上いて、定時制としては東日本でも有数の規模を誇ります。

定時制といえば、かつては勤労青少年が通うイメージがありましたが、実際に市教委が調査をしたところ、働きながら定時制高校に通っている生徒はほとんどいないことが分かったのです。

では、どういう生徒が通っているかというと、何らかの困りごとを抱えていたり、不登校を経験したりしている生徒が大多数を占めていました。これは札幌市に限らず、全国的な傾向だと思います。

札幌市ではそうした生徒を手厚くサポートしていこうと「新定時制構想」を打ち上げ、それまで市立高校4校に併設されていた定時制を統合して、市立札幌大通高校を新設したのです。札幌市が抱える課題を解決するための学校であることは、間違いないと思っています。

自分たちで創っていく
――強い思いを持って赴任されたのですね。

ただ、念願かなって市立札幌大通高校で働けることになったのに、赴任当初は「誰も教えてくれない」状況に、不満ばかり漏らしていました。

――「教えてくれない」とは、どういうことなのでしょうか。

市立札幌大通高校には「学校設定科目」がたくさんあります。例えば、「表現メディア」と授業名は決まっているのに、「授業の内容はどうすればいいのですか?」と聞いても、「自由にやってくれていいから」と言われるわけです。

当時の私は、完全に受け身の人間でした。だから、「なぜ、こんなに教えてくれないんだろう」「これじゃ丸投げじゃないか」と不満ばかり漏らしていたんです。

でも、そんな私を見ていたある先生が、「これをチャンスと捉えた方がいいよ」とアドバイスしてくれました。「あれをやれ、これをやれと指示されて、決められた仕事をするのと、自分で仕事を創っていくのと、どっちが楽しそう?」と聞かれたのですが、そう考えると断然、後者が良かった。それ以降は、自ら動き出すようになりました。

――何も決まっていないけれども、新たに創っていけるという良い面があったわけですね。

前任校の釧路の高校は、着任したときから3年後の閉校が決まっていたので、やることもある程度は決まっていたし、新たに取り組めることは少なかったんです。もちろん、その中で自分なりに考えて取り組んではいましたが、今考えると「与えられた仕事」をやっていたのだと思います。

一方、札幌大通高校に来てからは、白紙の紙をポンと一枚渡されて、そこに自分自身が何を描くのかを問われたような感覚でした。アドバイスを受けて以降は、「よしやるぞ!」と、スイッチが入ったのを記憶しています。

でも、どうやって社会とつながればいいのか、学校を社会に開けばいいのかを考えたときに、自分自身に何も引き出しがありませんでした。だから、まず自分自身が社会とつながらなくてはいけないと考えました。

社会と生徒をつなぐ窓口になる
――どんなことから始めたのですか?
自分で仕事を創っていった市立札幌大通高校時代

何からやればいいのか分からないので、インターネットで気になるワードを検索してみたら、市内で行われている「異業種交流会」というのが出てきて、とりあえず申し込んでみました。

不安な気持ちを抱えたまま行ってみると、そこにいるのは企業の社長や保険会社の人、NPOの代表などでした。「あぁ、場違いなところに来ちゃったなあ」と後悔し、いつでも逃げられるよう出入り口に一番近いところに座っていました。

間もなくして自己紹介が始まり、自分の過去、現在、そして未来の展望を語って、最後に「ここにいる人たちに対して、自分が提供できる価値を話してください」と言われました。

私は全く思い浮かばなかったのですが、他の人はスラスラと語っています。しかも、ものすごく面白くて、逃げ出すのも忘れてみんなの話に聞き入っていました。「もっと話を聞きたい」「生徒とこの人をつなげたら面白そう」とワクワクしている自分がいました。

そうこうしているうちに、とうとう私の番が来てしまいました。ふと、自分にとっては高校生と接するのが日常だけれども、他の人はそうではない。私は、今の高校生が何を考え、何をやりたいのか、何に悩んでいるのかを伝えることができるのではないか――。そう思って、「皆さんと高校生をつなぐ窓口になれます」と伝えました。

皆さんの反応をはかりかねていたのですが、その後の名刺交換タイムに、私のところへ何人か来てくれたのです。ある方は、「大学は窓口もあっていろいろと連携しているけれど、高校はクローズなイメージがあって、つながり方が分からなかった。先生が開いてくれるなら、ぜひ何かやりましょう」と言ってくれました。

もう、その言葉がうれしくて、うれしくて……。それで、すぐに企画書を書いて管理職に持って行ったら、中身もほとんど見ないまま、「いいよ、いいよ。西野先生、どんどんやって」と、ゴーサインを出してくれました。

その翌日には、交流会でつながった方々を学校に招き、生徒たちも巻き込みながら、「こんな面白いことをしている人がいるんだけど、何ができるかな?」と話し、少しずつ社会や地域とつながる試みを始めていきました。

「今の高校生はお膳立てしないと何もできないの?」
――そこから「ミツバチプロジェクト」など、社会とつながる教育実践が生まれていったのですね。
まずは自分が社会とつながることから始めた

この後、私は勢いづいていろいろな人とつながろうとしました。とにかく、当初から私は「本物の体験」を授業の中に色々と組み込みたいと考えていました。この頃、私が考えていた「本物」とは、ビジネスや社会の実際であり、「体験」とは、学校外の専門家と触れ合いながら学ぶということです。

ある時、札幌市内でまちづくりに関する面白い取り組みをしている会社があり、その活動を授業に取り入れたいと思って、統括部長さんに会いに行きました。

それで、「今の高校生はこうなので、こういう風にしていただけると……」と話していたら、統括部長さんに「今の高校生は、そんなにお膳立てしないと何もできないんですか?」と言われたんです。

ハッとしました。それまで私は、生徒を「受け入れてもらう」「指導をお願いする」というように考えていたのです。そこで、「お時間があれば、ぜひうちの生徒に会いにきてくれませんか?」とお願いしました。

そうしたら、学校に来てくださって、生徒たちともたくさん対話をした上で、帰り際に「生徒さんのこと、よく分かったよ。一緒にやっていきましょう」と言ってくださったんです。

「一緒にやる」というのは、生徒たちがその人や会社に貢献できることがあるということです。この経験から、私自身の考え方も「どうやったら一緒にやれるか」「どうやったら向こうにとっても、長く続けられるプロジェクトになるか」というように変わっていきました。1、2年で終わるようなイベントではなく、長期的なプロジェクトにしていく意識を持って、社会とつながるようになっていったのです。

(松井聡美)

【プロフィール】

西野功泰(にしの・よしやす) 札幌市出身。今年4月から札幌市教育委員会学校教育部教育推進課の指導主事。大学卒業後、期限付き教諭として札幌市立高校の昼間定時制で2年間勤務し、その後、北海道立高校教員として正式採用され、釧路市の道立高校で3年間勤務。札幌市立高校の教員採用試験を受け直し、2009年から市立札幌大通高等学校の商業・情報科教諭として、12年間勤務した。同校では「チャレンジオータム」事務局長や、「高校生チャレンジグルメコンテスト」事務局長を兼任。「アニマドーレプロジェクト」や「札幌ラウンドテーブル」など、教育や地域に関わる企画に多数携わる。18年から20年まで福井大学大学院・福井大学・奈良女子大学・岐阜聖徳学園大学 連合教職開発研究科所属。

この特集の一覧