【コロナと教育・英国編】 英国の大学がコロナ禍で果たした役割

新型コロナウイルス対策の初動に失敗し、感染が急拡大した英国。ただその後の政治と科学技術との連携により、欧州で最も早く危機を脱しつつある。ロンドンに居住する国際ジャーナリストの木村正人氏が、その背景を解説する(全2回の第1回)。

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「教授陣には先見の明があった」

英オックスフォード大学化学科博士課程(ケミカルバイオロジー)の岸上知志さんは「新型コロナウイルスの感染が中国で問題になり始めた昨年初頭から、教授たちはコロナ関連の研究アイデアを話し始めていた。動き出しは早かった。研究室内のミーティングでもかなりオープンに、こんなアイデアがあるのではないか、と議論していた」と振り返る。

オックスフォード大学化学科博士課程の岸上知志さん(本人提供)

「その時点で僕は、コロナがここまでの事態になるとは思ってもいなかった。教授陣の目の付け所は本当に正確だったし、先見の明があった。英国の大学には研究主宰者としてスタート地点に立っている若手研究者と、ベテラン教授が対等にディスカッションできる環境がある」といい、「分野が全く異なる専門家が集まって議論して、良いシナジーを出す文化がある。それがインパクトの強い研究成果につながっていると思う」と分析する。

細胞生物学者、タンパク質の構造解析、その構造を人工的に改変するエキスパートが一堂に介して議論する熱気に、岸上さんは圧倒されたという。

英国の感染症研究の歴史は長い。それまでの蓄積も大きいが、英国は素早く重要なことにお金を回し、人材もコロナ関連に振り向けた。死者15万人超という欧州最悪の被害を出したが、科学の英知を結集して、欧州の中で最も早くコロナ危機から抜け出しつつある。現在の入院患者数は1100人を下回っている。

初動で大敗、重層的な対策へ

英国は大学、分野、臨床と研究、科学と政治の垣根を越えてコロナ対策に取り組んだ。初期のコロナ対策で“大敗”を喫した英国をウォッチしてきた筆者は、全容を見せ始めた重層的な英国のコロナ対策に驚嘆させられる。

  1. 非医薬品介入:ロックダウン(都市封鎖)に象徴される行動制限
  2. 大量検査:感染状況を正確に分析するため延べ1億5000万回を超える検査を実施(日本は1200万回超)
  3. ゲノム解析:陽性と判定された検体の5~10%のゲノムを解析し、変異株を検出
  4. ワクチン開発:エボラ出血熱や中東呼吸器症候群(MERS)のワクチン開発に取り組んできたオックスフォード大学は、300日でコロナワクチンの開発に成功。ボリス・ジョンソン英首相は「300日を100日に短縮する」と宣言
  5. ワクチン接種:ワクチン候補を大量に青田買いするとともに国内の承認プロセスを迅速化。ワクチン接種による集団免疫を目指す
  6. 治験:大規模ランダム化比較試験で抗炎症薬が重症患者の死亡率を減らすことを確認。抗ウイルス薬の治験も開始
  7. アプリによる接触追跡:入院患者の3分の2を発見できず、失敗に終わる

医学研究を支援する英慈善団体ウェルカム・トラストの英・欧州連合(EU)政策責任者、ベス・トンプソン氏は英国の成功についてこう解説する。

「パンデミックへの公衆衛生の初期対応は困難を極めた。その一方で、ライフサイエンスと研究開発の対応は非常にうまく行った。ワクチン開発への投資、大規模ランダム化比較試験への支援が早い段階で実行された。英国には専門家やインフラがすでにあり、そこに投資すれば良かったのだ」

ウェルカム・トラストのベス・トンプソン氏(本人提供)

トンプソン氏はEUデータ保護規則への取り組みで、MBE(大英帝国勲章の一つ)を授与されている。「個人というよりシステムの強さだ。ライフサイエンスの人材が豊富で、アイデアが湧き上がってくるインフラがある。科学界で重要な議論が行われる一方で、政治家も巻き込んで一緒に取り組んだ」と話す。

第二次世界大戦で工業力ではとても勝ち目がないドイツに対抗するため、ウィンストン・チャーチル英首相は物理学者フレデリク・リンデマン氏を助言者に招いた。これが現在の政府や各省庁の首席科学顧問につながっている。内閣府の危機管理対策室(COBRA)に科学的助言を提供する緊急時科学的助言グループ(SAGE)も、今回のコロナ危機でフル回転した。

「政治と科学の関係がいつも完全に働くとは限らない。政治家は科学がどのように機能するかを理解しなければならないし、科学者も政府の政策決定の難しさを理解する必要がある。科学だけやって済むのであれば気楽だが、科学者のコミュニティーにも政治判断や外交の性質を知る人材が欠かせない」

英政府は2027年までに研究開発費を国内総生産(GDP)の2.4%に引き上げ、長期的には3%を達成する目標を掲げる。17年はわずか1.7%だった。

「今の投資レベルで英国の科学を発展させ続けることはできない。政府は野心的な目標を達成することを望んでいるが、 2.4%は経済協力開発機構(OECD)の平均に過ぎず、道のりは長い」

大学が製薬大手を説得

世界大学ランキングを発表している英高等教育情報誌タイムズ・ハイヤー・エデュケーション(THE)のフィル・バティ首席ナレッジ・オフィサーは、こんなエピソードを取り上げた。

THEのフィル・バティ首席ナレッジ・オフィサー(本人提供)

「ジョンソン首相は私的会合で、英国のワクチン計画がうまく行ったのは強欲さと資本主義のおかげと発言したが、実際には国立衛生研究所とUKリサーチ・イノベーションの公的資金に支えられてきたからだ。オックスフォード大学が、パンデミック中はワクチンを原価販売するとの約束を、何とか英製薬大手アストラゼネカから取り付けるよう説得したのが実情だ」

ジョンソン首相は昨年秋に「3回目のロックダウンをするぐらいなら、死体の山が高く積み上がるのを見た方がマシ」と発言したとも報じられたが、これはさすがに「全くのデタラメ」と否定した。

ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)をはじめ、英国の大学は拡大戦略をとっている。

「ケンブリッジ大学が良い例だ。ケンブリッジ大学は急成長を遂げ、テクノロジーの才能の、世界的ハブのようになった。ケンブリッジは歴史ある小さな街だが、大学の周りに起業家や企業が集まり、交通渋滞や駐車場、住宅の問題が起きている。市場の力を高等教育に注入しようと試みた政府の政策が成功したのだ」

「科学を支援し促進するため、投資を増やす」

英下院科学・技術特別委員会のグレッグ・クラーク委員長はEU離脱に備え、テリーザ・メイ前首相時代の2018年末に、ビジネス・エネルギー・産業戦略相として「未来に向けた英国の産業戦略」をまとめた。生産性の柱としてアイデア、人材、インフラ、ビジネス環境、地域社会を挙げ、(1)AIとデータ革命(2)モビリティ産業(3)低炭素経済への移行(4)高齢化社会のニーズに応えるイノベーションの最先進国――を目指している。クラーク委員長に聞いた。

――英国の大学はEU離脱のショックを乗り越えられますか。

生き残り、繁栄します。英国の大学はEUという枠を越えて国際的な評価を得ています。英国がEUに加盟していたから高い評価を受けていたわけではありません。他者に依存しない高い研究力と教育力があるからです。EU離脱後も研究分野でEUとの協力を継続することで合意しましたので、離脱による影響は限られています。英政府は研究開発の予算を年110億ポンドから220億ポンドに倍増します。とりわけ大学を含めた研究にとって、成長期になりそうです。

――英国のワクチン展開は迅速かつ円滑に行われました。EUを離脱したことが要因だったのでしょうか。

ブレグジットがわが国でのワクチン展開を助けたと思います。EUには27カ国が加盟し、集団的なスキームを担っています。展開が遅く、面倒で、機敏さに欠けています。これに対して英国は一つの政府で、非常に行動的で敏捷でした。アストラゼネカ製ワクチンの開発への投資と、そしてうまく行かなかった時のことを考えて複数のワクチンを調達しました。それが成功を収めたことが証明されました。EUではワクチン接種がまだ十分には進んでおらず、重大な結果をもたらすことになるでしょう。

筆者の取材にオンラインで答えるクラーク委員長(スクリーンショット)

――パンデミックの間、オックスフォード大学と英製薬大手アストラゼネカが共同開発したワクチンを巡り、EUは英国を攻撃しているように感じました。複数のパートナーによる研究・イノベーションプロジェクトを助成するEUの枠組み「ホライゾン」は約束通り無事、継続されるでしょうか。

われわれはホライゾン・スキームの協力を続けます。ホライゾンに参加しているのは非常に名声のある大学です。しかしホライゾンは英国の研究資金の小さな部分を占めているに過ぎません。研究資金の大部分は英当局と英国の大学自身が握っています。本当に大きな拡大、おそらく過去最大の大学研究の拡大が予算倍増によって起きるでしょう。

――オックスフォード大学のジョン・ベル欽定教授(免疫学・遺伝学)はライフサイエンス産業戦略をまとめ、続いてあなたが「未来に向けた英国の産業戦略」を発表しました。ベル氏のアイデアはどのように生かされましたか。

ベル氏は産業戦略、特にライフサイエンスで非常に重要な役割を果たしました。彼の大きなアイデアは大学研究の発見だけにとどまらず、医薬品やワクチンの製造業にも大きな投資をすべきだと提言していました。大学も産業界も高い付加価値をもたらし、イノベーションを起こし、英国の復元力や機会創出に貢献します。ベル氏は製薬メーカーの重要性を強調しました。
ベル氏はまたライフサイエンスの産業戦略では政府とビジネス、研究機関、大学、全市民に原則無償で医療を提供するNHS(国民医療サービス)の協力、恊働が重要だと指摘しました。これはパンデミックにおいて不可欠でした。ベル氏はワクチンへのアプローチへの成功をもたらしたのです。

――政治と科学の関係は、日本や米国でも非常に複雑です。どうして英国は政治と科学が非常にうまく協力できるのですか。

私がベル氏と一緒に発展させた産業戦略を通して、科学を巡って政治と科学が共同して決定を下してきました。大学での研究、独立した機関は政府によって資金を提供されてきました。NHSではワクチンや治療、医薬品が活用されます。産学が共同するのには共通の利益があります。新しい製品を開発するために投資家や企業に自信を与えます。そしてNHSの患者はそうして薬を早く入手できるのです。科学と政府と政治が良好な関係を持っているから実現できるのです。

――英国の研究開発への投資はOECDの平均を下回っていますね。

英国の研究開発費はGDPの1.7%でした。OECDの平均は2.4%です。研究開発への投資が多いイスラエルのような国に比べると随分遅れを取っていますが、それでも英国の大学は国際的に非常に強い評価を得ています。27年までに研究開発費を増やし、最終的なゴールの3%にはこの10年間に到達するとみています。大学の研究が繁栄し、競争力をアップできるよう投資をもっと増やすとともに、世界中の大学と協力します。

――ジョンソン首相の「英国は科学の超大国を目指す」という目標は現実味がありますか。

科学の超大国を目指すという目標を産業戦略の上に掲げるのは正しいことだと思います。科学はわが国の得意分野で、世界はこれから未来に向かって科学や科学的イノベーションがもたらす成果にもっともっと興味を持つようになります。科学を支援し、促進するために投資を増やすことを選択すべきです。だからこそ科学とイノベーションを政府の主要な優先課題に選んだのです。

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