【マラウイ編】 うまくいっていない初等教育

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最貧国の一つ

僕は成田空港でマラウイ行きをすでに後悔し始めていた。3月下旬の桜が咲く頃に、付き合い始めて間もない恋人との2年間の別れはあまりにも辛かった。JICA海外協力隊として新天地を夢見て志し始めたのは、彼女と出会うずっと前のことだった。「出会い」がどれほど人の気持ちを変化させるのか痛いほど感じた。

成田を離陸した飛行機は定刻通り、香港で南アフリカ行きの飛行機に接続した。南アフリカを経由し、約25時間を機内で過ごし、最終目的地のマラウイ共和国の首都リロングウェにあるリロングウェ国際空港に到着した。

日本とリロングウェとの時差は7時間なので、そこまで身体や頭がぼんやりすることはない。真夏のように照り付ける太陽と、どこまでも続くサバンナ地帯を目の当たりにして、日本から遠く離れた大陸に来たことを実感した。

アフリカ大陸の南東側にあるマラウイ共和国は、周囲をモザンビーク、ザンビア、タンザニアに囲まれた小国だ。面積は11万8000平方キロメートル、日本の約3分の1、人口は1900万人弱しかいない。国土の約20パーセントは、アフリカ大陸で3番目に大きいマラウイ湖が占めている。マラウイ共和国は1907年から1964年まで、イギリスの保護領としてニヤサランド(Nyasaland)と呼ばれていた。1964年にイギリスから独立したときから、チェワ語と英語は公用語として使われており、とりわけマラウイ北部地域ではトゥンブカ語も広くつかわれている。

主な産業は農業で、輸出品としてはたばこや砂糖、紅茶などが生産されている。国民1人当たりのGDPがわずか406ドルであり、世界192カ国中189位。ちなみに日本のそれが4万146ドル(23位)、アフリカ大陸南方の盟主、南アフリカは5067ドル(96位)。マラウイが世界経済の中で“最貧国”の一つと呼ばれるゆえんである。

任地への距離は首都リロングウェから、南東へ約40キロ。郊外なのだが、実際の移動には3、4時間かかる。まずリロングウェから“ミニバス”と呼ばれる公共交通機関である、10人乗りサイズのワゴン車に乗る。現地では30人弱がそこに乗り込むまでミニバスは出発しない。待ち時間が異様に長い。1時間ほどミニバスに揺られた後、“カバザ”と呼ばれる自転車タクシーに乗り換える。いわゆる自転車の荷台部分にお客を乗せた二人乗り自転車だ。

マラウイは雨季まっただ中。任地への道は舗装されていないため、雨が降ると四輪駆動車でも走れなくなってしまうような状況だ。そのような泥にぬかるむ道で、カバザに乗っていられる限界は短い。あとは目的地まで約2時間、カバザの運転手と一緒に歩く。ちまたでは世界で一番歩く速度が遅いのは、マラウイと言われているようだが、泥がぬかるんだり氷のように滑ったりする道を歩くことを含めれば当然だ。そんなわけで、なんとか到着した丘陵地帯にある小さな村「マタピラ」。そこが僕の長年夢見た舞台だ。

任地のマタピラ村

マタピラ小学校

マタピラ村には教師開発センター(Teachers’ Development Centre)という施設があり、その地域の11の学校を管轄している。僕の任務はこの教師開発センターで初等教育アドバイザー(Primary Education Advisor)として活動することだ。

実は近年マラウイでは、小学校の無償化とカリキュラムの大幅な改定があり、初等教育がなかなかうまくいっていないのだ。特に現地では、新カリキュラムで導入されたExpressive Arts (表現芸術および情操的教育) という複合科目が存在し、ダンスや図工、音楽、体育、家庭科のような科目を道徳的な観点も交えて学ぶことになっている。

僕の活動は、この表現芸術情操的教育が少しでもうまくいくように、マラウイ人教師の手本となる教育活動の支援だ。活動初日、意気揚々と乗り込んだマタピラ教師開発センター付属の拠点校に向かう道中で僕が見たものは、歓声を上げながら僕に駆け寄ってくる子供、子供、子供……。身動きが取れなくなるくらいの子供の大群に囲まれながら、拠点校のマタピラ小学校へ急いだ。

マタピラ小学校の朝は早い。基本的に朝7時に始業となる。児童、教員ともに遅刻者は多いが、8時くらいになればおおよそ7割の者は登校、出勤となる。休み時間はなく、10時過ぎをめどに1~4年生は下校となり、午後1時頃に5~7年生も授業が終わる。8年生にはPSLCE (Primary School Leaving Certificate Examination= 初等教育修了試験) が実施されるため、補習で休日や午後を通して授業が行われている。

この初等教育修了時に実施される全国共通の国家試験は、合格基準を満たし、ある水準以上の点数獲得者でないと中高等教育には進学できない。また、この試験結果の成績上位者から国公立や宗教系などの教育環境面に恵まれた学校へ行けるため、PSLCEは初等教育では非常に重要な試験となる。

同じ学年に入学した児童のうち、PSLCEに合格するのは20%に満たない。上位校種に進学できても、中高等学校2年次の前期中等教育修了試験や4年次のマラウイ学校教育修了試験に合格しなければならない。それぞれの合格率は、幅はあるがおおよそ60%ずつだ。つまり、小学1年生が100人いたとして、12年間の学校教育を修了できるのは7人前後ということになる。日本の教育を受けてきた目線からでなくても、厳しい現実だ。

ボランティア・ティーチャー

歓迎してくれた子供たち

マタピラ小の職員会で、自己紹介の時に自分のことを「JICAボランティア」と名乗ってしまったことの重大さに気付いたのは、しばらく後のことだった。マラウイの多くの小学校では各クラスに担任が2、3人配置されており、教科担当制をとっている。現地では“ボランティア・ティーチャー”という無資格者で教員の補助をする制度があり、たとえ「JICAボランティア」と説明しても、「学校に来ているボランティア」、すなわち“ボランティア・ティーチャー”という風に捉えられてしまった。

そのため、「自分の代わりに授業をしてくれる外国人が来た。私の持ち回りが軽くなる」と現地教師の方々に思われた。あながち間違ってはいないのだが、マラウイは完全に上意下達 (トップダウン) の社会のため、現地教師に何か提案をしようと思った時に、(協力隊員が現地教員よりも)低い位か同等の立場だと思われているので、全く相手にされなかったり流されたりすることばかりだった。

活動を始めるにあたって自分の「立ち位置」を最初に示すことは、その後の活動の円滑さに関わる大事な要素だったのだ。ところが、あくまでもこれは任期序盤での話で、現地の住民たちや学校関係者との信頼関係が構築される頃には、“身分”は活動とはもはや関係なくなっていった。
次回はマラウイの教育現場での活動を、もう少し詳しく述べたい。

(坂田真吾=さかた・しんご マラウイでのJICA海外協力隊活動を終え、現在は育児に没頭中)


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