研究大学に10兆円ファンド 日本の科学力はよみがえるか

研究力の低下や資金不足など、多くの課題を抱える日本の大学。政府は10兆円規模のファンド創設など、世界トップ研究大学の実現に向けて動き出している。英国・ロンドンに居住する国際ジャーナリストの木村正人氏が、世界から見た日本の大学の展望を解説する。


英国の大学と人材活用で差

3月24日、内閣府で第1回「世界と伍する研究大学専門調査会」が開かれた。科学技術振興機構(JST)に10兆円規模の大学ファンドを創設して、その運用益で研究大学への長期的な投資を実行する。狙いはズバリ、世界トップの研究大学を日本で実現することだ。来年早々の運用開始を目指している。

初回、英ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)のデービッド・プライス教授が人材活用について基調講演した。研究担当の副プロボストとして大学運営を支えるプライス教授は、井上馨や伊藤博文ら「長州五傑(ファイブ)」、森有礼、寺島宗則、五代友厚ら「薩摩スチューデント」がUCLで学んだ歴史を語りだした。

明治の文豪・夏目漱石、小泉純一郎元首相もUCLの同窓生だ。2014年には訪英した安倍晋三首相(当時)がUCLキャンパスに設置された石碑を訪れている。石碑には「長州五傑」や「薩摩スチューデント」の名が刻まれ、「はるばると こころ つどいて はなさかる」という17文字が添えられている。

世界の“スーパーリーグ大学”として米ハーバード、スタンフォード、マサチューセッツ工科大学(MIT)、英オックスフォード、ケンブリッジ、UCLの6大学の名を並べたプライス教授はこう力を込めた。

「わが校の論文被引用数ランキングは世界10位から4位に上昇し、最新の英大学研究評価(REF)で1位になった」。UCLの収入は06年に694億円だったが、19年には2007億円と実に2.9倍に拡大している。同じ時期の成長率はオックスフォード大学が3倍超、ケンブリッジ大学は2.7倍だ。

ちなみに日本の東京大学と京都大学、東京工業大学は各1.2倍、東北大学は1.1倍と米英の大学に比べると低成長にとどまっている。

しかし対国内総生産(GDP)比で見た研究開発費総額では、英国は1.8%と、韓国の4.6%、日本、ドイツの3.2%、米国の3.1%に比べて決して潤沢なわけではない。それだけ英国の大学は人材活用がうまく行っていると言える証拠だろう。

日本の大学の研究部門が抱える課題として、プライス教授は真っ先に若手研究者への支援とキャリアパスの構築を挙げた。その上で(1)博士課程の学生への支援不足(2)独立した思考を育て、研究主宰者(PI)になる初期キャリアポストの不足(3)ヒエラルキーや年功序列――に問題があるのではないかと問い掛けた。

さらに研究時間が短くなっていることや低賃金で国際的な教員採用が難しいこと、研究成果に対する有効な評価システムが機能していないことも指摘した。

若い世代が育っていない
英ユニバーシティ・カレッジ・ロンドン(UCL)眼科研究所の大沼教授(本人提供)

15年から日英の高校生がロンドンに集う「UCL‐ジャパン・ユース・チャレンジ」に取り組むUCL眼科研究所の大沼信一教授は「お金の問題だけではない。日本が抱える一番の問題は、次の世代を担う若い人が育っていないことだ。工学、コンピューター関係を含め、ほとんどの分野で目に見えるような人材があまりいなくなった」と語る。

少子高齢化が進む日本は、海外の高度人材にも門戸を閉ざしてきた。さらに悲惨なポスドク生活を伝える報道が日本国内で相次ぎ、修士課程から博士課程への進学率は00年の17%から17年には9%に激減。39歳以下の国立大学教員の割合も1986年の40%から2016年には25%に低下している。

教員が研究に割く時間も47%から33%に減った。これで良い論文が書けるはずもない。

論文数の世界ランキングで日本は05年の2位から3位、4位、5位と転落。被引用数が各分野の上位10%に入る論文(Top10%補正論文数)では03年の4位から11位に、上位1%に入る論文(Top1%補正論文数)では02年の5位から12位に落ちてしまった。

大沼教授は「日本の科学技術のレベルは劇的に低下している。なぜ大学の研究の質が落ちているのか。危機感を持った日本政府は特別措置として10兆円ファンドを創設し、その運用で年3000億円の資金を捻出して、トップクラスの研究大学に集中的につぎ込もうとしている」と解説する。

米国の大学では博士課程に進んだ学生の約9割は、何らかの経済的支援を受けることができる。日本でも遅まきながら、博士課程の学生を対象に生活費や研究費を支援できる制度を拡充させる。修士課程からの進学者約3万人のうち約1万5300人を対象にする計画だ。

ごく最近まで日本学術振興会(JSPS)ロンドン研究連絡センター長を務めた上野氏(本人提供)

しかし、ごく最近まで日本学術振興会(JSPS)ロンドン研究連絡センター長を務めた上野信雄氏は「海外に比べると、それでも少ない」と打ち明ける。

日本では博士課程の学生はJSPSに申請して、月額20万円の研究奨励金と年150万円以内の研究費をもらえる特別研究員制度がある。しかし採用されるのは申請者の20%弱で、いわばエリート研究者への登竜門になっている。

最初から研究主宰者になれる米英

さらに日本と米英の研究主宰者には大きな違いがある。米英の大学ではポスドク時代を終えれば自分のチームを持って研究主宰者として独立し、最初からトップになれる。一国一城の主になるわけだ。やってみてうまく行けばテニュア(高等教育における教職員の終身雇用資格)が得られる。

自分で研究資金を取ってきて、ポスドクを雇ってチームを立ち上げる。自分で学生を指導して、講義もする。最初から全てについて責任を持ち、教授と全く同じことをするのだ。そして最初からすごい研究をすれば、その人の実績になる。

それと対照的なのが日本の講座制で、教授、准教授、助教がいる。ポスドクを終わった人はまず助教からスタートするコースが敷かれている。教授を頂点に学生や修士を含めると30人ぐらいになる研究室もある。講座に入るとすでに教授の研究が走っているので、ある程度、研究は約束されていてリスクは少なくて済む。

日本の大学は明治時代に、ドイツやフランスの大学から講座制を持ち込んだ。「助教授」から「准教授」になり、学生の指導のほか、自らの研究にも従事するようになったものの、日本の大学は「大学自治の原則」を盾に講座制の解消には消極的だと言われている。

英国の大学は教授や准教授、上級講師、講師の数も大学の自由裁量で決めることができる。このため研究主宰者として30代でスタートが切れるチャンスを与えられる半面、良い論文を書いて自分の力で金と人を集められないと永遠に離陸できないリスクも伴うのだ。

英国の大学で勤務する日本人研究者の中には、若い才能の開花を阻む講座制の限界を指摘する声もある。大沼教授はこう指摘する。

「米英の大学の場合、その分野の拠点が形成され、同じ分野に興味がある人が集まって切磋琢磨し、かつ協力して研究を行う。UCLもその通りで、そのような場所に優秀な研究者が集まる。質の高い研究が促進され、そこにはさらに大きな研究費が集まる。それがさらに研究を推進する」

大沼教授が所属する眼科研究所には50ほどの研究室が集まり、研究をしているという。

「日本の講座制の悪いところは二つある。一つは質の低い教授が後進を育てようとせず、成果を独り占めしてしまうことだが、多数ではない。解決策は講座制をなくすことではなく、質の低い教授を減らすことだ。もう一つは講座制ではカバーできる研究分野が限られてしまうことだ」

日本でも京都大学iPS細胞研究所や大阪大学免疫学フロンティア研究センターのような成功例もある。しかし、責任を持って次の世代の育成を担う新しいシステムを構築する前に、これまで小さな核として機能してきた講座制をいま廃止してしまったら日本の大学研究は終わるだろうと、大沼教授は指摘する。

体力があってアイデアがどんどん生まれてくる30代、40代の優秀な人たちを、金銭面も含めて国としてどう扱っていくのかは、非常に重大な問題であることは言うまでもない。