独自の改革を推し進め、荒れていた状態から再生を果たした大阪府立西成高校。教員が並々ならぬ情熱で生徒たちと向き合い、ドラマのようなサクセスストリーを辿ってきたかのように見えるが、現実には一筋縄ではいかないことも多かったという。教員の異動や予算の限界などがある中で、公立学校が長期的に改革を進める上で、どのような苦労があったのだろうか。「生徒が私たちを変えてくれた」と語る山田勝治校長へのインタビューを通じ、「変われる公立学校」の共通項を探る。(全3回の2回目)
15年前に反貧困学習を取り入れた当初は、改革に懐疑的な声もありました。しかし、いざやり始めてみると、私たちが考えていた以上に、生徒に良い変化があったんです。その変化が教員の不安を払拭してくれたように思います。
例えば、「シングルマザー」がテーマの授業で、女性の貧困問題について触れたことがありました。その時、生徒たちは自身の家庭を振り返り、「お母さんは、朝から晩まで毎日働いている。でもうちは、どうしてこんなに貧乏なのか分からなかったけれど、その理由が分かった」と、少しずつ自分のことを話し始めました。そして、それを聞いていた他の生徒も、「うちもシングルマザーやから、その気持ち分かるわ」と続き、どんどん会話がつながっていきました。
授業の中で、生徒たちが自分のことを語り始めたとき、教員はまずそれを受け止める。「分かった、分かった」と受け入れるのではなく、「なるほど」と受け止めて、「じゃあ、これはどう思う?」とやり取りを続けていく。その繰り返しが、信頼の貯金となり、結果的に生徒との信頼関係を築いていくのだと思います。
そうして生まれた信頼関係が、生徒や教員の気持ちやモチベーション、学校全体の雰囲気を変えていくのではないでしょうか。教員が何か言って、すぐに変われる生徒なんていません。それよりも教員には、生徒たちの間で仲立ちしながら、彼らが生み出す変化を見守る姿勢が求められます。
もちろん、本校にもやんちゃな生徒はいますし、時にはつっかかられることもあります。でも、そうやって少しずつ少しずつ、生徒たちが私たち教員を変えてくれた結果が今なのです。
おっしゃるように異動でメンバーが入れ替わっていくことで、形骸化していくこともあります。
反貧困学習の導入当初は、どの教員も「教材をどう活用しようか」「生徒にどうやって説明したら、イメージしやすいか」など試行錯誤していました。特に1年生の担任は、実践前日は夜遅くまで居残って模擬授業を見せ合いながら、ああでもないこうでもないと話し合っていました。
実を言うと、私は2013年3月でいったん西成高校を離れ、17年度に再び戻って来たんです。私がいなかった4年間、教員たちは反貧困学習をはじめ、本校がつくり上げてきた学校文化を途切れさせないために、奔走したと聞いています。
改めて、「社会経験もないのに社会のことを教えている教師とは、一体何者なのだ」という問いを突き付けられているように感じました。
私たちがお世話になっているNPOの方に「先生は銀行員と同じで、安定していて給料が高い人たち」とよく言われます。確かに間違っておらず、言われるたびにドキッとします。
一方で、その方は「日雇い労働者」について「毎日失業する人たち」と表現します。それを聞いても、やはりドキッとします。でも、そうした状態に違和感を持たず、受け入れている人がいるのも事実です。そこには個人ベースではなく、社会構造的な格差が生じているのです。まずは教員がその事実をしっかりと受け止めなければ、生徒の前で貧困を語ることはできません。
私たち教員の多くは、子供時代に学校で良い思いをして、学校に良い印象を持っています。そういう人間が学校教育の体現者となっている現状の危うさも、しっかり認識しなければなりません。
教員こそ目先のことにとらわれず、大局を見て、「今なぜこれをしているのか」「自分は一体何者なのか」「どこに向かおうとしているのか」を意識する必要があるのではないでしょうか。簡単なことではありませんが、心に留めておく必要があると思っています。
何もない日は早く帰る。これに尽きます。1日に4~5件、「〇〇が保護されました」「〇〇が警察に駆け込みました」などと連絡があり、対応に追われる日もあります。しかし、そんな日ばかりではなく、何も起こらず平和に終わる日もあります。そんな日は、心を落ち着けて早く帰るように伝えています。できる限り公私のバランスを取りながら、働き方に緩急をつけることが大切なのではないでしょうか。
目の前の児童生徒をよく見て、彼らの見えない部分を想像してもらいたいですね。
本校は大阪府から、「エンパワメントスクール」に指定されています。しかしながら、そのカリキュラムは学校の授業を中心としていて、家庭での学習は想定されていません。そのため、先の休校期間中は、とても苦労しました。彼らの多くは家庭で勉強できる環境に課題があると思います。
以前、自宅に勉強するための机やテーブルがあるかについて、生徒たちにアンケート調査をしたことがあります。結果は4分の1以上の生徒が持っていませんでした。
自分の部屋を持っている生徒も、限りなく少ないでしょう。多くがひとり親家庭で、狭小な住宅に住んでいることも少なくありません。集中して勉強したくても、きょうだいや家族がうるさくてできない状況もあると思います。
ですから、もし宿題をやってこない生徒がいたときも、頭ごなしに叱責するのではなく、その子の家庭的な事情等を想像して、対応することが必要なのです。
本校では、校内に民間が運営する「居場所カフェ」を設置しています。教職員ではなく、NPOやボランティアスタッフがおり、おにぎりなどの軽食があり、生徒は自由に出入りできます。
カフェに毎回来る生徒の中に、スタッフや友人と会話するでもなく、ずっと下を向いてゲームをしている子がいました。私たち大人が見ていると、ゲームなんてどこでもできるじゃないかと思いませんか。ある日、彼に「カフェの何がいいの?」と聞いてみました。すると彼は、はにかみながら、「顔を上げたとき仲間がいてくれるのがいいんや。一人じゃないことが分かる」と答えてくれたんです。
「なるほど」と納得しました。目の前の生徒一人一人には、私たち教員が知らない事情や思いがあります。日々の業務に追われて忘れてしまいがちですが、教員にはそうしたことを心に留め、生徒たちの見えない部分を見ようとする視野を持ち続けてほしいです。
山田勝治(やまだ・かつじ) 1957年、大阪府西成区生まれ。1990年から2004年までの15年間、「成人識字」教室の運営に関わる。05年、西成高校に教頭として赴任、09年から13年3月まで同校校長を務めた後、異動。17年、同校校長として再赴任。「基礎教育保障学会」所属。著作に『格差をこえる学校づくり 関西の挑戦 阪大リーブル』(志水宏吉編、大阪大学出版会)内の第2部『「先端でもあり、途上でもある」ー高校版「UD化」計画ー』、『わたしたち(西成)は二度「消費」された』(ヒューマンライツ2019年9月号)など。