渋沢栄一のひ孫、寿一氏に聞く 聞き書きと持続可能な社会

渋沢栄一のひ孫、寿一氏に聞く 聞き書きと持続可能な社会
「聞き書き」の教育的な効果を語る寿一氏(本人提供)
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 明治維新後、数多くの企業の創業に関わり、日本経済の礎を築いた渋沢栄一。2024年度からの新1万円札の肖像に採用され、彼の生涯を描いたNHK大河ドラマ『晴天を衝け』が放送されるなど、いままた注目されている。一部の資本家が利益を独占するのではなく、多くの人が幸せになるための富の分配を重視した栄一の哲学は、国連の持続可能な開発目標(SDGs)の理念とも重なる。栄一のひ孫に当たる渋沢寿一氏は、高校生が山や海の暮らしの名人を訪ね、名人の語りを文章につづる「聞き書き甲子園」に携わり、今年で20回目の節目を迎える。そんな寿一氏に、聞き書きによる学びの価値と栄一の哲学の共通点について聞いた。

高校生が名人の「代弁者」になる

――今年で20回目となる「聞き書き甲子園」ですが、このユニークな活動は何がきっかけで始まったのでしょうか。

 林野庁が「林業や山の関係で働いている人を表彰する制度を作りたい」と、作家の塩野米松さんに相談したのがことの始まりです。その後、塩野さんを中心に何人かで集まって話し合ううちに、「機械が本格的に導入される1960年代よりも前に、農業や林業を営まれていた人の五感を使った手業(てわざ)がどんどん失われている中で、何とか残していく方法はないか」という話になりました。

 そして2002年に、最初の「聞き書き甲子園」が開催され、私はその発表会に顔を出しました。すると驚いたことに、高校生の発表を聞いているお年寄りがみんな泣いているのです。話を聞くと「とても良いことをしてくれた。だけど、もう10年早くこの活動を始めてくれていたら、本当の名人がまだたくさん生きていたのに」と言います。その一言に胸を打たれて、来年以降も続けなければと、協賛企業探しに奔走しました。

 今でこそ全国から多くの高校生の応募がある「聞き書き甲子園」ですが、最初の頃はどちらかと言えば、学校に合わない生徒が教師に勧められて、しぶしぶ参加する姿もけっこう見られました。夏休みに参加者を集めて行う研修会では、寝ていたり、遊びたい気持ちを隠せなかったりする生徒も多く、「果たしてこのうち何人が作品をまとめられるのやら…」と心配していました。ところが、いざふたを開けてみると、全員がちゃんと作品を書き上げてきたのです。

 不思議に思って参加した高校生に聞くと、「最初はじいちゃんの言葉もよく分からないし嫌だった。だけど、じいちゃんの言っていることが分かるようになると、じいちゃんを裏切れなくなった。俺だけさぼって、大好きでえらいと思っているじいちゃんの記録が残らないのは申し訳ない」と言うのです。

 名人の話に一生懸命、耳を傾け、文字に起こし、その語り口を再現して文章にする。その過程で、高校生は全く異なる世代の人と通じ合い、「代弁者」に変わっていくのです。協賛してくれた企業も、先人の知恵や技術を伝えることよりも、むしろこうした高校生たちの成長ぶりを高く評価していました。

 やがて、参加者の中から、「聞き書きだけではなく、名人と一緒に森や海での仕事を体験してみたい」と言う生徒も出てきました。そして、その生徒たちが次年度の参加者たちをサポートしてくれるようになりました。今では、聞き書きがきっかけで移住し、地域づくりに取り組んでいる若者も出てきています。彼らがしっかりと地域に根付いて、その地域の課題を解決していってくれれば、地方の未来は明るいんじゃないかと思っています。

聞き書きだからこそ伝わる記録

――記録を残すだけなら、映像など、他の方法もあったように思います。なぜ「聞き書き」だったのでしょうか。

 実は、米国のジョージア州で「フォックスファイアー」という取り組みが行われています。ネイティブインディアンや開拓時代を知っている老人を高校生が訪ね、彼らの話を聞いて本にまとめるというものです。「林野庁の当初の案だった単なる表彰制度ではなくて、日本でもこういう活動をやらなくては」と考え、塩野さんがライフワークとして取り組んでいた「聞き書き」を高校生にもやってもらい、自然の中で生きる名人の知恵と技術を記録に残そうということになったのです。

 日本でこうした「聞き書き」による記録に精力的に取り組んできたのは、民俗学者の故・宮本常一です。その弟子の民俗学者の方は当初、映像で記録を残そうとしたそうです。しかし、映像では外形的な部分は記録できても、外形化される以前のものの考え方や感じ方、その場の空気のようなものまでは伝わりません。

 聞き書きに挑戦する高校生は、最初は名人の方言が聞き取れなくて、とても苦労します。文字に起こしても、漢字に変換できる言葉ばかりではないし、そもそもどこに句読点を打てばいいのかすらも分からない。日本語として理解できないんですね。それで呆然としながらも、もう一度、「今度はもっとしっかり聞こう」と名人のもとに再び足を運びます。するとそのうち、お互いの感覚がぴったり重なる瞬間がやってきます。そういう、言葉では表せないコミュニケーションの重要性を高校生は実体験するのです。

「聞き書き甲子園」で名人の話に聞き入る高校生(共存の森ネットワーク提供)

 宮本は日本中を歩き回り、1930~70年代に、昔の姿を残していた日本の農村や漁村の暮らしについて、膨大な記録を残しました。そんな彼の活動を経済的に支援し続けたのが、栄一の孫である渋沢敬三というのも不思議な縁を感じます。

 敬三は日本銀行総裁や大蔵相を務めたほどの人物ですが、一方で経済とは対極にある民俗学に、私財の多くをつぎ込むほど傾倒していました。敬三は、祖父の栄一が持ち込んだ資本主義という化け物が、いつかこの国を駄目にするのではないかと、ずっと心のどこかで危機感を持ち続けていました。栄一は、論語という日本社会共通のモラルをベースにして、経済の重要性を説きましたが、敬三はモラルが弱まれば資本主義が暴走を始めると考えていたのです。

 「聞き書き甲子園」が始まってからの20年間を振り返ってみると、敬三の危惧していたことが、まさに現実と化した時代だったのではないでしょうか。お金がどんどん実体を持たなくなり、行き過ぎた開発によって環境が破壊され、格差が拡大しています。今の時代を栄一や敬三が見たら、どう思うでしょうか。

持続可能な社会と栄一の考えた資本主義

――栄一が実践してきた経済哲学は、これからの持続可能な社会づくりにも通ずるものがあるのではないでしょうか。

 機械化される前の日本の農林水産業は、江戸時代にその基礎が出来上がり、ずっと持続可能な形で受け継がれてきました。近代を迎えて資本主義を導入した国は世界中にたくさんありますが、それがうまくいったのは欧米諸国を除けば日本くらいです。それはなぜかと言えば、欧米のキリスト教に匹敵するほどのモラルを共有した農業基盤社会が、江戸時代に確立されていたからです。栄一が、より多くの人に利益が行き渡る形で資本主義経済を実践できたのも、もともと農民であったからかもしれません。

 今、大学生と話をしていると、誰もが就職に対する恐怖心を抱いていることに気付きます。どこの会社に入れば収入はどれくらいで、どんな福利厚生があって、そこに入れなければ負け組だなどと考え、親の期待もあって息苦しさを感じています。

 でも、これからは職業ではなく生き方を選択する時代です。もっと自分の体を動かしながら、社会と関係性を持ち、生きていくことに喜びを感じる価値観を育てていかないといけません。日々の暮らしをお金に換算することばかり考えるようになれば、本当の豊かさは失われます。栄一の考えた資本主義の目的は、そういう本当の豊かさを生み出すことにありました。

 大河ドラマで栄一が主人公になると聞いたとき、日本の経済分野で活躍したとはいえ、はっきり言ってしまえば地味な存在なのに、なぜだろうと首をかしげました。しかし、新自由主義的な資本主義による諸問題が露呈し、持続可能な社会へ世界が大きくかじを切ろうとしている今こそ、栄一の実践から学べるものが多くある。まさに今こそ学ぶべき歴史上の偉人だと思います。

地域から学び、受け入れられる教師に

――持続可能な社会を実現するには、教育が重要になるとともに、学校や教師の役割も変わるのではないでしょうか。

 私は東京都世田谷区の教育委員をしているのですが、今の学校の先生方は忙しすぎます。本来、教師と子供がフェイストゥフェイスで一緒に過ごしながら、お互いに影響し合うことが学校教育の良さでしたが、そういう時間が短くなってしまっています。社会全体で、教師がもっといろいろな世界と触れ合う余裕をつくってあげないといけません。

 GIGAスクール構想で1人1台のデジタル端末が配られれば、子供たちはそれを使ってどんどん新しいことを見つけ、学びのネットワークを広げていきます。そうなると、これまでの知識伝達を主な目的にした一方通行的な学びは縮小し、教師の役割は知識を伝えることから、外の社会と学校や子供たちをつなげることに変わっていくでしょう。そのとき問われるのは、高校生が聞き書きを通して培ったような力、つまり、地域の人から学び、受け入れられる力だと思います。

 少し前に、日本ではフィンランドの教育がもてはやされました。でも、フィンランドが目指した教育というのは、実は1950年代ごろの日本の公教育の姿だという話を、フィンランドの人から聞いたことがあります。まさに壺井栄が描いた『二十四の瞳』の世界です。教師も完璧な存在ではなく、子供たちと一緒に成長していく。その様子を地域の人たちが温かく見守る。もう一度、そんな学校を社会のシステムの中に位置付けていかなくてはいけませんね。

晩年に栄一が自宅を構えた東京都北区の飛鳥山公園にある銅像
晩年に栄一が自宅を構えた東京都北区の飛鳥山公園にある銅像

【プロフィール】

渋沢寿一(しぶさわ・じゅいち) 1952年、東京都生まれ。「聞き書き甲子園」を主催するNPO法人共存の森ネットワークの理事長を務める。農学博士。東京都世田谷区教育委員。東京農業大学大学院修了後、1980年に国際協力事業団専門家としてパラグアイ国立農業試験場に赴任。帰国後、長崎オランダ村、循環型都市「ハウステンボス」の役員として企画、建設、運営まで携わる。

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