義務教育「有償負担」の現実 福嶋尚子准教授に聞く

「義務教育無償」をうたいながら、保護者の私費負担が増している。文科省が行った2018年度の「子供の学習費調査」によると、公立中学校に子どもを通わせる保護者が負担する学校教育費の平均額は、年間約14万円。他方では、教材やその材料を100均で購入するなど「教員の自腹購入」も常態化している。なぜこのような状況になっているのか、千葉工業大学の福嶋尚子准教授(教育行政学)に聞いた。(全2回の第1回)

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受益者負担の誕生と矛盾
――公立中学に子どもを通わせる保護者が年間10万円以上もの学校教育費を負担し、教員が授業に必要なものを自腹で購入するような状況が常態化しています。

そもそも義務教育は無償で行われるべきものですが、実態として無償で行えるほどには公費負担の予算が出ていません。結果として、保護者がお金を出すか、PTAが出すか、先生が自腹切るか、ということになっている。「もともとは無償のはずなのに」がスタートだと思います。

私費負担が増えるのは、一概に先生のせいとはいえません。「安かろう、悪かろう」というものより、子どもたちにちゃんとしたものを与えたい、という親心もあったりします。ただ、やはり学校が「お金を出して」といえば保護者は出すしかありませんから、先生たちが気を付けると変わる部分は大きいのです。なお、そこで「公費を増やして」という動きをつくるのは、先生たちだけでなく国民全員だと思います。

――そもそも「義務教育無償」なのに、なぜこのような状況になったのでしょう。

憲法ができて「義務教育は無償」とうたったとき、国は実行しようとしたのですが、やはりそのときもお金がなかった。そこでぎりぎり実現できたのが、黒板や掛図、跳び箱といった、学校に備え付けの大きい教材を無償にすることでした。それは国が、教科ごとに必要とされる教材の品目であれば自由に使える形で、備え付け教材のほぼ全額を負担するという、かなり理想的なお金の渡し方でした。そういう国の仕組みが、義務教育費国庫負担法が施行された1953年から、制度改正を経て、財源が地方交付税交付金に替わった1985年までは存在したのです。

でも、お金がない中で仕組みを作ったが故に、学校備え付け以外のもの、つまり子どもたちが持つ教材などまでは、予算がまわりませんでした。教科書も有償の時代だったので、「子どもたちが持つものは家庭がお金を払って用意する」という概念が、事実として定着してしまったのです。

そのため1985年に、備え付け教材に充てられる国庫負担金がなくなってしまったときも、当然、私費負担とされた分が顧みられることはありませんでした。せいぜい、備え付けの教材について学校の設置者である自治体に地方交付税が措置され、自治体がこれを負担する、という仕組みしか残っていないのです。

ですから、理念として掲げたものを最初から踏み倒そうとしたわけでは全くないと思うのですが、そのときに実現できなかったものが、そのまま法の原則として機能してしまった結果、「受益者負担」という後付けの論理が受容されてしまったのだろうという感じがします。自治体は子どもが個人持ちする教材などのお金を負担しなくてよくなるので。

――「受益者負担」という概念も曖昧です。単に頭割りしやすいものを「受益者負担」と呼んでいるように見えます。

そうだと思います。1970年代前半に都道府県教育長協議会が示した公費私費負担区分のルールが現在までに通用しているのですが、やっぱり後付けなので、変ですよね。「家でも使える」「個人で使う」とか「お腹に入る(子どもに利益が還元する)」ものは子どもが受益するので、保護者負担とする、と言っているに過ぎないと思います。

就学援助は義務教育無償と対立する
――就学援助の制度があるから、保護者の私費負担が増えても問題ないという声もあります。

就学援助はもちろん必要な制度なのですが、義務教育無償とは理論的には対立、矛盾するものです。戦後、無償制度実現が財政の問題で停滞する一方で、私費負担の定着と併行して就学援助制度ができ、「家計が苦しい家庭の子にはちゃんと補助があるから、無償にする必要はない」と言われるのですが、本来は「貧困救済のための無償」ではなく「子どもの権利保障だから無償」で、「国家の教育を受けさせる義務を遂行するための無償」のはずです。もちろん就学援助制度で救われてきた子はたくさんいるのですが、その中で「義務教育無償」という原則が忘れられた存在になったところがあります。

就学援助を手厚くするということは、払えない子の家にちゃんと補助することであると同時に、「基本的にそれは家庭が払うもの」と言っているわけです。だから、就学援助の費目が卒業アルバムとか、スキー合宿の板のレンタル代とか、どんどん増えていったとすると、「そういうものは保護者の私費負担なんですよ」という範囲を拡大していることになる。公費で出すべき範囲が減ってしまうわけですから、理論的にはやはり義務教育無償とは相反するわけです。

ですから、就学援助は本当に必要な制度なのですが、費目を増やしていったら無償が達成されると思ってはいけません。「貧困の子のための無償」ではなく、やはり「全ての子が、お金のことを気にせずに学べるチャンスがある」というのが無償の仕組みだと思うので、誰もが同じように権利として手に取れる状況にしないと、意味がないのですね。そうでないと、ぎりぎりで就学援助を利用できなかった子たちは苦しいわけじゃないですか。

――収入はあるのに親が教育費を出してくれない、という子どもの話もときどき聞きます。義務教育無償なら、そういった子どもたちも救われますね。

ですからやはり「就学援助の充実」というところと「私費負担の軽減」、つまり「無償性の実現」というのを同時にやっていかないと、本当に意味がない。そのことが、現場でも気付かれていないことが多いですね。

義務教育無償は学校現場から
――私費負担の軽減と、義務教育無償の実現は、別のことではないのでしょうか。

いえ、私費負担を学校の努力で減らしていったなら、無償にするときの財源が少なくて済みます。今、公立の中学生の教材費(図書・学用品・実習材料費など)を無償にするのには758億円が必要になるのですが(文科省の2018年度「子供の学習費調査」及び「学校基本調査」より試算)、もしそれぞれの学校で、例えば年間1万円の教材費を減らせたとしたら、その分を無償にするときに、1万円×子どもの人数分の財源、すなわち298億円が浮く。無償がぐっと近付くと思うんです。

公立中学校でかかる学校教育費

給食費はかなり低価格で提供されていますが、少なくとも教材費の部分は、減らせる余地があります。学校によって全然金額も違うので。ですから、今は教材費無償なんて夢みたいな話ですけれど、あり得なくもないと思うのです。

制服もそうだと思います。一式8万円の制服を全員に支給しろ、と言ったら、いまの日本の財政はパンクしますよね。でも校章の入っていない1万5000円のジャケットだけだったら、全員に支給できるかもしれない。大人が着ているような大量生産のジャケットだったら、もっと安く済むかもしれない。だからやっぱり、学校現場で私費負担の厳選、吟味をすることは、無償性に近付く上で一番重要なところだと、私は思っています。

無償性の実現というと、上のほうの人たちが政治や政策の場で語り合う話のように思われがちですが、そうではないのです。むしろ、学校現場で何を安くしたら無償に近付くか、何を公費負担に変えたら無償に近付くかという現場的な課題だと思うのです。

私は保護者の一人として、PTAで会計をしていたのですが、会員からの会費を財源とするPTA予算も同じだと思っています。PTAが支払うのをやめたら、少しでも義務教育は無償に近付くと思うので、学校への「寄付」をなくす努力をしています。教員も保護者も事務職員も、100円、200円を安くするとか、公費負担に変えるとか、何かを備え付けにして貸し出すようにするとか、そういういろいろな工夫で、できることはあると思います。

授業料だけ無償でよいのか
――いま改めて、憲法26条の「義務教育の無償」は、どのような「無償」と考えればいいのでしょうか。

いろいろな議論がありますが、私自身は「修学必需費無償説」が一番、現代的には支持されるべきだろうと思っています。それは、就学のための授業料だけ無償になるのではなく、修学、つまり「学問を修めるのにかかる費用全てが無償になる」という考え方です。

授業料は日本の公立小中学校ではずっと無償なので、あまり意識されていませんが、基本的には先生方のお給料と言われています。そこについては保護者が負担しなくてよく、国や自治体が負担する、という「義務教育の授業料の無償」が、日本で通説的に考えられてきた義務教育の無償です(授業料無償説)。

つまり、憲法で「義務教育の無償」と言われつつ、実はそれよりも下の、教育基本法の条文によって「国公立学校の義務教育の授業料の無償」というふうに範囲を狭められて解釈されてきたのです。でもやっぱり「それはおかしいだろう」と言ったのが、先ほどの「修学必需費無償説」の考え方です。

日本国憲法 第26条第2項 すべて国民は、法律の定めるところにより、その保護する子女に普通教育を受けさせる義務を負ふ。義務教育は、これを無償とする。

教育基本法 第5条 (義務教育) 国民は、その保護する子に、別に法律で定めるところにより、普通教育を受けさせる義務を負う。

4 国又は地方公共団体の設置する学校における義務教育については、授業料を徴収しない。

――修学必需費無償説は、いつごろから言われているのでしょうか。

1980年代からです。もちろん、その考え方はもっと前からありました。例えば「教科書のお金を取るのはおかしい」と訴えた保護者や「制服のお金を支払うのはおかしい」と訴えた保護者がいて、戦後は裁判で論点になってきたのです。

そういった裁判で確認されてきたのが「憲法の示す無償とは授業料不徴収のことなんだよ」ということだったわけです。今もそれが通説ということになっています。

ただ、「授業料無償説」は、授業料以外の部分も無償にして構わないという考え方です。ですから、1963年に教科書を無償とする法律(教科書無償措置法)ができましたが、それも別に憲法違反ではなく、「授業料無償の上に、プラスアルファで教科書も無償になった」ということで、それはそれでOKになっている。その考えでいくなら、教材も給食も全部「プラスアルファで無料」にしてくれたらいいのにな、と思うんですけれど。

「修学必需費無償説」に立つと、今の状況は憲法違反になってしまうので、やっぱりそれは認められない、という考え方もよく言われます。でも、法の条文通りに読んだら憲法違反だよね、と思います。

現物給付が本当の無償

「無償」という言葉の解釈の問題もあります。現代において展開している修学必需費無償説(世取山洋介・福祉国家構想研究会編『公教育の無償性を実現する―教育財政法の再構築―』大月書店、2012年)では、「お金を渡せば無償になるか」というと、そんなことはないのです。つまり「現金給付」ではなく「現物給付」のほうが無償である、という考え方です。

「現金給付」というやり方は、先に給付が来ても、後で給付が来ても、どこかの段階でいったん家庭による「支払い」が生じているわけですね。本当の無償は、支払いのステップがなく、現物やサービスそのものが子どもや保護者の手元に届くものだと考えられます。

――いまの教科書がそうですか。

そう、教科書は「現物給付」です。また、授業も義務教育の教育サービスというふうに考えると「現物給付」に今はなっています。保護者がお給料を払う段階がなく、先生方が授業をしてくれるので。しかし、教材など就学援助というかたちで家計が厳しい家庭に補助が出ているものは、家庭が教材費を支払うというステップがあって、その分が就学援助費で補てんされているので、それは「現金給付」なのです。

さらに、その給付の仕方にも、選別して給付するか、普遍的に給付するかという違いがあります。選別的な給付というのは、「この人は所得が低いから給付する」「この人は、すごくやる気がある、能力が高いから給付する」というように、人を選んで給付するものです。しかしこれをすると、就学援助を利用することができない家庭が出るのと同様に、給付漏れが出るわけですね。届くべきところに届かないということが出てくる。

加えて、ある人に給付するかしないか、という判別をするのは、とても事務コストがかかります。やはりそのコストを考えると、全員に配ってしまったほうがよほど早く、きちんと権利として保障されるので、「普遍的に全員に給付するべきだ」と考えられる。そこで「一律給付」が、権利保障としての無償性としてはふさわしいということになるのです。

さらに述べると、「無償化」と「無償性」は違うということも、教育法学でよく議論されている点です。憲法が掲げているのは「無償性」ですから、普遍的な現物給付こそが公教育の無償性原則の実現と考えられますが、今いろいろな自治体で出ている「無償化政策」というのは、現金給付だったり選別的な給付だったりして、よく見ると「それは無償じゃないからね」というものがあったりします。

自治体の人口を増やすための戦略としては否定しませんが、それで全ての子どもの教育を受ける権利が満たされているかというと、そうではないと思います。

備え付け教材の財源の実態は
――1985年に教材費は国庫負担からはずされ、地方交付税交付金として支給されるようになりました。自治体によっては、別の用途にまわされているのでしょうか。

そうですね。地方交付税交付金は、自治体としての支出が、自治体としての収入を上回った部分だけ来るお金なので、東京都などを除く多くの自治体に、地方交付税が来ているはずです。紐なしで、つまり使途を限定せず何に使ってもいいお金として来るので、たとえば図書館の本代として市に下りてきたお金が、もしかしたら市役所の前の道路をきれいにするのに使われているかもしれない。予算は首長が提案して、各自治体の議会が決定します。

――地方交付税で出た教材費などを、全額ちゃんと学校にまわしてもらえるだけでも、現状よりだいぶよくなりますか。

なります、なります。1985年に教材費の財源が地方交付税に替わったとき、地方交付税で自治体に渡されたお金が実際に教材費として支出されたかどうかを、一部の自治体で調査した研究者がいました。調査の結果、その後の3年間であっという間に、教材費としてあてがわれた分の措置率が100%を切るわけです。9割、8割と、ぐんぐんと下がっていく。

文科省が出している資料(「教材費決算額の状況(平成20年度決算)」)では、全国の自治体の教材費措置率平均は1985年には100%を超えて120%になっていた、つまりそれまで地方で上乗せして教材費を出していたものが、その後グラフがザーッと右肩下がりになって、2007年には65.3%に落ち込んでいました。その後に教材整備指針などが出されて、14年には90%超まで戻ってきているともいわれていますが、自治体間の措置率の格差は大きく、平均で1割はどこかに行ってしまっている。その分はもしかしたら、「PTAさん、お願いします」ということになっている可能性もあります。

――私費負担ではなく、PTAの負担ですか。

保護者の私費負担の可能性もありますが、もともと教材整備指針で提示され、地方交付税で交付されているのは学校備え付けの教材の分だけなので。それこそ体育のマットレスとか、音楽で使う楽器とか、そういったものはPTAや後援会に負担が回っている可能性はあるのではないでしょうか。

――確かに出どころとして、PTA以外はなさそうです。そう考えるとやはり、教材費の財源が地方交付税になったことは、かなり大きな影響があったのでしょうか。

大きいと思います。それまでも、個人持ち教材にはなかなか届かないなど限定的な側面もあったのですが、でもやはり公費で予算が確保されていれば、まだよかったと思います。

そもそも、子どもの学校のことにこんなにも予算がつけられていないのは何でだろう、という単純な思いがあります。なんでも「お金がないから無理ですよ」と言って、どうして学校だけこんなに昭和なの、という感じがします。

(クローズアップ取材班)

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