【塩瀬隆之氏】 「指示待ち人間」が学校で生まれる理由

若者の「指示待ち人間化」が指摘されるようになって久しいが、その点について京都大学総合博物館の塩瀬隆之准教授は「学校でも家庭でも、自分で選ぶ機会が少ないことのツケが出ていないか」と警鐘を鳴らす。子どもたちが社会に羽ばたき、自らの人生を生き抜くために存在するはずの学校が社会と乖離(かいり)してしまった場合に、どのように埋めていけばよいのか。(全3回の最終回)

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学校教育は幕の内弁当?
――塩瀬准教授が所属する博物館と学校現場はいずれも学びを深める場所ですが、学び方が違うように思います。

オンラインで取材に応じる塩瀬准教授

私どもの博物館にも修学旅行生がよく見学に来ますが、皆さん普段の学校と同じように学ぼうとしがちです。講座にしたら1時間ほどかかる展示を、きちんと整列してものすごいスピードで駆け巡っていきます。さらに先生から「感想文を書きなさい」と課題まで出されて、大変そうだなと見ています。

博物館のように教科書がない社会教育施設で学ぶ醍醐味(だいごみ)は、関心の「つまみ食い」ができるところだと思っています。順序通りに見なくてもいいし、興味を持った1つの展示に時間をとことん費やしてもいい。別に全部の展示を回らなくてもいいのです。バイキング形式で「これ食べたい、あっちも食べよう」と、好きなように楽しんでほしいと思っています。

一方で学校教育は、例えて言えば幕の内弁当をコース料理のように小出しに出している状態ではないでしょうか。おひたし、肉じゃが、焼き魚……と、大人が一つ一つの料理をお皿に順番に載せているかのようです。さらには食べる時間割や順序も決められており、「全部食べれば栄養満点だから」と完食を強制されています。そんな状況では、子どもたちは自分が何を食べているのかも把握できないし、心から味わうことも難しいでしょう。

――どうしてこんなことが起きているのでしょうか。

学校や家庭に時間的余裕がないのに加え、子どもたちに与えられるものが以前より増えたためかもしれません。少子高齢化が進み、子どもより大人が多い環境が至る所で見られます。一人の子どもに対して、注意したり手を掛けたりする大人の数が、昔よりも圧倒的に多くなってバランスが逆転しているのかもしれません。

学業以外のことに関しても、今の子供たちはむかれた甘栗が出てくるような状態にあります。つまり、そのまま口に放りこむだけでいい。自分で手を動かしていないから、元々は栗がイガに包まれていることも知らないし、イガグリとウニの区別もつかないかもしれません。

しかし、高校を卒業して大学や社会に出ると、イガグリもウニも関係なく投げつけてくる大人ばかりと直面するのです。

「指示待ち人間」が生まれるロジック
――そんな状態で社会に出ると、苦労するのではないでしょうか。

社会に出ても、さらに丁寧なサービスを求め続けるでしょう。「教えてください」「次は何をすればいいですか」「これでいいですか」と、何かにつけて誰かにお伺いを立ててしまうのではないでしょうか。

でも、仕方ありませんよね。生まれてから20年以上、指示通りに行動し、その瞬間ばかり褒められるということを繰り返して来たのですから、社会に出ても「まず聞こう」となるのは極めて自然なことです。

一方、企業からの相談でよく耳にするのが、最近の若者に「指示待ち人間」や「イエスマン」が多くて困るということです。

そんなとき、「素晴らしいじゃないですか」と返してみましょう。指示待ち人間ばかりならば適切な指示をすればいいし、イエスマンばかりならば良いアドバイスをすれば、すごい結果に結び付くはずです。もし指示待ち人間が指示された通りに行動したのに、結果が出ないのだとしたら、それはそもそもの指示やアドバイスが的外れなのかもしれません。

「私たちが若い頃は、教わらずに自分で考えてきた」と自負のある人ほど、「教えてくれさえすれば動きます」と依存する若者とうまくかみ合いません。お互いの学習観の違いが「指示」の捉え方に誤解を生み、その誤解がさらに結果への期待をズレさせていく。この悪循環を直視して早急に考え直さなければ、なかなか解決の糸口が見えてきません。

教師が登場するタイミングを変えてみる
――理想の教師と聞いて、どのような姿を想像しますか。

登場するタイミングが分かっている先生ではないでしょうか。「そったくの機」のごとく、まさに求められた一瞬を逃さない師の姿です。

学問や知識が必要となる場面は、確かにあります。しかし、その「必要となる場面」を体験する以前に学びを与えられてしまうと、誰だって苦手になったり、心から楽しめなかったりします。解決したい課題に出合ってから、知りたいという欲求が芽生えてから、学びと向き合う方が俄然やる気になれます。

教師も、児童生徒が本当に必要なときにだけ、まるでアラジンに登場する魔法のランプの精のように現れてくれたらいいのですが。声が掛からない間は児童生徒が何をしているか、何に興味を持っているかを近くでじっくり観察してみてもらいたいと思います。何かを求めているなと気付いたときに、その延長線上にあるちょっと難しいことや、もっと面白いことなど、その子の意欲を維持し、その先の学びにつながるエッセンスを、そっと目の前に並べてあげてほしいです。そんな存在こそが、理想の教師だと思っています。

子ども自身の学びを優先して学校を見直すという話は、ともすれば先生を否定しているように捉えられがちです。しかし、決して先生たちの知識や経験が必要ないと言っているわけではありません。ただ先生の出番を工夫して、学びの順番を変えてみてほしいのです。子ども自身が学びを欲するであろうタイミングを信じて、待ってほしいというだけなのです。

――実際に取り入れるとなると、なかなか難しいですね。

先生自身がしっかり教わってきた世代が多い間は、考え方を変えることはなかなか難しいでしょう。「主体的・対話的で深い学び」がなかなか浸透しないのも、その原風景の違いが大きいと思います。

例えば、現場の先生から「主体的・対話的で深い学びの教え方を教えてください」と言われることがよくあります。

しかし、よく考えてみてください。まずは、先生自身がこのお題について主体的に考えなくていいのでしょうか。隣の先生と対話しなくていいのでしょうか。「主体的・対話的で深い学びを教えてほしい」という研修テーマの設定自体が、主体的ではないことに気付かなくてはなりません。

コロナ禍で需要が高まったオンライン教育についても、多くの相談が寄せられました。私は「オンライン教育」という表現が、あまり好きではありません。「教育」という表現は最初から教える立場として使われていますが、当の先生たちはオンラインで学習した経験があまりありません。オンライン生徒にそもそもなったことがないのに、いきなりオンライン教師になろうとするのは、順番が間違っているのではないでしょうか。

先生たちには、「まずはご自身が、オンライン授業を受けてオンライン生徒になってみてください」とお伝えしています。授業者が一方的に話しているとつまらなく感じるだろうし、だんだん飽きてしまって隠れてお菓子を食べることもあるかもしれません。おそらくオンライン会議を経験している社会人の多くがそうした経験をしているはずで、なぜ勉強のときだけ急に手を膝に置いて真っすぐパソコンの前に座って受け続けられると思ってしまうのでしょうか。パソコンの前で授業を受けるしんどさとオンラインの面白さ、それぞれ両方を体感しておいてほしいのです。そうでないと、オンライン授業をするときに眉間のしわがとれません。

主体的に学ぶ意味を主体的に考える時間を持つ前に教えようとし、オンライン授業の楽しさを知る前にオンライン先生になろうとしてみても、児童生徒の学びをうまくアシストできないと思います。

自分の心を守るすべを覚える
――教師自身も過酷な環境にさらされ、余裕がなくなっています。

書類仕事に忙殺されて時間がない、上司から常に評価され、保護者からのクレームを受け、炎上におびえながら何か発信する……。学校の中は今、心がざわざわする言葉だらけです。管理職に求められるカリキュラム・マネジメントの第一歩は、何よりも学校の中に教員自身も安心できる場所をつくることではないでしょうか。

教員自身の心身を守ることにも言及する(本人提供)

特にご自身の努力で頑張っている先生ほどかえって思い詰めてしまって、悲痛な相談が私のもとにも寄せられます。皆さんに伝えたいのは、1人で戦えばしんどいのは当然なので、普段から信頼して言葉を掛けられる仲間を1人でも多く持ってほしいということです。

私が教員研修をお引き受けするときは、各学校からできるだけ2人以上で来てもらうようにお願いしています。チームで学びを持ち帰ってもらうことで、何か動き出そうとしたときに孤立することを防げるからです。知識がある人、モチベーションが高い人が1人だけで担うとその個人に依存してしまいますし、ゆくゆくは取り組みが止まってしまう可能性もあります。何か提案したときに、「だよね」とそばでうなずいてくれる仲間が1人でもいることは、とても心強いことです。学校の同僚であれば素晴らしいですし、最近はオンラインの教員サロンなどでもすぐに仲間を見つけることができます。

学校の中で世代が異なる人も含め、全教員が足並みをそろえて1つのことに取り組むには、時間も労力もかかります。まずは2~3人のコアなチームをつくることがポイントだと思います。

――とはいえ、理解されないことも多いように思います。

そういうときこそ、エビデンスの出番です。材料をそろえて論理的に説明し、効果を見える化するのが方法の一つでしょう。

一方で、エビデンスが全く通用せず、感情的に反発される人が出てくるかもしれません。その場合は、一度距離を取ることも大切です。そこでくじけて、自分が悪かったと諦めないでほしい。真面目な人ほどうまく行かなかったときの理由を、自分の不完全さに結び付けてしまいがちです。特に世代が異なると、それぞれ信じている教育観にズレが生じているため、その感覚のズレを一朝一夕で埋めることはできません。それでもほとんどの先生は、児童生徒の学びや成長につながることであれば話を聞いてくれるはずです。信じている方法は違うかもしれないけれど、児童生徒の成長という目標だけは揺るがず信じていいはずです。

世の中には、相性が合う人もいれば、合わない人もいます。10人いればわざわざ話さなくとも内容を理解してくれる人が2人いるとして、話しても理解してくれない人も2人、あとの6人は話せば分ったり、分からなかったりする人だと捉えてはどうでしょうか。学校の先生は10人での合意を目指してしまう職業でもありますが、まずは理解を示してくれる2人と中立的な6人に、じっくり話すことから始めてはいかがでしょうか。

先生自身の心身を守ることも大切です。全部を完全に信じきれなくてもいいですが、全部を諦めなくてもいいはずです。学校の先生は真面目で真摯(しんし)に頑張る人が多いので、それが心配でもあります。まずは先生ご自身の心の安寧を得てからでないと、生徒さんの心の安寧も成長も守れないと思います。ご無理なさらないでくださいね。

(板井海奈)

【プロフィール】

塩瀬隆之(しおせ・たかゆき)京都大学総合博物館准教授。1973年生まれ。京都大学工学部卒業、同大学院工学研究科修了。博士(工学)。専門はシステム工学。2012年7月より経済産業省産業技術政策課にて技術戦略担当の課長補佐に従事。14年7月より大学教員に復職。小中高校におけるキャリア教育、企業におけるイノベーター育成研修など、ワークショップ多数。17年度文部科学大臣賞(科学技術分野の理解増進)受賞。著書に『インクルーシブデザイン:社会の課題を解決する参加型デザイン』、『問いのデザイン』(共著)など。文科省中央教育審議会理数探究専門チーム委員、2025年大阪・関西万博政府日本館基本構想有識者ほか委員多数。

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