【サコ氏×日野田氏】 「標準的」に育てる日本の教育を問う

 1990年代後半から2000年代に生まれた「Z世代」に、教員はいかに向き合い、どう共に新時代の教育を創っていくべきなのか。Z世代の生徒や学生と革新的な取り組みに挑戦し続けている、京都精華大学のウスビ・サコ学長と、武蔵野大学中学校・高等学校および武蔵野大学附属千代田高等学院の日野田直彦学園長が、それぞれの立場から新時代の教育に必要な視点を語り合った。全3回の1回目。(司会・教育新聞編集長 小木曽浩介)

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学校教育で身近な社会を変える経験を

――1990年代後半から2000年代に生まれた「Z世代」には、どのような特徴があるのでしょう。

8月21日の「未来の先生フォーラム2021」で、オンライン対談が行われた

サコ 生まれた時からずっと世界が経済危機に陥っているZ世代は、常に明日は危ないかもしれないという緊張感を持ち、お金にシビアで、派手なことよりも現実的に生きようとする世代です。

 彼らは生まれた時からパソコンや携帯電話が存在しているデジタルネーティブです。小さな頃からコミュニケーションの取り方はインターネットでつながっていることを前提にしています。常に国境を越えて多様な人々とコミュニケーションを展開してきた世代です。

 われわれの世代が見ている世界と彼らが見ている世界は全く違うので、大人に理解されにくいところもあると思います。だからこそ、上の世代はZ世代がどんな価値観を持ってこれからの未来を生きていくのかを、きちんと考える必要があります。

――Z世代が活躍できるような社会をつくっていくために、教育はどのように転換していけばよいのでしょうか。

日野田 Z世代、つまり今の若い人たちに活躍してもらうためには、第一に私たち大人が邪魔をしないことです。そして、彼らと対話して、お互いを理解していく必要があります。

サコ われわれがアイデアを出して引っ張っていくというよりも、むしろ彼らが前にいて、われわれがどう後押しできるのかを考えていく方がよいのではないでしょうか。

 昔の人たちは国外に行くだけでも一大事でしたが、今の若い人たちはリアルタイムで世界の情報を得ています。大きく状況が変化している中で、果たしてこれまでのように自分たちの国境の中だけで教育していてよいのか、考えなくてはいけません。

 常に世界の情報を持っていて、常に世界を視野に入れている彼らにとって、グローバルは当たり前です。市民社会を超えた、グローバル全体を視野に入れた人間として、育成していかなければならないと思います。

日野田 私は海外の大学に進学を希望している生徒のエッセーの指導をしていますが、あまり実感知がないようなことを書いてくる子もいます。

 サコ先生がおっしゃるように、彼らはグローバルな世界で生きているけれども、意外と身近な社会を変えた経験がありません。空虚な世界、インターネットの世界で完結してしまっている場合もあります。

 だから、学校教育ではハンズオンで自分たちが何かできるという実感と、自分で選択したという経験を得られるようにしなければ、中身のない人間になってしまうという危機感を持っています。

周りに流されるような人間を育てても意味がない
「自分の言葉できちんと語れる人を育てていきたい」とサコ氏

サコ もう一つ、日本では「グローバル教育=語学」となりがちです。でも、そうではなく「自分とは何者なのか」を理解していることの方が大切です。

 世界の人たちと一緒になったときに、流されるような人間を育てても意味がありません。「自分とは何者なのか」を理解して、自分の立ち位置を把握できていること。そして「自分は何のために生きていくのか」を、自分の言葉できちんと語れるような人に育てていきたいですね。

 以前、ハーバード大学に滞在した時、学生と話していると非常に面白かったことを覚えています。彼らは、みんなものすごく偉そうに話すんです。でも、しっかり自分の言葉で語っていて、他人の言葉は借りていない。それが非常に印象的でした。

 日本はみんな「標準的」に育てようとします。「個性なんかなくていい」「自分の考えなんてなくていい」という教育の方が多いと感じます。未来の教育を創っていく上では、こうしたことも考えていくべきだと思うのですが、日野田先生の学校ではどうですか?

日野田 私もサコ先生と同じ疑問を日本の教育に感じていました。「あなたはそもそも誰なのか?」「あなたにしかできない世界貢献は何ですか?」ということは、どこの国に行っても聞かれることなのに、日本では聞かれません。

 ですから、本校では中学1年生と高校1年生で、そうしたプレゼンをやってもらいます。生徒だけでなく、同じプレゼンを教員にもやってもらいます。

 自己開示することが大事だと思って、こうした取り組みをしていますが、日本は自己開示を嫌がります。かつての日本ではそれでよかったと思います。でも、これからのグローバル社会においては、人と対話して、相手と価値観を共有しながらフィードバックするのが前提です。こうした場づくりやきっかけづくりを、学校教育の中でも定期的に設けるようにしています。

サコ みんなと同じ標準的な技術を持たないと不安になり、「自分にしかない能力」を持つことは望んでおらず、むしろそうした能力があっても、周りには見せたくないと思っている人が多い。なぜなら、それを見せたら周りから変わり者と見られてしまうからです。

 日本の子供は、小学校低学年のうちはすごく元気で、好きなことを言うし、好きなことをするけれども、高学年になるほど、フレーミングされていくように見えます。加えて、フレームの外に出ようとする子がいたら、先生たちも必死にフレームの中に戻そうとしてしまいます。

日野田 そのお話を聞いて、以前、小学生が参加するあるワークショップのアドバイザーをした時のことを思い出しました。

 そのワークショップでは、ブロックを使って自由に好きなものを作ってよいというものだったのですが、作り始めた途端、子供たちがみんな横を向き始めるんです。「好きに作ってよい」と言われていたのに、終わってみたら、ほぼ全員の子が同じものを作っていました。

 しかも、先生も保護者も「みんな一緒のものを作れてよかったね」と言うわけです。私はがくぜんとしましたし、この問題は根深いと思いました。社会全体に存在する不安を背景に、「みんなと一緒であれば大丈夫」という妄信こそがこの国を停滞させ、衰退させた原因の一つだと感じています。

 日本にも、1960年代までは本田宗一郎さんや豊田佐吉さん、松下幸之助さんのような、それこそフレームから外れた人たちがたくさんいました。ところが、バブルを頂点に、一つの成功スキームのようなものが出来上がってしまい、それをすればきっと幸せになれると多くの人が思ってしまったわけです。

 私はその人に合えば、どんな生き方をしてもいいと思っています。その子の特性や興味関心、強みを最大化する方が、きっともっとハッピーになれるのではないでしょうか。

サコ そうですね。だから未来の教育というのは、本当に児童生徒、学生を中心とした教育であるべきです。子供たちがやりたいこと、なりたいものに向かうための教育が必要だと思います。

(企画・構成 松井聡美)


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【プロフィール】

ウスビ・サコ 京都精華大学学長。マリ共和国生まれ。高校卒業と同時に国の奨学金を得て中国に留学。北京語言大学、南京東南大学を経て1991年に来日。99年、京都大学大学院工学研究科建築学専攻博士課程修了。博士(工学)。専門は空間人類学。「京都の町家再生」「コミュニティ再生」など社会と建築の関係性を様々な角度から調査研究している。バンバラ語、英語、フランス語、中国語、関西弁を操るマルチリンガル。京都精華大学人文学部教員、学部長を経て2018年4月から現職。編著に「現代アフリカ文化の今」(青幻舎)、著書に『「これからの世界」を生きる君に伝えたいこと』(大和書房)、「アフリカ出身 サコ学長、日本を語る」(朝日新聞出版)、『アフリカ人学長、京都修行中』(文藝春秋)など。

日野田直彦(ひのだ・なおひこ) 武蔵野大学中学校・高等学校および武蔵野大学附属千代田高等学院学園長。帰国子女。同志社国際中高、同志社大学卒。塾ではトップ講師として、学校では私立学校の新規立ち上げなどに携る。2014年に大阪府の公募等校長制度に応じ、大阪府立箕面高等学校の校長に着任(当時全国最年少36歳)。着任3年目には海外トップ大学への進学者を含め、顕著な結果を出す。18年、武蔵野大学中学校・高等学校の校長に着任。20年より武蔵野大学附属千代田高等学院の校長を兼任。21年より、上記両校を統括する中高学園長となる。また22年より、閉校された千代田女学園中学校を千代田国際中学校として、未来に向けた新しい教育のトライアルを始める。著書に『なぜ「偏差値50の公立高校」が世界のトップ大学から注目されるようになったのか !?』(IBCパブリッシング)。

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