【サコ氏×日野田氏】 「成果を求めない」教員研修も必要

 教室に行けていないことで、「教育は被害を受けている」と考えてよいのか――。京都精華大学のウスビ・サコ学長と、武蔵野大学中学校・高等学校および武蔵野大学附属千代田高等学院の日野田直彦学園長による対談では、コロナ禍における気付き、これからの教員研修の在り方などについて、最前線を走る両氏ならではの視点で語り合った。全3回の最終回。(司会・教育新聞編集長 小木曽浩介)

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コロナ禍の変化をどうプラスに捉えるか

――コロナ禍が教育に与える影響をどうお考えでしょうか。

サコ 教室に行けていないことで、「教育は被害を受けている」と考えるべきではないと、私は思います。もちろん、今までの教育パターンから見れば制約がたくさんありますが、コロナがあったからこそ発見できていることもたくさんあると思うのです。

「コロナ禍だからこそ発見できたこともたくさんある」とサコ氏

 例えば、大学では対面授業がなかなかできず、学生たちはキャンパス自体にも不信感を持っています。でも、彼らがその点を疑問に思える人間になれたということは、これまでの当たり前を問い直すことができる人に成長したということだと、私は捉えています。

 また、国外に直接行けませんが、本学でも例えば、セネガルの学生とオンラインでつないで学び合うなどしています。また、先日のサマープログラムでは、本学の学生と京都の商店街を一緒に歩き、その様子を世界6カ国の学生たちに中継しました。このコロナ禍でできることを、どうやって最大限実行できるのかを意識しています。

 こうした変化を、どうやってプラスに捉えていくのかも重要ではないでしょうか。

日野田 本校では夏休みに、日帰りでのサマーキャンプを実施しました。日帰りでも、みんなで集まって学び合うことで、たくさんの気付きがありました。

 人が集まってこそできることと、そうじゃないことがありますよね。例えば、徹底的に議論をして自分と向き合う、他者を理解するということは、集まってこそできることです。

 自分と向き合い、他者を理解することは、口で言うのは簡単ですが、とても大変なことです。自分という殻を乗り越えるときに、誰しもが不安になります。でも、その不安を乗り越えることで、自分の本音が分かったり、相手を認めたりすることができるようになるのです。

 コロナのおかげかどうかは分かりませんが、人が集まって学ぶ価値、「チームで戦う」ことの本当の意味を生徒たちは知ってくれました。それが、今回のサマーキャンプでの一番の収穫です。

 こうしたことからも、コロナ禍は一つの大きなきっかけであり、変化のタイミングなのではないかと感じています。

研修は自分自身を確立していくためのもの

――今、教員免許更新制が廃止に向けて動きだすなど、教員の研修について議論が活発になってきています。

サコ 日本では研修自体が定義化され、構造化されているのではないでしょうか。「こうあるべき」というのがあり、しかも「成果が出なければいけない」とされています。でも、私は成果を求めない研修もあっていいんじゃないかと思います。

 また、同じ分野の人が集まって行う研修というのは、お互いの知識の見せ合いになりがちですし、互いの間違いを探すようになります。しかし、全く違う分野の人たちが集うと関心を持ち始めます。

 だから、私は研修というものは、全く違う分野、全く違う性質の人たちを交ぜて、意見交換したり、お互いの分野から学び合ったりすることが重要だと思います。教員の研修も、もう少し多様化していくとよいのではないでしょうか。

「先生たちが本当にしたいことを言えるようにするような研修が必要」と日野田氏

日野田 私も研修は、それこそビール片手でいいと思っています。例えば、キャンプファイアを囲みながら、夜な夜な語る。皆さん、いろいろな思いや悲しみ、苦しみなども抱えながら仕事をしていると思うので、ビール片手に「自分はどんな世界を達成したいのか」を語れるだけでもいいと思います。

 知識については自ら学んでいらっしゃるので、それよりも先生たちが本当にしたいことを言えるようにするような研修が、一番必要だと思っています。先生たちが、明日何かできるための動機付けぐらいでいいのではないでしょうか。

サコ そうですよね。教員自身が新しい価値観に出合うぐらいのことでいいと思います。ものすごく変わった先生とディープに2時間話したとか、そういう研修でもいいですよね。それによって、自分の価値観が変わったり、物の見方が変わったりするだけでも十分です。

 研修とは、知識を増やすためのものではなく、自分自身を確立していくためのプロセスだと思います。

ギャップや違いはそのままでいい

――最後になりますが、参加者から「Z世代が社会にスムーズに受け入れられるためには、どうすればよいのでしょうか」という質問が来ています。

日野田 私自身の社会人1、2年目は、はっきり言って完全な不良社員でした。上司に何か言われても「それって根拠はあるんですか?」などと聞いていましたし、いろいろと怒られても、なぜ怒られているのかも分かりませんでした。日本社会が難しすぎて、体調を崩したことも一度や二度ではありません。

 だからこそ、分かったことは「郷に入れば郷に従え」ということです。

 そういう社会があって、そういう文化がある。それに反発するだけでは、何も変わりません。ならば、自分が40歳、50歳になった時に、若い世代がそうならないようにするためには、どうすればいいかということを考え続けました。

 Z世代に限らず、どの世代の人も、自分が若い時には違う世代の人とのカルチャーギャップやジェネレーションギャップが起こります。その際、文句を言って分離するだけが答えではないはずです。ジェネレーションギャップがあるアイデアの数々を、多様性を認めながらどうつなげていくのかを考え続けることが最も大切なことであり、それをできる人が社会を変革できる「優しいリーダー」なのかもしれません。

 サコ先生も日本に来られて、苦労されましたよね?

サコ 私の場合は、「ギャップ」を埋めることを断念したんですよ。

 私はダイバーシティにとってギャップや違いというのは、すごく重要なものだと思っています。例えば、会社に同類の人ばかりを集めたら、アイデアは生まれません。ギャップや違いがあるからこそ、価値観が違うからこそ、アイデアも生まれます。

対談は「未来の先生フォーラム2021」内で行われた

 日本に来て、一生懸命に日本語を勉強して、一生懸命に自分を「日本人化」しようとしていました。でも、無理なんですよ。もちろん、私が日本のことを理解するのは大切ですし、日本人がどういうことを考え、どういう行動をするのか理解することも大事です。でも、もう一方で、私自身がこの日本社会にどうやって貢献するのかを考えることも大事だと思い至りました。

 また、Z世代のことを、「自分たちと違っていて理解できない」と上の世代は言いますが、上の世代の当たり前が、必ずしも正しいとは限らないということにも気付かなければいけないと思います。Z世代にはZ世代なりの考え方や生き方があるわけで、それを上の世代が自分たちのようにパターン化しないことです。

 そこにある「ギャップ」は、そのままでいい。上の世代ができることは、彼らがイノベーティブな立場になれるように、私たちの失敗談を恐れることなく語ることではないでしょうか。

(企画・構成 松井聡美)


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【プロフィール】

ウスビ・サコ 京都精華大学学長。マリ共和国生まれ。高校卒業と同時に国の奨学金を得て中国に留学。北京語言大学、南京東南大学を経て1991年に来日。99年、京都大学大学院工学研究科建築学専攻博士課程修了。博士(工学)。専門は空間人類学。「京都の町家再生」「コミュニティ再生」など社会と建築の関係性を様々な角度から調査研究している。バンバラ語、英語、フランス語、中国語、関西弁を操るマルチリンガル。京都精華大学人文学部教員、学部長を経て2018年4月から現職。編著に「現代アフリカ文化の今」(青幻舎)、著書に『「これからの世界」を生きる君に伝えたいこと』(大和書房)、「アフリカ出身 サコ学長、日本を語る」(朝日新聞出版)、『アフリカ人学長、京都修行中』(文藝春秋)など。

日野田直彦(ひのだ・なおひこ) 武蔵野大学中学校・高等学校および武蔵野大学附属千代田高等学院学園長。帰国子女。同志社国際中高、同志社大学卒。塾ではトップ講師として、学校では私立学校の新規立ち上げなどに携る。2014年に大阪府の公募等校長制度に応じ、大阪府立箕面高等学校の校長に着任(当時全国最年少36歳)。着任3年目には海外トップ大学への進学者を含め、顕著な結果を出す。18年、武蔵野大学中学校・高等学校の校長に着任。20年より武蔵野大学附属千代田高等学院の校長を兼任。21年より、上記両校を統括する中高学園長となる。また22年より、閉校された千代田女学園中学校を千代田国際中学校として、未来に向けた新しい教育のトライアルを始める。著書に『なぜ「偏差値50の公立高校」が世界のトップ大学から注目されるようになったのか !?』(IBCパブリッシング)。

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