【ボクサー教師の背中】 東京五輪銅メダルへの道

 世界的な新型コロナウイルスの感染拡大により、1年の延期を経て開催されたオリンピック東京大会。日本勢の活躍が続く中で、一人の教師が歴史的な快挙を成し遂げた。男子ボクシング・フライ級で、日本に61年ぶりの銅メダルをもたらした田中亮明選手だ。ボクサーの他に、岐阜県瑞浪市にある中京高校の教員という顔を併せ持つ。東京五輪の興奮も冷めない昨年10月、中京高校に田中教諭を訪ねた。(全3回の1回目)

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東京五輪は100点満点

――オリンピックから2カ月が過ぎましたが、落ち着きましたか。

 別にオリンピックに出たから生活が大きく変わったということはありませんので、自分の中ではあのときの興奮もすぐに落ち着きました。ただ、おかげさまで近くの小学校などに講演に行く機会を頂くことが増えて、忙しくはなりました。人前で話すのはあまり慣れないのですが、子どもたちには「自分のことを信じて、やりたいことをとことんやってください」といった言葉を贈っています。

インタビューに応じる東京五輪男子ボクシング・フライ級銅メダリストの田中教諭

 学校でも本当は夏休みが明けたらすぐに報告をさせてもらうはずだったのですが、緊急事態宣言の影響でずっとオンライン授業が続いていて、生徒たちにも直接ではなく画面越しに報告をすることになりました。それができたのもつい最近のことです。

 でも、分散登校で学校に来ている生徒が「おめでとう」と声を掛けてくれたり、一緒に写真を撮ってほしいと言われたりすることはあります。ボクシング部の部員からは「格好良かったです。おめでとうございます、以上」。…そんな感じですね。

――見事、銅メダルを獲得しましたが、振り返って、自己採点すると何点ですか。

 100点ですね。

――それは全てを出し切ったということですか?

 僕は基本的にいつも100点だと思って生きているタイプなので、後悔はしないんです。だから、今回のオリンピックがどんな結果になっていたとしても、きっと100点と言うと思います。あえてその根拠を挙げるなら、コロナで延期になった1年間を、誰よりも有意義に使えたからです。この点にはかなりの自信があります。

1年延期で自分のボクシングを見つめ直す

――普通は、4年間をかけた大会が1年延期になったら、メンタル面も含めて選手には大きなダメージですよね。

 僕の場合は逆で、延期になったときは1年長くオリンピック選手としていられると思いましたし、正直なところ、あのままオリンピックが開催されていたらメダルは取れていなかったのではないかと思います。そもそも2020年3月のアジア予選で1回戦負けだったので、自力で出場権を獲得することができずに開催国枠で出場することになりました。もちろん、どんな形であってもオリンピックに出ることは変わらないし、メダルは取る気満々だったのですが、延期が決まったときに、改めて自分のボクシングを見つめ直しました。そして、今の自分にとって何が必要なのか、どういうトレーニングを積めばいいのかを考えることができたんです。

1年間の延期をチャンスに変えたことがメダルにつながったと話す田中教諭

 僕はフライ級の中では身長が高く、手足のリーチもあるので、それを生かして相手とは距離を取って戦う「アウトボクシング」が持ち味でした。相手がパンチを当てようと懐に飛び込んでくるところをカウンターで迎え撃つ戦法を得意としていました。

 でも、アジア予選で1回戦負けをして、何かを変えないといけないと痛感したんです。開催国枠とはいえ、オリンピックに出場するという目標がかなって、次にどの目標に向けて頑張ろうかと思ったときに、やっぱりメダルが欲しいと真剣に思うようになった。延期となった1年間で自分に何ができるだろうかと考えたんです。

教えてもらうことで成長する楽しさ

――具体的には、どういうことに取り組んだのでしょうか。

 どうせなら、自国開催のメリットを生かそうと思いました。その頃はまさか無観客になるとは思っておらず、ホームでやるならば観客の応援が力になって、こちらのパンチが相手に当たっていなくても会場は盛り上がって、相手の選手も焦るに違いない。それならば、アウトボクシングよりも、どんどん攻めていくインファイトのボクシングの方がいいのではないかと考えました。

 実は、僕は前回のリオ五輪でも、あと1勝というところで出場権を逃しました。その試合では3ラウンドの途中で勝利を確信してしまったのがあだとなって、判定で負けてしまいました。最後まで逃げずに攻め続けていればよかった。そのときは引退も頭をよぎったのですが、自分の中で完全燃焼できていなかった。このままボクシングを続けるにしても、続けないにしても、東京オリンピックでは後悔したくない。だからこそ、このとき浮き彫りになった課題に、本気で取り組もうと思ったのです。

普段は教えることが多い田中教諭。人から教わる経験が新鮮に感じられたという

 トレーニングでは、プロボクサーの弟やそのトレーナーをしている父にも指導を仰ぎ、一から体を鍛え直そうとフィジカルトレーニングジムにも通いました。いつもなら試合や合宿をすることで、モチベーションを高めたり、自分の体の状況を確認したりできるのですが、コロナでそれもできません。しかし僕の場合は、練習環境を変えたことがとてもプラスに働きました。

 普段は学校の練習場で選手と一緒に練習して、自分はボクシング部監督として教える立場なのですが、久々に人から教えてもらう感覚は楽しいものがありました。もちろんトレーニングはしんどかったですが、少しずつ自分の体が強くなって、ボクサーとして成長していることが実感できたのは貴重な経験でした。

(藤井孝良)

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【プロフィール】

田中亮明(たなか・りょうめい) 1993年、岐阜県生まれ。母校でもある中京高校の教員として勤務しながら、東京五輪男子ボクシング・フライ級の日本代表として出場し、銅メダルに輝く。弟にプロボクサーの田中恒成選手がいる。同校ボクシング部の監督として、後輩の指導にも当たる。

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