【野口晃菜氏】 「たまたま」得た特権をどう使うか

 個人の頑張りではどうにもならないことが多過ぎる――。LITALICO研究所所長の野口晃菜氏は、学校現場で奮闘し続ける教員についてこう憂慮する。大半が「児童生徒のためになりたい」「学校をよくしたい」と思っているにもかかわらず、停滞し続けているように見える現場。その改革に野口氏が挑み続ける背景には、小中高時代に見た米国の学校で見た忘れられない光景があった。特別支援教育をはじめとする日本の学校教育が変わるために、どのような「仕組み」が必要なのか、野口氏に聞いた。(全3回の2回目)

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米国で見た障害児教育のリアル

――特別支援教育や障害児教育を志したきっかけを教えてください。

 小学6年生の時、父の転勤で米国イリノイ州に引っ越しました。当時の現地での学校生活が、今の私に大きな影響を与えています。
 
 その学校では、同じクラスに車いすユーザーの同級生がいたり、隣のクラスに重度の脳性麻痺の同級生がいたりしました。脳性麻痺の同級生は発話が難しかったので、「コミュニケーションスイッチ」という機械を使って「YES」「NO」を伝えるなどして、先生や私たちと意思疎通を図っていました。その他にもクラスメートの間で、「俺、ADHDだから薬飲んでくるね」などの言葉がごく普通に交わされていたことも、特別支援教育に関心を持ったきっかけでした。

小中高時代を米国で過ごした経験が、野口氏の活動の基盤となっているという

 さらに、私自身も英語が全く話せない状態で「特別なニーズのある子ども」として学校生活を送ったことも大きかったです。学校には英語が第二言語の子ども向けのクラスがあり、通級のような形で週に何回かそこへ通いながら学んでいました。そのクラスで、自分に合った方法で教えてもらう経験を重ねながら、自分がマイノリティーであることを感じていました。

 高校卒業まで米国で過ごしたのですが、現地の高校には大学のように専門的な選択授業が数多くあります。現地での経験から、私は高校2年生の時点で心理学と子どもの発達について専門的に学んでいました。また、3年生に上がると、午後は近くの公立小学校でインターシップをしていました。その小学校では、早い段階から全員の子どもたちに対して「文字を読めているか」「学習につまずいていないか」などを詳しくアセスメントし、困っている子どもを集中的に支援する体制が整っていました。

 高校生の私にも役割が与えられ、読み書きに困難さがありそうな子どもに対して個別支援していました。

――高校生がそんな役割を担うことは、日本の学校ではなかなか考えにくいですよね。

 考えられませんよね。でも、私のいた学校区ではそれが当たり前で、そのための体制が整えられていました。子どもたちの支援について驚くほど細かくマニュアル化がなされていて、そのため、専門性がそこまで高くない高校生でも携わることができました。例えば、「この手順でこうすれば、読めるようになる」などと細かいアプローチが示されており、当時の私も特に迷うことなく目の前の子どもに適した支援をできていたように思います。

 米国ではそんな環境の中で、障害児教育に携わってきました。一方で小学6年生まで過ごした日本の学校では、障害のある子どもと出会ったことがありませんでした。日本の障害児教育はどうなっているのだろうと思い、帰国して筑波大学で学び始めました。

「仕組み」の必要性を知った非常勤講師時代

――大学院在学中に1年間、小学校で非常勤講師をされていたそうですね。

 米国と日本の障害児教育を学び、「日本の障害児教育を変える」というのが、当時の大きな目標となっていました。何をどう変えればいいのかを知るためにも、まずは現場の状況を知ろうと、博士課程1年の時に1年間、小学校の非常勤講師を務めました。

大学院在学中の非常勤講師の経験で、仕組みづくりの大切さを実感したと振り返る

 そこでの経験は、強烈でした。当時は2010年で、特別支援教育が始まった07年からまだ3年しかたっていませんでした。私が勤務していた自治体では、私のような非常勤講師を20人くらい雇い、手厚く支援していました。しかし、通常学級にも支援が必要な児童がたくさんおり、教職員の手が足りない状況がありました。

 私が当時入っていたクラスでも、40人中10人くらいが授業中も常に立ち上がっていて、支援対象の児童はもちろん、他の児童も落ち着かない状況でした。いわゆる学級崩壊のような事態に陥っていたのです。そうした状況で担任の先生がたった1人で奮闘されていました。私は2つの学校を掛け持ちしており、毎日行けるわけではなかったので、とても心苦しかったことを覚えています。

 これまで学んできた専門知識を生かして、学校の仕組みを見直したり、児童へのアプローチ法を提案したりと、やりたいことはたくさんありました。ただ経験の浅い非常勤講師が言い出せるわけもなく、なおかつ、そこで正規教員になったとしても変えられることの少なさを思い知りました。

 歯がゆさはありましたが、先生の多忙さなどを見て、誰か特定の人が悪いわけではないとも感じていました。そして、先生が働きやすい環境づくり、多様な児童生徒と向き合うための環境づくりに取り組みたいと思うようになりました。

 そのため、学業に集中しようと非常勤講師は1年で辞め、米国と日本を行き来しながら研究に取り組んできました。

個人ではなく、仕組みが悪い

――野口さんは現場の教員としっかりコミュニケーションを取り、エビデンスも示しつつ、教員の気持ちやしんどさに寄り添いながら、さまざまな提案をされているように思います。

 非常勤講師として学校現場を1年間体験し、自分の頑張りではどうにもならないことがあまりにも多過ぎて、そんな環境に抑圧されている先生方の苦しさがよく分かりました。

 子どもたちに対しては「多様性を認めよう」「できないこともあるよね」と話しているのに、教員の多様性やできないことは許されない。そんな矛盾した空気感が全体にあります。どんな先生であっても、その先生の強みが生きる環境は必要です。そして、それは一人一人の頑張りだけでは難しく、仕組みをつくっていかなければならないと感じています。

 私は学校現場にもよく行きますし、いろいろな支援の場に行って自分でも子どもたちを支援します。先生方ともよく話をします。そうやって現場に足を運び、先生方の「もっとこうしたい」「幸せになってほしい」という子どもに対する気持ちに触れると、それを実現できない環境がおかしいのだとつくづく思います。特に教育現場で働いている人たちは、みんなすごく一生懸命で、情熱を持っています。しかし現状では、制度が邪魔しているように思えてなりません。環境を整備することが、子どもの幸せにつながるはずです。

 学校現場やさまざまな教育現場・支援現場において、そこにいる人たちが自分らしくいられる状態であることに寄与することが、私のモチベーションです。彼らが自分らしくいられる姿を見ることが喜びであるとともに、そうではない状態に対して許せないという思いもあります。現状では学校でも社会でも、障害やマイノリティー属性の有無で格差が生まれてしまっています。一人一人が悪いわけではなく、仕組みが悪い。だから、気が遠くなる道のりだとしても、その仕組みを変えていかなければならないと感じています。

特権をどう使うか

――情熱を燃やし続けられる秘訣(ひけつ)はなんでしょうか。

 学校現場で困っていることに対して、「その場でできること」ももちろんありますが、「その場でできないこと」をどう実現していくかを常に考えています。今の私はありがたいことに、大きなレベルでよりマクロな視点から変えていこうと働き掛けられるポジションにいます。その特権を存分に活用したいですね。

 ただ、この特権は自分の努力で得たわけではなく、「たまたま」が続いた結果と捉えています。たまたま安定した家庭で育ち、たまたま父の転勤で米国に行き、たまたまいろいろな経験をさせてもらえる環境にいて、そこで問題意識を持った際にたまたま大学に行くだけの経済的余裕があり……。「たまたま」の積み重ねで今の自分があります。

 自分が意志を持って選んできたというよりも、巡り合わせでこのポジションにいさせてもらっているという感覚が強いのです。だから、そこで得ている特権は自分のために使うのではなく、社会をより良くするために使いたいという気持ちが常にあります。

(板井海奈)

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【プロフィール】

野口晃菜(のぐち・あきな) LITALICO研究所所長。博士(障害科学)。インクルーシブ教育の実現を目指し、自治体などと連携して、障害のある子どもを含む多様な子どもがいることを前提とした教育の仕組みについて研究する。著書に『発達障害のある子どもと周囲との関係性を支援する:コミュニケーション支援のための6つのポイントと5つのフォーカス』(中央法規出版、共著)などがある。

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