
地元・富山県にJリーグクラブをつくる――。20年以上かけて、そんな壮大な構想を実現させたのが、富山県立雄峰高等学校の体育教師、佐伯仁史教諭だ。公立学校の一教師がJリーグクラブをつくろうとした背景には、スポーツを軸に地域の人やコミュニティー、教育、福祉などをつなげていきたいという熱い思いがあった。インタビューの第1回は、教員1年目からJリーグクラブ設立までの激動の日々を振り返るとともに、教師が学校の外に出ることの意義についても聞いた。(全3回)
この特集の一覧
地元のJリーグクラブ設立に自分の全てを懸ける
――高校教諭が地元のJリーグクラブを立ち上げたということに、多くの人が驚いていると思います。
私は地元の高校を卒業して筑波大学に進学した後、蹴球部でサッカーに明け暮れていました。そんな中、大学3年生だった1985年に、日本初のプロサッカーリーグ構想の話が持ち上がっていることを耳にしました。
聞いたところ、プロサッカーリーグは地域主体のクラブ運営を目指している。クラブがある各都市にホームスタジアムがあって、ただ試合を見るだけではなく、そこに地域の人たちが集う場にもなっている、私が憧れていた欧州のクラブチームのような環境が日本でも実現できるのではないか。それが地方を活性化させる起爆剤になり、スポーツの良さや価値をもっと広げることができるのではないか。そんなことを思いました。
そうして野望に火がつき、私は絶対に地元・富山にもクラブチームをつくらなければいけないと思いました。
――その思いに突き動かされて、帰郷されたのですね。

実は、プロサッカーリーグ立ち上げの話を聞くまで、私は「何がなんでも東京で就職する」と思っていました。実際に内定もいただいていたのですが、自分の全てを懸けて富山にクラブチームをつくろうと考え、Uターン就職することを決めました。
また、もともと中高生の部活動の環境について、都市部と地方の間で大きなギャップがあることにも課題を感じていました。教師という立場で、部活動の環境を良くしたいという思いもあり、地元で体育教師をしながら、クラブチーム設立へ奔走する日々が始まったのです。
「教師=世間知らず」のイメージを変えたい
――まず何から取り組んでいったのでしょうか。
新任の時から勤務以外の時間を使って、企画書を持って企業訪問を繰り返しました。企画書といっても、収支予測も何もない、ただ自分の思いをつらつらと書いた一枚の紙です。この街のキーマンだと思う人には片っ端から会いに行きましたが、「若造が、何たわごとを言っているんだ」という反応がほとんどで、「またその話か」と追い返されることも何度もありました。
――厳しいスタートだったのですね。一番つらかったのはどんなことでしたか。
賛同者が圧倒的に少なかったことですね。孤軍奮闘せざるを得ませんでした。というのも、私が感じていた富山は「都会で成功したことしかやらないことが多い」という、超保守王国なのです。富山が発信源になるなんて、そんな大変なことは地方には必要ないと考える人がほとんどでした。
また、「教師がそんなことを実現できるはずがない」とも思われていました。「教師=世間知らず」というイメージを持たれていたのです。でも、これを機にそのイメージもついでに変えてやると燃えました。「教師にもこういう型破りなやつがいる」ということを知ってほしかったのです。
最初にトンネルを掘る人になるのも楽しい
――クラブチームを立ち上げる上で、ターニングポイントはあったのでしょうか。
「Jリーグ」は1991年に発足し、最初は10チームでスタートしました。そこから徐々に全国にチームが増えていき、富山県サッカー協会もそうした動きを見て、ようやく重い腰を上げました。そして私は県サッカー協会の承認を得て、「Jリーグ特任理事」の肩書を持つことになり、2005年には富山でのクラブチーム設立に向けた「Jリーグスタディグループ」を立ち上げることとなりました。
ここまで14年かかりましたが、この立ち上げが大きなターニングポイントになりました。行政、経済界などいろいろな方々を巻き込んで、3年後の設立に向けて動き出したのです。
ただ、その後も一筋縄ではいかず、授業の合間を縫ってスタディグループの仲間と共に企業訪問を続けました。その際は、私たちは1つのプロチームをつくりたいのではなく、県民のためのクラブであること、県民に支えられるクラブにしたいことを常に訴えていました。
そうして、07年にはJリーグ参戦を目指すチームができ、09年には「カターレ富山」としてJリーグに加盟しました。北陸三県では初となるJリーグのクラブが誕生した瞬間でした。
――話を伺っていると、人よりも一歩も二歩も先のことを考えて、行動されていると感じます。

いつも周りからは「佐伯は早過ぎる」と言われます。でも、誰かがトンネルを掘り始めないと、先には進めません。掘り始めたら、後ろから掘る人が出てきます。私は最初に掘る人になることが楽しいと思います。そして何より、そのトンネルを後ろにつないでいくことで、価値ある人生になると思うのです。
クラブチームの設立まで20年以上もかかりましたが、その間は1センチでも前に進むことが大事だと思ってやって来ました。自分は何のために掘っているのか、きちんとしたビジョンさえ持っていれば、たとえ1センチしか進まなくても、それは充実感につながります。
地方の良くないところは、都会と比べて「足りない」と感じてしまうところです。「足りない」ものに対し、誰かが何かをしてくれるのを待っていては駄目なんです。
コロナ禍で都会から地方に移住する人やワーケーションする人が増えるなど、今や地方は都会から選ばれる時代になってきています。都会にあるものを地方に持ってきて発展させるようなかつてのやり方は、もはや通用しません。東京型の成功を求めるのではなく、地方こそ都会にない自分たちの魅力を発信していくべきです。新幹線が開通してやっと都会に近づいたと思ったら大間違いで、富山に魅力がないと、若い人たちは都会に流出してしまいます。
大型デパートや商業ビル、大きな橋、新幹線、飛行機、そういった経済的価値を街の中に求めるのではなく、もともと地域には自然資本がたくさんあるはずです。加えて、地方にしかない人間関係=人的資本や社会関係資本もある。それらを活用することで、社会的価値にあふれた持続性あるオリジナルの魅力ができていくのだと考えています。
教師こそ、ロールモデルになろう
――今、「まちなかスタジアム構想」も進めているそうですね。
J3の「カターレ富山」の現在のホームスタジアムは富山県総合運動公園陸上競技場で、街中からは離れた所にあります。私は県内のアクセスの良い場所に新しい複合型スタジアムを建設し、サッカーだけでなくさまざまなスポーツやイベントを誘致したいと考えています。スタジアムが街と一体化し、市民の憩いの場となることを願っています。

スポーツを軸に、人や地域コミュニティー、教育、福祉、ビジネスの全てをつなげていきたい。スポーツによるまちづくり、地域活性の方法論の全てを詰め込みたいと考えています。
例えば、試合の前後の時間を使って、街中のお店にも足を伸ばしてもらう。「カターレ富山」の試合を観に行くと、あんなものが食べられたり、こんなことができたりして、歩いていても楽しい。それは富山のスタジアムにしかないものになります。
こうしたことを市民主体で考え、市民の意見を吸い上げながらみんなで創り上げていく。住民がまちづくりに参画していくことにつながるし、何よりそういう大人を子どもたちが見ることで、「この街で、あんな大人になりたいな」という思いが広がっていくことを期待しています。
――そんなまちづくりができたら、すてきですね。
「今の若者は……」と大人は言いますが、それをつくったのは私たち大人の社会です。大人の方が若者との共感姿勢を持ちながら変わる必要があります。
まちづくりにしても、行政が動くのを待つのではなく、もっと身近な大人がロールモデルとなるべきです。私は教師こそ、そうあるべきだと考えています。なぜなら、子どもたちから最も近い所にいて、子どもたちに背中で感じさせるチャンスを一番持っているからです。
今、教師を目指す若者が減っていますが、子どもたちにテストの点数についてどうこう言うのが教師の仕事ではなく、もっと別の側面を見せていくことも大事です。それが、教師の魅力化にもつながります。
私は教師であるとともに、スポーツの専門家でもあります。これまでも意識的に学校の外に出て、自分とは異質な人と交わることを大事にしてきました。そうすることで、普通の教師とは違う引き出しが増えていきました。外に出ることで、心の視野も広がります。教師はもっと外へ出て、学校以外の夢を語っていいと思うのです。人生100年、それが退職後の人生にも良い影響を与えると思います。
(松井聡美)
この特集の一覧
【プロフィール】
佐伯仁史(さえき・ひとし) 1964年生まれ。富山市出身。筑波大学体育専門学群卒。富山県立雄峰高等学校体育科教諭。実業校、進学校、定時制、支援学校全ての校種を経験。教職と並行して、社会生活や教育現場におけるスポーツの重要性を研究、実践。立山フットボールアカデミー(現立山ベアーズ)を設立、そこから独立したFC富山U-18などを経て、2005年にNPO法人富山スポーツコミュニケーションズを設立し、理事長に就任。富山県サッカー協会特任理事として「Jリーグスタディグループ」を設置し、県民クラブ(そのまま「カターレ富山」に)を創設した。JFA(日本サッカー協会)公認B級コーチ、JFAスポーツマネジャーズカレッジサテライト講座インストラクター。著書に『フツーの体育教師の僕がJリーグクラブをつくってしまった話』(徳間書店)。