【演じ、表現する教師】 教師を演じて感情をコントロールする

 大阪市立豊仁小学校で6年生を受け持つ松下隼司教諭は、昨年6月に『ぼく、わたしのトリセツ』、9月に『せんせいって』の2冊の絵本を立て続けに出版した。かつては関西の小劇場に所属して演劇人としても活動し、短歌やプレゼンテーションのコンクールでも入賞するなど多才な経歴を持つ松下教諭に、教師という仕事と表現活動の在り方について話を聞いた。(全3回の第1回)

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「教師を演じてみたかった」ことに気付き、演劇の道に

――昨年2冊の絵本を出されました。また、かつては小劇場で活躍されていたり、短歌やプレゼンなどで賞を取られたりしています。幼い頃から「表現」することに興味があったのですか。

 そうですね。昔から表現をする欲求みたいなのがありました。子どもの頃は絵を描いたり、文章を書いたりするのが好きで、もともとあまりしゃべる方ではなかったため、何かで自分の感情を表現したいという思いがあったのだと思います。幼い頃から絵を描くのがとにかく好きで、高校では美術部に入り、大学でも美術を専攻しました。

 そして19歳の時に劇団に入りました。大学のサークルではなく、関西の小劇場でプロを目指す人たちばかりの劇団です。とにかくハードでしたね。平日は夕方6時から9時まで、土日は朝9時から夜9時まで12時間稽古をして、そこから舞台美術を作りに行くなどしていました。そのほかにも小さな芸能事務所に入って、スペイン村で出演者の仕事を2年間していました。

――一方で、教員も目指されていたのでしょうか。

 母が特別支援学校の教員だったんです。正月に届く教え子からの年賀状の数に、毎年驚いていました。それらの多くは、卒業生などから送られてきたもので、一枚一枚が丁寧に書かれていました。それを見て、「すごい仕事だなあ」と尊敬していました。あとは夏休みのプール開放で、私もお手伝いで生徒たちと一緒にプールに入ったりして、教師とは楽しい仕事だな、素晴らしい仕事だなと思っていました。そうしたきっかけで、教師を目指したんです。

若い頃の自分について「教師という役を演じてみたかっただけ」と振り返る松下教諭

 ただ、実際に大学で教職課程を取って勉強を始めてみた頃の話ですが、当時テレビでやっていた岸谷五朗主演の『みにくいアヒルの子』というドラマを見たときに、「自分は教師になりたいんじゃなくて、教師を演じてみたかったのかな」と思ったんです。母親のことはもちろん尊敬していましたが、先生役を「演じてみたかった」のかもしれないと思い始めて、劇団に入ったんです。大学も休学して、そのままプロを目指していました。

 ところがその後、家庭の事情もあって、大学へ戻ってまた教師を目指すことにしました。ただ、大学を卒業して教員になった後も、別の劇団に入り直して活動はしていました。当時、公演期間は年休を取って、教員の仕事は片手間でしているような感じでしたね。

教育と真剣に向き合う教師たちとの出会い

――教師になりたての頃は、気持ち的には演劇がメインだったのですね。

 そうですね。当時は演劇の方が面白いし、演劇をやっている人の方が真剣だし、ギラギラしていると思っていました。でも、ある時に読んでいた本に「真剣に集中して準備した授業は、舞台に匹敵する」と書かれていて、その言葉に何か引かれるものがあったんです。

 いろいろと調べてみると、さまざまな工夫を凝らした授業づくりに取り組んでいる先生方の存在に初めて気付きました。そして勉強会にも行ってみたところ、本当に劇団の稽古と同じように思えたんです。

 ただ、演劇とちょっと違うなと思ったのは、子どもたちのリアクションによって、自身の振る舞いを柔軟に変えないと駄目なところです。舞台にもアドリブはありますが、基本的には台本の通りに稽古して練り込んでいきます。

切磋琢磨する先輩たちの姿を見て、教師という職業を見つめ直したという

 でも授業は子どもが相手なので、予期せぬリアクションに瞬時に軌道修正をしないといけません。それが悪かったら授業が崩壊してしまいます。それは舞台ではないことですよね。その時に、「教師ってすごいなあ」と思い、29歳で劇団は辞めて、教師の仕事に真剣に取り組むことにしました。

 演劇人と同じように、あるいはそれ以上にギラギラしている学校の先生方がいて、互いに磨き合っている人がたくさんいることに気付いたのは、私にとってとても大きな出来事でした。

 でも、そんなことは、早ければ大学生の段階で気付くことです。あるいは新卒の頃に、そういう先輩や研究会などに出会ったりします。ところが、自分はすでに29歳だったので、「ああ、出遅れたな」と、その時には思いました。

――それでは、その時から授業づくりも含めて、教師として変わっていったということですね。

 大きく変わりました。毎日授業を動画で撮影して、放課後にはそれを見て振り返って、授業中の自分の言葉をパソコンで打ち直してということを繰り返しました。ある先生の授業のテンポがとても心地良かったので、そのテンポを身に付けたいために、メトロノームに合わせて練習するなどもしました。

――舞台にも、心地良いセリフ回しがありますよね。教師の仕事と改めて向き合って、逆に演劇で培ってきたものが生きた部分があるように思いますが、いかがですか。

 そうなんですよ。29の頃は気付くのに遅れたことをとても後悔していたのですが、授業法などを勉強するようになって10年ぐらいたってから、「演劇に取り組んだことは無駄じゃなかったんだな」と、やっと思えるようになりました。

演技の経験が、感情のコントロールに生きる

――そのほかにも、演劇の経験が今の仕事に生きている部分はありますか。

 実を言うと、私はとても怒りっぽくて、ある時やんちゃな子を叱り過ぎて、次の日にその子が学校に来なかったことがあります。その時はとても後悔して、感情のままに指導していたら子どもを傷つけてしまう、子どもの幸せには結び付かないと思いました。

 そこでアンガーマネジメントの勉強を始め、大人向けと子ども向けの資格も取得しました。でも、あまりうまくいかなかったんですよね。教室では40人の多様な特性の子がいて、学んだことが生かしきれませんでした。

 そこで、演劇の経験に結び付けて、「怒っているように見せる」ようにしようと考え方を切り替えたんです。とはいえ、全部が演技だと子どもには響かない。だから、感情に出しつつも演じている部分をどこかに残しておくんです。例えば、子どもたちを強く叱った後に、「たぶん自分の子どもだったら、今みたいに怒っていたよ。よかったね、うちの子じゃなくて」と言ったりします。

――演技的なものを生かして子どもたちと接する点で、教師と演劇には共通点がありますね。

 そうですね。私自身は経験を重ねる中で、「この人、本当に先生に向いているな」とか、「こんな先生に担任してもらった子どもは幸せだな」とか、思うことが多々あります。自分より経験の浅い先生にも、そういう人はたくさんいます。

演劇人としての経験は決して無駄ではなかったと語る

 その意味で、自分は教師には向いていないと思っています。もともとしゃべることが好きではないですし、怒りっぽいし…。なので、明るい先生をイメージして「演じる」ことによって、だんだんと自然な笑顔がつくれるようになったんだと思います。

 今はもう家にいても仕事のことばかり考えています。授業のことを考えるのが本当に楽しいですね。教科書を見てどんな展開にしようかと、授業の組み立てを考えたりすることに楽しさを感じる日々です。ただ、将来的には演劇活動で兼業届を出してみたいなんてことも考えています。

(大川原通之)

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【プロフィール】

松下隼司(まつした・じゅんじ) 1978年、愛媛県松山市生まれ、奈良教育大学卒業。大阪市立豊仁小学校教諭。第4回全日本ダンス教育指導者指導技術コンクールで文部科学大臣賞、第69回読売教育賞で優秀賞を受賞。2021年に『ぼく、わたしのトリセツ』(アメージング出版)、『せんせいって』(みらいパブリッシング)の2冊の絵本を立て続けに発刊。関西の小劇場を中心に演劇活動もしている。今夏、東洋館出版社より、教師も子どもも楽しく過ごせる学級を目指す「楽級経営」についての書籍を刊行予定。

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