
学校の中では多くの場合、「積極性」が評価される。だが、積極的ではない人が、不真面目なわけでもやる気がないわけでもない。津田塾大学の栗原一貴教授はそうした「消極性」に光を当て、誰もが参加しやすいコミュニケーションの在り方などをデザインする「消極性研究会」を設立し、活動を続けてきた。同会の代表を務める栗原一貴教授に、インタビューの1回目は現在の活動とポストコロナの学校教育について聞いた。(全3回)
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「消極的な自分を変える」以外の解決策を考える
――そもそも「消極性研究会」というのは、どのような組織なのでしょうか。
研究会のメンバーはどちらかというと、情報技術で情報システムを作ってそれを生かすような研究が得意な人たちです。そのため、どんな形に情報システムをデザインすれば、消極的な人や集団がより良く交流ができるかといった方向で研究することが多いですね。
人に「弱さ」がある場合、それを矯正して世の中に合わせていくというのが一般的です。そうではなくて、消極的な人が生きやすいように、周囲の環境をちょっと変えたり、消極的な人だからこそ社会に貢献できるやり方を編み出したりする。そういったことが可能だということを、いろいろな人に伝えたいというのが設立メンバーたちに共通する思いです。
そうは言っても完璧な理論ができているわけではないので、割と場当たり的に「その人の状況とできることに応じて」という感じになってしまうところが、理論的に少し弱いところではあります。ただ、まだまだわれわれも知らないような、情報技術などを全く使わない消極性デザインだってあるんじゃないかと思っています。
結果的にコミュニケーションが円滑になるのであれば、取り立てて高度な技術がなくても成立するような方法が提案できたらいいなと思っています。例えば、じゃんけんとかサイコロとか…。誰かが誰かに指示しなければならないとき、指示する側はちょっと気が重いし、指示される側もちょっと嫌な気持ちになります。だったら、サイコロを振って決める方が実は心の負担が少ない。そうした仕組みを研究して、いろいろなコミュニティーやコミュニケーションの場で使えるようにしていくのが、本研究会が考えていることの一つですね。
――メールが日常的に使えるようになって以降、電話をする心理的な負担が減ったところがあるなと思ったりします。
テクノロジーにはコミュニケーションの在り方を変質させる力があります。どうせ変質させられるんだったら、コミュニケーション力が得意な人を強化するのではなく、苦手な人が参加しやすく変える方が、社会にとってプラスになるのではないのかと考えています。
消極的な人にとってオンラインの進展は福音
――そういう意味ではやはり、足掛け3年になるコロナ禍というのは、すごく大きな出来事だったのではないでしょうか。
コロナ禍は、人生屈指の大激震だったと思います。本当にいろいろと勉強しました。一方で、非常に大きな研究テーマだとは思いつつも、日常業務の変質がすご過ぎて、研究が大いに進んだわけではありません。ただ、とても多くの示唆を得ました。

コミュニケーションをしやすいかしにくいかは、自分の情報をどの位開示するかによって変わってきます。例えば、オンライン会議では「顔を出すか」「背景を映すか」など、自身の情報をどの程度開示するかを自分で選べます。なので、一般的にはオンライン化によって、コミュニケーションが苦手な人が「得意なタイミング」や「得意な強さ」でコミュニケーションできるようになりました。私自身は、オンライン化が進んだことは消極的な人にとって福音だったと考えています。
一方で、旧来型の対面コミュニケーションで味を占めている人やスキル習得を重ねてきた人たちは、自分の得意技が使えなくなります。オンライン化が進む中で、「上座の人がちゃんと映えて大きく映るようにしてほしい」と機能面の要望をする人もいれば、「誠意ある対応としてカメラをオンにしろ」と部下に命じる人もいると聞きます。
――ある高校の教員がオンライン授業で生徒たちに「どんな格好をしていてもいいし、顔も出さなくてもいいから、とにかく参加してほしい」と伝えたところ、一気に出席率が上がったそうです。
制服を着て姿勢正しく座っていない生徒が、必ずしも真面目に授業を受けていないとは限らないんですよね。コロナ禍で世の中がオンライン化されたことによって、みんなコミュニケーションの参加の仕方の違いに寛容になりました。これはとても重要なことだと思うんです。
「この人は子育て中だから、会議中に子どもが映ってしまうのかもしれないな」とか「すっぴんを見られたくないから、ビデオをオフにしているのかな」とか、考えるようになった人は多いと思います。やはり、対面でのコミュニケーションというのは、ある一定の前提条件に同調している人が、利益を得やすいような構造があるんです。この点はなかなか変え難いものがありましたが、コロナ禍によって崩すことができたように思います。
多様な強さでコミュニケーションに参加できる経路をつくる
――大学のオンライン授業は、どんな状況でしょうか。
大学の場合、データ通信量節約という目的とともに、学生のプライバシーを保護する意識がとても強いので、本学ではオンライン授業のカメラのオン・オフは、基本的に学生の自主性に任せていました。でも、そうなると一人だけオンにすると目立ってしまうので、誰もカメラをオンにしません。そのため、講義をする教員は、真っ黒な画面に向かってただひたすら話して続けているような状況も多かったですね。

オンライン化によって、学生が自分の意思でコミュニケーションの方法を選べるようになった点は、消極性研究者としても誇らしいことだと考えています。一方で、真っ黒な画面に向けて話すことに困惑している自分もいて、なんだかんだ言いながら自分もそうした旧来的コミュニケーションのメリットを享受していたのだなと、反省するところもありました。
昨年度にいったんコロナが落ち着いた頃、一時的に復活した対面講義を担当する本学の一部教員は、ほぼ毎日出勤していました。一方で学生の登校は自主性に委ねられていて、オンラインで授業を受ける人が数多くいました。そのため、教員が教室から行うハイブリッド授業は、時折誰もいない教室から画面に向かって配信するというシュールな世界が広がっていました。
――画面越しに顔が見えない状況で講義をするのは、やはりやりづらいものでしょうか。
そうですね。例えば学生側から何か情報を出してもらわねばいけないときに、オンラインでは一人しか発言ができないので、周囲の人とのコソコソ話ができません。発言権が単独かつ厳密なので、対面授業よりプレッシャーが強いんですよね。発言すると目立つので、躊躇(ちゅうちょ)する学生は少なくありません。そういう状況の中でどうやって発言や会話を引き出すか、いろいろと試行錯誤をしています。
以前から私たちが提案してきたこととしては、コミュニケーションの経路を「手を挙げて話す」以外にも設けることです。そうして、自分が参加したい強さで意思表示できるような仕組みをつくることが、解決策の一つになると思います。
例えば、Zoomではチャット機能を使って自分の意見を書くことができます。あるいは「いいね」マークをクリックするような形で、自分が心地よいと思う形・強さで意思表示することもできます。

チャットの場合、話の流れや雰囲気があって、それを乱してしまうことを恐れて書き込まない人もいます。そういう人のために、同時に全員が書き込めるメモ帳みたいなものを用意して、「ここはあなたの場所」といった具合に書き込みスペースを用意しておくなどの方法もあります。
私自身も、人数分の名前が書かれた記入欄を用意し、「この質問に対するあなたの意見を返してください」と呼び掛けるなどしながら、オンラインに特化したコミュニケーションの在り方を模索してきました。今は少し対面に戻ってきていますが、オンライン化の中で培った「多様な強さでコミュニケーションに参加できる経路をたくさん確保する」というノウハウは、今後も役立つものだと考えています。
(大川原通之)
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【プロフィール】
栗原一貴(くりはら・かずたか) 津田塾大学学芸学部情報科学科教授。学問領域上の専門分野は、情報科学の中でどのようにコンピューターシステムをデザインすれば、人々の役に立ち、便利かを考える「ヒューマンコンピューターインタラクション」など。対人コミュニケーションが苦手だったり、日々の活動に対するやる気が不足していたりする現代人の消極性を扱う「消極性研究会」を2014年に立ち上げる。著書に『消極性デザイン宣言』(ビー・エヌ・エヌ新社)。