【「消極性デザイン」が社会を変える】 ポストコロナの社会と教育

 オンライン授業の拡大によって、「消極的」な児童生徒の授業への参加の仕方が変わり、良い効果がもたらされていると津田塾大学の栗原一貴教授は話す。一方でICTの活用は、「学習機会の保障」においてこそ効果を発揮するとも指摘する。「消極的」な側からコミュニケーションの在り方などを探ってきたインタビューの最終回では、ポストコロナのコミュニケーションや教育の在り方について聞いた。(全3回)

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消極的と積極的の共存の道を探る

――コロナ禍で、日本社会のさまざまな課題が浮き彫りになりました。

 コロナ前は、コミュニケーションが弱い人をどうやって守って代弁するか、といった消極性寄りの側に私はいたつもりでした。でも、なんだかんだ言いながら私自身もやはりリアルコミュニケーションを捨てきれないというか、そこに何か人間的な大切さを感じているのだなと、コロナ禍を経て気付かされました。なので現在は、消極的だけれども本当は積極的になりたいと考えている人がいたら、それを支援することもしなければいけないと思っています。

「リアルコミュニケーションが捨てきれない自分に気付いた」と話す栗原教授

 本学でもオンライン授業が多くなったせいで、「せっかく大学に入学したのに友達をつくれない」といった悩みを抱えている学生が増えています。対面の授業であれば持ち前のコミュニケーション力で周囲の人に教えてもらったり、先生に聞いたりして学習を進めていた学生から、「オンラインが自分には合わなくて、ちょっとふさぎ気味になった」といった話をよく聞きます。オンラインの環境というのは、消極的な人に心地よい状況をつくる一方で、オンラインだけでは弱ってしまうタイプの学生もいるのです。

 人間というのは、自分の情報は開示したくないけれど、人の情報は欲しがるものです。そう考えると、オンラインの場で参加者を交流させたいのなら、明示的に「ここはカメラをオンにして話す場です」と事前に了承を得る必要があるのかもしれません。インフォームドコンセント的な感じにです。

 私自身は基本的に、「消極的な人が社会的弱者になりがちだから、サポートしてあげなければいけない」という姿勢ではいますが、積極的な人と力を合わせてこそ、全体的として良い方向へ行くのは確かだと思うんです。だから積極的な人を淘汰(とうた)したいわけじゃありません。うまい具合に、共存の道を探っていく必要があると考えています。

――日本の学校は、基本的には「積極的」なことが評価される世界です。

 学校で消極的な人がマイナス評価されがちだという問題を考えた際、まず頭をよぎったのは、自分は消極的だと思っている人も、どこかの方面に積極性があったりするんじゃないかということです。これは積極的な人に向けてのメッセージでもあるのですが、積極・消極の価値観の軸というのは、「あなたの中」にあるんです。

積極・消極の価値観の軸は、「あなたの中」にあるという

 単に軸の取り方の問題ではないかという点は、多くの人に考えてほしい。あと、「消極的」というのは、物事に対して繊細だというのが根本にあるケースが多いんですよね。繊細で敏感だと、普通の人よりたくさんの情報を感じ取ってしまうため、その情報量に耐えられなくなって距離を置いてしまうのではないかと。

 決して、やる気がないわけじゃないんです。感度の高いセンサーを持っているが故の問題であり、その特性を生かす方法が他にあるんじゃないかと思います。より敏感に感じるセンサーを持っているのですから、そうした人をちゃんと議論に入れてアウトプットするのを手助けしたら、社会問題の解決にも寄与すると思います。

コロナ禍の成功体験をその後に生かす

――「GIGAスクール構想」で、1人1台端末の整備が実現しました。教授の専門と関連付ければ、それが消極的な児童生徒にプラスに働く面はあるでしょうか。

 コンピューターなどのテクノロジーは、うまく使えばプラスになると思います。ただ、下手に使うと管理負荷が上がるだけです。そこが難しくて、1クラス30~40人の端末をちゃんと問題なく動かしながらやり続けるというのは、リスク工学的には難しい部分があります。

 学校はどこか「ゼロリスク」を求めてしまうようなところがあります。トラブルは起きるものだという前提で、何台かすぐに取り替えられるような予備機も整備すべきでしょう。そうして現場の先生が管理できるような状況を整備した上でうまく活用すれば、一人一人に最適化された教育の実現に寄与するのではないでしょうか。

 コロナ禍で現場の先生方は苦労していると思います。そんな中で、「こういうところはよかった」という部分を成功体験として蓄積していけば、プラスに働くんじゃないでしょうか。苦労したことも決して無駄にはならなかったわけで、1つでもプラスに変えていけたらいいんじゃないかと思います。

――一斉休校になった時にオンライン授業を実施した学校では、不登校だった子どもが参加できるようになったという事例があります。そうした成功体験を、今後にどうつなげていくかということですね。

 そうですね。大学でも登校することに困難を抱えている学生がいて、「オンラインの方がよかった」「対面に戻るのが悲しい」という声を耳にします。むしろ私はそこにこそ、ICTを用いた教育の光明を感じているんです。

 「良い教育とは何か」という点で結論を出すのは難しいものがあります。一方で、「全ての人に学習環境を保障する」という点で、異論を唱える人はいません。この「学習機会の保障」という点で、ICTは大きな効果を発揮するのです。教育におけるICTの活用は、むしろそうした視点から広がっていかないかと感じます。

 例えば、聴覚や視覚に障害がある人は、タブレット端末があることで、情報を自分が摂取しやすい形に変換できたりします。あるいは地方に在住する人に、VRを使って疑似体験をさせるなどの取り組みもできると思うんです。

――昨年度は、リモートで校外学習を実施した学校も多かったようです。疑似的とはいえ、今まで行けなかった所へ行けるのは確かですね。

 VRはリアルではないと批判する人もいますが、擬似体験でも行けないよりは行ける方がいいに決まっています。確かに、バーチャルに置き換えれば効果は弱くなりますが、ゼロだったものを若干でもプラスにできるなら、やった方がいいでしょう。

適度な「周辺体験」をデザインすることが課題

――これからの課題について聞かせてください。

 本学は文系学科が大きいのですが、コンピューターがとても苦手だった教員も、さすがにZoomを使うようになりました。結果として、会議がとても楽になったので、みんな喜んでいます。

オンラインでは、雑談という「周辺体験」が圧倒的に少ないと指摘する

 とはいえ、やはりオンラインでは雑談ができません。雑談から始まる創造というのは、馬鹿にできないものがあります。学会にしても、会食の席で酒でも飲みながら話すことによって共同研究が始まることが珍しくありません。学会がオンライン化されて、個人的には現地まで行かなくて楽になったと思う反面、社交を通じた新しい研究の芽が生まれる確率が減ったことは、身に染みて感じています。

 大学や会社の会議などで、てきぱきと物事を決めていくにはオンラインがいいのですが、雑談の必要性はどんな組織にもあるはずです。その点をどうするかは今後考えなければいけません。

 私はそれを「周辺体験」と表現していますが、今は少なくなり過ぎてしまっています。それはそれで問題なので、少しは「周辺体験」ができるようなデザインを意識しないと駄目かもしれないと考えています。それこそが、ポストコロナの「消極性デザイン」なのかもしれません。

(大川原通之)

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【プロフィール】

栗原一貴(くりはら・かずたか) 津田塾大学学芸学部情報科学科教授。学問領域上の専門分野は、情報科学の中でどのようにコンピューターシステムをデザインすれば、人々の役に立ち、便利かを考える「ヒューマンコンピューターインタラクション」など。対人コミュニケーションが苦手だったり、日々の活動に対するやる気が不足していたりする現代人の消極性を扱う「消極性研究会」を2014年に立ち上げる。著書に『消極性デザイン宣言』(ビー・エヌ・エヌ新社)。

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