【生い立ちを超え、なりたい自分になる】 社会的養護のアップデート

 保護者不在や虐待、貧困などの事情を抱える子どもを、児童養護施設や乳児院などで養育する社会的養護制度。同制度により、全国で約4万2千人が施設などで暮らしている(昨年3月末時点、厚労省調査)。今年6月には改正児童福祉法が成立して原則18歳(最長22歳)だった退所の年齢制限が撤廃されたが、施設で暮らす子や保護を離れた若者への支援には今も課題が残る。18歳まで施設で育ち、同制度への理解の輪を広げようと活動する田中れいか氏が学校教育に寄せる願いとは――。インタビューの第1回では、施設入所に至る経緯や支援の実態を聞いた。(全3回)

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社会的養護への「入り口」を作りたい

――ご自身が児童養護施設で約11年間を過ごし、昨年12月には著書『児童養護施設という私のおうち』を出版されました。経緯を教えてください。

 2020年4月にYouTubeで「社会的養護専門たすけあいch」を開設し、一般に知られていない社会的養護制度について理解を深めてもらう活動をしていました。そんな折、配信動画の一つ「児童養護施設での暮らし」を見た出版社の方から連絡があり、児童養護施設の生活について執筆することになったのです。

著書『児童養護施設という私のおうち』発刊の経緯を話す田中氏

――執筆が決まった時、どのような本にしようと考えましたか。

 社会的養護について書かれた本には、大きく3種類あります。専門家による研究書、当事者による生い立ちの記録、そして現場の施設職員による手記です。一方で「社会的養護についてゼロから知りたい」という人にとって、入り口になるような本はありませんでした。そこで、「これを読めば一通りのことが分かる」本を書こうと思いました。

――執筆に際しては、どのような点を工夫しましたか。

 読み手の関心事に沿った知識や情報を届けるよう工夫しました。具体的には、「私自身の生い立ち」と「社会的養護についての解説」の二部構成にしました。また、多角的に児童養護施設を知ってもらえたらと思い、多くの人にインタビューをするなどしてご登場いただきました。

 出版後には、「現場実習へ行く学生の教科書として購入してもらった」という声も寄せられるなど、苦労が報われたと感じています。

泣いて施設に入らなかった

――書籍にも書かれている田中さん自身の生い立ちについてお聞かせください。施設に入られたのは7歳だったのですよね。

 はい。小学1年生の3月までは東京都足立区の自宅で暮らしていました。両親と小学5年生の姉、4年生の兄と私の5人家族でした。

 私が幼い頃は穏やかな家庭だったのですが、ある時期から両親の激しい言い合いが始まり、怒鳴ったり叫んだりする声が聞こえてくるようになりました。私はまだ小さかったので状況が理解できておらず、両親の言い合いをどういう気持ちで受け止めていたかは覚えていません。ただ、母が叫ぶ声や、物が落ちて割れる音は今も記憶に残っています。

――その後、何が起きたのでしょうか。

 母親が家を出て行ってしまい、姉が家事を引き受けるようになりました。すると父は、子どもである私たちに怒りを向けるようになったのです。そんなある晩、皿洗いをしていた姉が床を水浸しにしてしまったことで、父に「出て行け!」と怒鳴られました。

 姉は出て行くと決心し、兄と私にどうするか聞きました。そして「ついて行く」と答えた私を連れて家を出ました。とはいえ、どこへ行けばいいか分からず、向かった先は交番でした。そこでどんな話をしたかはまだ姉に聞けていませんが、警察官は「家には帰せない」と判断し、夜のうちに一時保護所へ連れて行ってもらいました。

――一時保護所とはどんな所なのでしょうか。

自身が児童養護施設に入った経緯について語る田中氏

 場所にもよりますが、児童相談所の中にあり、家庭で虐待を受けた子どもなどが一時的に生活する所です。外部との連絡は取れず、学校にも行けないなどの制限を受けます。所内の子どもと職員以外にはほとんど誰とも会えないため、「一時保護所に行きたくない」という子もいると聞きます。

 私はそこで約1カ月半過ごしました。今は原則として「2カ月まで」と決まっていますが、事情によりそれ以上になることもあります。行き先が決まらなかったり、家庭との調整にてこずったりすると、滞在が1年以上になるケースもあると聞きます。

――一時保護所から児童養護施設に移ったときのことは覚えていますか。

 移った日のことはよく覚えていません。ずっと後になって施設の理事長に聞いたのですが、姉と一緒に車で到着した際、姉はすぐに車を降りましたが、私は3時間くらい泣いて建物に入ろうとしなかったそうです。全く覚えていないのですが、家に一度も帰れず、親にも会えない状況で、環境だけが次から次へと変わることに不安を感じていたのかもしれません。

 施設に入って1週間もしないうちに、施設がある地域の公立小学校に転入しました。その後、公立中学校から都立高校へ進学し、高校卒業まで約11年間を施設で過ごしました。

施設の仲間とは、仲が良かった

――施設での生活を詳しく教えてください。

 私が施設に入ってすぐの時は二人部屋が4部屋、一人部屋が2部屋のほかに幼児用の畳部屋があり、定員は12人でした。最近の児童養護施設は「家庭的な環境で育てる」という方針に変わり、ほとんどが一人部屋になりましたが、私が最初に入ったのは二人部屋で、1歳年上の女の子と一緒でした。

 平日は朝6時50分に起床し、7時20分までに共用部分を分担して掃除します。その後は配膳と朝食があり、8時になったら学校に登校します。下校後はまず宿題をやり、終わったら自由遊びができて、夕食までは外出もできます。宿題以外にも施設が用意するワークがあり、1日1ページくらいのペースで学習していました。

 全員で夕食を食べた後は、テレビを見ていい時間です。7時ごろから幼児向けの番組が始まり8~9時になると番組の対象年齢が上がっていくので、小さい子から順番に見ることが多かったですね。テレビがあるリビングにはソファやカーペットがあり、その時間はほぼ全員がそこで過ごしていました。

 就寝前には一人30分ずつ、担当職員と自由に過ごせる時間があります。カードゲームをしたり相談をしたりしていましたが、ほかの子と持ち時間を合わせて3人以上で遊ぶこともありました。私のいた施設は子ども同士の上下関係がなく、みんな仲が良かったですが、状況は施設によって異なるようです。

――20年からYouTubeで「社会的養護専門たすけあいch」を開設し、施設での生活についても配信されています。視聴者から驚かれる内容はありますか。

 そうですね。一つは習い事ができることです。私は小学5年生から高校3年生まで、週1回30~60分、ボランティアさんからピアノを習っていました。野球やサッカーをする子もいましたし、生け花や切り絵、影絵などを教わる子もいました。

 また、お小遣いももらえて、月額で幼児が1100円、小学1~3年生が1500円、小学4~6年生が1600円、中学生が2800円、高校生が5500円でした。使い道はお小遣い帳に書き、銀行口座を作って通帳も持ちます。私はお小遣いを少女漫画雑誌の購入などに当てていました。

15歳で突き付けられる現実

――高校卒業後は、退所するのが基本ですよね。

 そうですね。私の場合は高校に入学してすぐの頃、施設職員から「退所後に自立できるよう、100万円を目指してお金を貯めようね」と言われました。収入源は自分のアルバイト代です。

高校生の頃、「将来を考えるゆとりはなかった」と話す

 アルバイトを探そうにも、その段階で私はまだ携帯電話を持っていなかったので、ネット検索するには施設の共用パソコンを使うしかありませんでした。それも1回1時間と決まっていたので、コンビニなどに置かれた無料の情報誌で探して、高1の秋から牛丼チェーン店のオープニングスタッフになりました。

 バイトは卒業まで続けましたが、最終的に60万円しか貯められませんでした。私の周囲でも100万円を貯められたのは1人だけで、その人は高校3年間をアルバイトに捧げたような感じでした。卒業後には生活費も学費も自分で賄うのだと分かっていても現実味がなく、将来を考えるゆとりはありませんでした。

 今にして思えば、「3年後の自立」という現実を15歳という年齢で突き付けられるのは、酷なものだと感じます。

(小松亜由子)

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【プロフィール】

田中れいか(たなか・れいか) 1995年生まれ。親の離婚により7歳から18歳までの11年間を児童養護施設で過ごす。退所後は短期大学を経てモデルとして活動する傍ら、社会的養護の子どもたちと、その経験者への理解の輪を広げる支援活動や講演、情報発信をしている。2020年4月、社会的養護専門情報サイト「たすけあい」・社会的養護専門たすけあいch(YouTube)を開設。昨年12月には著書『児童養護施設という私のおうち――知ることからはじめる子どものためのフェアスタート』(旬報社)を刊行。

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