【生い立ちを超え、なりたい自分になる】 孤立と葛藤の克服

 社会的養護への理解を深めるための啓発活動、支援活動を幅広く展開している社会運動家の田中れいか氏。自身も施設出身者である田中氏は、どのように歩み「現在地」にたどり着いたのか。インタビューの第2回では施設退所後の生活、現在の活動に至る経緯について聞き、日本の社会的養護制度の課題を探る。(全3回)

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退所してからの孤立と葛藤

――高校卒業後の進路は、どのように考えていましたか。

 小さい頃から小学校や幼稚園の先生、保育士、ピアノの先生など、子どもと関わる仕事に就きたいと考えていました。高校生でファッションに関する仕事に興味を持ちましたが、施設職員から「一人で生きていくためには資格を取った方がいい」と言われ、その方向を目指すことにしました。

 その後は消去法です。小学校教員やピアノの先生は4年制大学を卒業しなければなりませんが、中学時代に不登校に陥ったこともある私は、4年間通うのは無理だと思いました。そのため、短い期間で保育士や幼稚園教諭の資格が取れる短大を選びました。

――短大進学と同時に、児童養護施設を退所されたのですね。

 高校卒業後の3月に原則として退所するというルールでした。とはいえ、一人暮らしをしようにもどのくらいの家賃が相場なのかも分かりません。そのため、施設で暮らしている間に施設の職員に付き添ってもらいながら、大学と提携している不動産店の案内を見て、月額4万円で風呂トイレ別のワンルームを借りました。

 家計のやりくりについては、担当職員と一緒にシミュレーションをする時間がありました。私の場合は固定費を10万円と考え、いくらの時給のアルバイトを何時間する必要があるかを計算して、それに沿って生活していました。

――施設を出て、気持ちの変化はありましたか。

 短大で気が合う友人とグループを作り、教室移動や昼食を共にしていましたが、徐々に友人たちと自分は違うと感じるようになりました。同じアルバイト代でも、友人にとっては人気歌手のライブや旅行など遊びに使えるお金ですが、私には生活をするためのお金です。

短大では自分と周囲との違いに悩んだと話す田中氏

 次第に「短大は自分の居場所ではない」と感じ、退学してアルバイトだけで生きて行けば少しは遊べるのではないかと考えるようになりました。短大に行くのがつらく、少しずつ休むようになって、単位不足で半年間留年しました。

 退学するかどうか本気で悩む中で、相談したのは姉と父でした。姉からは「自分も保育の専門学校に進学したが、事情があって退学して夢を諦めた。その分も頑張ってほしい」と言われ、気持ちを奮い立たせて相談した父には「退学したら、進路を決めた高校3年生の自分を裏切ることになる」と言われました。

 父の言葉でハッとしたのは、そのとき一緒になって施設を出る準備をしてくれた職員を裏切るだけでなく、「短大に行きたい」と決めた自分をも裏切ることになると感じました。ここで高校3年生の自分が決めたことを裏切ったら、自分を信じる人は誰もいなくなる。そう思い、卒業まで踏ん張りました。

モデル業から講演活動へ

――その後、社会的養護への理解を広める活動に進んだのですね。まずはモデル業がスタートだったのでしょうか。

 モデルについては、中学時代からティーン向け雑誌を通じて憧れを抱いていました。後押しとなったのは、小学生の頃に芸能事務所の人から名刺をもらった経験です。当時、施設では母と毎月1回会う機会があり、都内のサンシャイン通りなどを一緒に歩いていた時、スカウトマンに声を掛けられたことがあったんです。そういうこともあり、施設を出た後にモデルの道に進めないかと行動していましたが、最初は苦労もありました。現在の活動のきっかけになったのは、21歳の時に出場したミス・ユニバースでした。

――ミス・ユニバースの茨城県大会で準グランプリ・特別賞を受賞するなどモデルとして成果を上げ、同時期に施設出身者としての発信もされ始めました。

 講演などの活動は、NPO法人プラネットカナールが主催する講演会で、ゲストスピーカーを依頼されたのが始まりです。この法人は施設を退所する若者に家電・家具を届ける活動をしていて、「施設について多くの人が知りたいと思っている」と請われ、正しい知識を知ってもらうきっかけになればと思い、引き受けました。

講演で自身の生い立ちを語ることには葛藤もあったという

 とはいえ、自分の生い立ちや家族のことは、あまり言葉にしたくないものです。一方で、聴衆の多くはその部分を聞きたいと思っています。そうした聞き手の要望に合わせて、自分のエピソードを掘り起こさなければならないという葛藤が生まれました。

 それでも、法人の理事長が講演の練習に付き合ってくれたり、原稿のチェックやスライド作成の手助けをしてくれたりして、乗り越えることができました。葛藤を自分なりに受け入れられ、良い経験になりました。

――講演活動は今も続けられていますね。

 はい、そうです。学校や企業、団体から依頼を受けることもあります。でも、そろそろ次の施設出身者に引き継ぎたいと思っています。いろいろな人の声を聞いてほしいですからね。

認知は高まったが…

――ここ数年の間で、児童養護施設に対する一般の理解は深まったと感じますか。

 児童養護施設という言葉の「認知」は高まったと感じています。一方で都内の一部地域では、社会的養護に関わる施設を開設しようとしていたところ、地域住民から反対運動が起きました。また、施設を分散化させて一軒家の規模で複数開設しようという近年の動きについても、「この地域には作らないで」と要求されることがあるなど、「理解」についてはまだまだだと感じています。

支援活動を広く全国に広げていきたいと話す

 でも、「支援したい」という声は確実に高まっています。私がYouTubeで開設した「社会的養護専門たすけあいch」の動画「児童養護施設での暮らし」は18万回以上も再生され、支援したいという方々が現れ始めました。当初はそうした声に応じる手段がなかったため、悶々(もんもん)とする日々でした。

 そうした中で、千葉市が2019年12月に始めた「サンタクロース大作戦」を知りました。施設が「Amazonほしい物リスト」を作成し、そのリストを千葉市のホームページに載せ、それを見た一般の方々が寄付するという取り組みです。子どもたちに喜んでもらえるおもちゃや本などを施設職員が考えてリストにしたところ、全国から支援が殺到し、わずか2日で全ての商品が揃いました。

 この「サンタクロース大作戦」に倣い、支援者が施設の「ほしい物リスト」にアクセスできるプラットフォームを立ち上げました。実績としてはまだまだで、登録している施設は10にも達していませんが、年間100以上の物資を贈ることができています。主な品目はおもちゃや子ども用書籍、絵本、ドリル、高校生向けの就職対策本などです。

(小松亜由子)

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【プロフィール】

田中れいか(たなか・れいか) 1995年生まれ。親の離婚により7歳から18歳までの11年間を児童養護施設で過ごす。退所後は短期大学を経てモデルとして活動する傍ら、社会的養護の子どもたちと、その経験者への理解の輪を広げる支援活動や講演、情報発信をしている。2020年4月、社会的養護専門情報サイト「たすけあい」・社会的養護専門たすけあいch(YouTube)を開設。昨年12月には著書『児童養護施設という私のおうち――知ることからはじめる子どものためのフェアスタート』(旬報社)を刊行。

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