【科学の虜にするサイエンスショー】 進路・キャリア選択の葛藤

 「サイエンスエンターテイナー」として全国を駆け回る五十嵐美樹さんが、科学に目覚めたのは中学生の頃。その後は大学の理工学部に進学し、大手の総合電機メーカーに就職するなど、理系女性としてのキャリアは順風満帆に見えた。しかし内面では、“もう一人の自分”との間で葛藤があったという。インタビューの2回目では、「科学をエンターテインメントとして見せる」という前例のない仕事にたどり着くまでの道のりについて聞いた。(全3回)

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会社勤めの傍ら、ボランティアで始めた実験教室

――サイエンスショーを始めたきっかけは何だったのでしょうか。学生時代から行っていらしたのですか。

子どもたちに理科の楽しさを伝える五十嵐さん

 ショーを始めたのは社会人になってからです。大学4年生の頃、「ミス理系コンテスト」という、理系のイメージアップを図る大会があって、理系の知識と特技のダンスを披露してグランプリを受賞しました。大学卒業後は大手電機メーカーに就職して、エンジニアとして働いていました。でも、せっかくグランプリを取ったのに、何もしないまま卒業、就職したことが、ずっと心に引っ掛かっていて…。それで「自分にできることはなんだろう」と考えた結果、平日は平常通り働きつつ、土日にボランティアで実験教室を始めました。

 当時は企画書をいっぱい書いて、いろいろな所へ送っていました。実は勤務先の会社でも子どもを対象にした「理科実験教室」があって、それを見に行ったり、科学を教えるための勉強会に参加したりするようになりました。

 そんなある時、「ショー形式でやってみませんか」という話をいただいて、ショッピングモールで理科実験ショーをやることになったのです。また、会社の実験教室でも講師を務めるようになりました。そこで充実感を覚える中で、「もはや自分の気持ちにあらがえないな」と思ってしまい、結局、会社を辞めることになりました。

――入社してからどのくらいで辞めたのですか。

 1年半ぐらいですね。親にも内緒で退職したので、もちろん怒られました。周囲も、ほぼ反対でしたね。「何のために?」とか「もったいない」とか、肯定されることはほぼありませんでした。

 「私は踊りながら科学がやりたいんです」と言っても、周囲の人たちには意味不明だっただろうと思います。そもそも、「科学をダンスする」職業なんて、どこにも存在しませんでしたからね。ビジネスモデルもロールモデルもない中で、「一体どうするの?」と多くの人たちに心配されました。

二択ではなく両立させた

――「バターシェイクチャレンジ」の動画を見て、ダンスが本格的なのに驚きました。ダンスはいつ頃から始めたのですか?

YouTubeで公開している「バターシェイクチャレンジ」

 小学1年生の時です。それこそ、中学時代に科学に目覚めるよりもずっと前です。学童保育にダンス教室があって、そこで踊ることの楽しさを知ってしまったんですよね。学校でも休み時間になると、廊下や校庭にラジカセを持ち出して、ずっと踊っているような小学生でした。

 100円ショップで洋楽が10曲くらい入ったCDを買って、それを流してひたすら踊るみたいなことを結構やっていました。勝手にダンス部を作って先生に怒られたり、「踊ってばかりいないで、みんなとドッジボールをしなさい」と言われたりしていました。

――「かっこいいから踊れるようになりたい」というのではなく、放っておいても踊っちゃうタイプなんですね。

 そうです。本能で動いちゃうような、踊っていないと病んでくるような感じだと思いますね。友達に「何時から、ここの教室で発表会をやります」と呼び掛けるなど、今思えばウザいだけなんですが、それでもみんな見に来てくれました。そういう「見てほしい」欲求は昔からありましたね。

――そんな自己表現欲求がサイエンスと融合したというのが、五十嵐さんのキャリアなのですね。

 そうですね。自分の好きなことを仕事にするのは大事だと思いますが、それが難しいケースもあります。私の場合も、「サイエンスかダンスか」の二択ではなく、それを組み合わせて両立させる道を選びました。

 もちろん、ただ組み合わせるだけでは、趣味で終わってしまうこともあります。その組み合わせが、どうすれば社会に求められるようになるのかを模索し続けることが、新たな仕事を開拓することにつながるのだと思います。これは高校時代の自分に言ってあげたかったことですね。今思えば、進路選択の時に知っておきたかったと思います。

――だからか、大学も就職も「一つのことを追究する」感じではなかったように見えます。

 その通りで、どこか漠然としていました。「社会と科学技術をつなぐ」ことに関心があって、受験で学科を選ぶときにも何か特定の理系の分野だけに絞るのが怖かったのです。だから大学は、上智大学理工学部の機能創造理工学科という、幅広く学べる所に第一志望で進学しました。

 就職後も、仕事にやりがいは感じていましたが、個人的にはまだダンサーにもなりたかったし、科学者にもなりたかった。そんな究極の二択で葛藤していました。ただ、いずれの道にもそれぞれプロがいるわけで、両方を極めるのは無理だよな…と、ずっと思っていたんです。

 そんな矢先、両方できる方法の一つとして「実験教室で踊る」というのをしてみたら大きな反響があって、「これでやってみよう!」と方向性を見いだすことができました。

 進路やキャリアには、根底にそういう個人的感情があると思うんですよね。社会的にこれがいいと言われても、「やっぱり自分はこうしたい」みたいな思いがある。私自身もそれにあらがえなかった結果として、今の自分があるのだと思います。

多くの方に活動を支えていただいた

――サイエンスショーを始めた当初から、明確なビジョンはあったのでしょうか。

オンラインでインタビューに応じる五十嵐さん

 会社を辞めた時に、具体的に実現したいことを紙に書き出しました。「サイエンスショー」「文章を書く」「YouTube」「理科の魅力を伝えたい人に教える仕事」などです。今それを見返すと、大半は実現しています。その過程では、学校の理科教員の方や、科学を伝えるお仕事をされている先輩方に、本当にお世話になりました。

 今だから言えることですが、最初の頃はすでに活躍されている先輩方から「新参者が現れた」などと思われるんじゃないか、受け入れてもらえないんじゃないかと考えていました。でも、違いました。実際にお話しすると、「これは良かったよ」とか、「こうするともっといいんじゃない」とか、いろいろと助言をくださったのです。

 実験道具を貸してくださった方もいました。もともとどの方も「子どもたちに理科の面白さを届けたい」という熱い思いを持っていて、私のことも育てようとしてくださったんだと思います。そうした後押しがなかったら、今の私はなかったと思います。

 私自身も、これから先「サイエンスショーの活動をやってみたい」という人がいたら、同じような姿勢で支えたいと思います。そうして、このような活動がさらに多くの子どもたちに届いていったら、うれしいですね。

(長尾康子)

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【プロフィール】

五十嵐美樹(いがらし・みき) 東京大学大学院修士課程修了。東京大学科学技術インタプリタ―養成プログラム修了。2000年春より東京大学大学院情報学環客員研究員。ジャパンGEMSセンター特任研究員。NHK高校講座「化学基礎」にレギュラー出演中。上智大学理工学部在学時に「ミス理系コンテスト」でグランプリを受賞。卒業後、大手総合電機メーカーに就職。仕事の傍らサイエンスショーの活動を開始。その後、独立しサイエンスエンターテイナーとして全国各地の子どもたちに、科学の一端に子どもたちが触れるきっかけをつくり続けている。

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