自死によって亡くなる子供の数が最も多い時期は、8月下旬から9月上旬にかけて(2007~17年、警察庁調べ)。警察庁は自死の理由を、男子は「学業不振」「家族によるしつけ・叱責」、女子は「学校の友達との不和」「親子関係の不和」と分析する。児童生徒の自死はいじめ問題が取り上げられがちだが、実際の原因はさまざまだ。悲劇の防止に向けて考える本連載第2回は、50年以上に渡り相談窓口業務を請け負うダイヤル・サービス株式会社に、打ち明け先のない子供の悩みの実態を聞いた。
■電話で命を救う
子供からのSOSに備え24時間態勢で待機するのは、臨床心理士やスクールカウンセラーなどの専門資格と現場経験を併せ持つ相談員。寄せられる相談の多くは「親にこんなことを言われた」「友達とけんかしてしまったけど、どうやって仲直りすれば良いか」など、日常的な内容だ。中には、友達の多い人気者が本当の自分を出せずに悩んでいるという相談も。親や教員に打ち明けられなかった悩みを抱える児童生徒にとって、電話相談窓口は赤の他人だからこそ話せる場となる。 夜間のコールは精神状態が不安定な場合が多く、緊急度が高い。さらに、家の外からかけてきている電話は急を要するケースと判断する。過去には子供との通話途中から警察と連携し、通話中に警察が子供を保護したこともあった。家を出た子供の多くは「行き場がない」「頼れる人がいない」という、ぎりぎりの状況に置かれている。電話の向こうの顔が見えない相手に命が救われた子供も多いという。
■非対面の価値
子供は大人に相談するという経験が少なく、対面だと気を使って話せなくなったり、否定されることを恐れて本当のことを話さなかったりする。……

2017年、357人の小・中・高校生が自殺で亡くなった――。小学生11人、中学生108人、高校生238人。自殺者数は日本全体では減っていても、小・中・高校生では微増している。15~19歳の死因は自殺が1位だという(厚労省調べ)。 子供の自殺について分析する福永龍繁・東京都監察医務院院長は「10代の自殺は動機が分からないことが多い」と対策の難しさを話す。本特集では、生徒の自死を経験した教員のその後や、専門機関が調査した子供の悩みの実態などをもとに、悲劇の防止に向けて考える。第1回は、教員になって3年目、29歳で女子生徒Aさん(当時17歳)の自死を経験し、20年たった今も後悔と自責の念に苦しみ続けるB元教諭に話を聞いた。
■初任校での悲劇
B元教諭は5度目の採用試験で合格。教科は英語だが、教員を志した理由は「バスケットボール部の顧問がしたくて」。教員3年目には担任していた2年生のクラスで唯一のバスケ部員が、後に自殺という悲しい決断をするAさんだった。「いつも周りを思いやる優しい子で、部活にも休まず参加してとても熱心だった」という。 3年生が引退し、5人しかいない2年生が主軸になると、試合中のAさんのミスが目立ち出した。「負けが続くと生徒の心がすさみ、楽しむ気持ちを失う。一つでも多く勝たせて、成功体験を積ませたい」と思ったB元教諭は、Aさんを厳しく指導し始めた。 教員3年目で念願のバスケ部正顧問になったB元教諭は、毎日懸命に指導に取り組み、「チームのため、生徒のため」と心を鬼にしてAさんを叱った。……

教員兼お笑い芸人「オシエルズ」をご存じだろうか。日々劇場に立ちつつ、大学や高校で教鞭(きょうべん)をとる、何とも気になる2人組だ。教員向けに開く「笑いと教育」をテーマにしたセミナーも、ひそかに話題を集めているのだとか。教員と芸人の二足のわらじを履き活動する「オシエルズ」の、教育と笑いのシナジーに迫った。
■「コント数学の授業」
7月、都内某所。果たしてどんなコンビなのだろうか。「教員兼お笑い芸人」という特殊な肩書を持つオシエルズに対面インタビューできることとなり、記者は会う前から期待が高まっていた。彼らのステージはYouTubeで予習済み。「コント数学の授業」「コント化学の授業」「コント学級会」――。とても個性的なステージだった。電子黒板、文化祭、化学式……学校でおなじみのワードが次々に飛び出す。さすが教員兼芸人だ。 扉を開けて入ってきた彼らは、まさにテレビで見る「芸人」のイメージそのもの。「写真のポーズどうします?」「こんなの?」「これは?」「もっといっちゃいましょうか?」――。こちらが圧倒されてしまうほど、ノリノリで畳み掛けてくる。一気に部屋の空気が陽気になり、インタビューするこちらも楽しくなってきた。
■結成秘話
オシエルズのメンバーは、矢島ノブ雄さんと野村真之介さん。……

「学籍主義」が子供の余裕を奪っていると、不登校新聞の石井志昴編集長は指摘する。石井編集長が取材から得た現状への違和感や、同紙の展望などを聞いた。
■学校以外の学べる場を
――この20年でインターネットやコミュニケーションツールが普及したが、子供が孤独を感じている状況は変わっていません。
石井 学籍主義が子供にとって、尋常じゃなくきつい。フリースクールに通っていても、学籍は地元の小学校や中学校のままです。学籍を抜くことはできない。 長い人生の中で、義務教育の9年間を縛る必要があるのでしょうか。例えば、12年間ぐらいの期間を設定して、その間に少しずつ教育を受けるということは想定されていない。9年間びっしり決まっているから、週に1日休んだくらいで騒がれる。もう今の時代に合っていないし、子供の余裕を奪っています。同じ年齢で構成される「学年」もそうですし、朝8時半に登校するのもそうです。 学校だけが学ぶ場ではないと思います。……

不登校の子供たちのための新聞がある。NPO法人全国不登校新聞社が発行する「不登校新聞」は先ごろ、創刊から20年を迎えた。不登校の子供やその保護者に向けて不登校経験者の声を届け、社会に不登校のリアルを発信してきた。自身も不登校経験者である石井志昴編集長に、取材・発行を通じて見えてきた、不登校やいじめをめぐる状況の変化について聞いた。
■不登校の自分がどうしたら生きていけるか
――石井さんはなぜ不登校新聞の編集長になったのですか。
石井 私自身が中学2年生で不登校になり、フリースクール「東京シューレ」に通いました。それはちょうど不登校新聞創刊の頃で、子供でありながら記者として取材するようになりました。10代の子供だけで、すごい人たちに会いに行くので、取材そのものが学校では教えてくれない大きな学びになりました。取材では社会への問題提起をとても大事にしていました。 当時の私のテーマは「不登校の私がどうしたら生きていけるのか」でした。私自身が本当に迷っていたのです。イラストレーターのみうらじゅんさんに取材して、「あなたみたいになりたい。どうやったらそうやって生きていけるのですか」と聞いたこともあります。出てくる答えは本当に一つではなくて、人それぞれでした。その「人それぞれ」ということが、学校とはまるで違ったんです。 一つの答えを求めて、みんなで答え合わせをしていく。……

主宰を務めるホリエモンこと実業家の堀江貴文氏が「学校教育を破壊し、再構築する」と発案し、設立が決まったサポート校「ゼロ高等学院」。しかし7月26日の開校記者会見では、そういった強い表現はまったく無く、「教育改革は待ったなしだ。これから必要とされる人材をつくりたい」(堀江氏)など、実学の必要性が熱っぽく語られた。果たして同校では、どのような教育を行っていくのか。学院長の内藤賢司氏に、ゼロ高の実像を聞いた。(聞き手 編集部長・小木曽浩介)
――開校記者会見後の反響は。
内藤 会見から1週間で、初年度入学者目標400人に対し、190件ほどの問い合わせがあった。入学希望者は全国に満遍なくいて、中学3年生や高校1年生が最も多い。次いで高校中退者や、大学に通っていない18、19歳だ。 「親の都合で海外に引っ越したので、日本の高校に通えなかった」というような理由で、米国、スペイン、ニュージーランドなどからも連絡をいただいている。想定外のニーズに驚いている。……

主体的な学びに向けた脱一斉授業の取り組みの中で、グループワークをさらに進化させた「チーム学習」。学級運営にスポーツマネジメントを応用し、それぞれの児童の個性を生かす“先生が教え過ぎない授業”。元神奈川県公立小学校教諭で、現在は佐久穂町イエナプランスクール設立準備財団理事を務めている桑原昌之氏に、具体的なチームビルディングの手法を聞いた。
■異なる個性同士をつなげるビジョン共有
――児童と共につくる学級のゴールは何ですか。
クラスの共通目標は「居心地の良い教室にすること」です。これは大きなテーマのようなものですが、居心地の良さというのも実際は人それぞれですから、チーム全体の目標だけでなく、個人のビジョンも必要になります。 僕は始業式の日に「未来作文」というのを書かせていました。クラスが解散する日の自分自身の気持ちをつづる、未来日記みたいなものです。最後の日に、どんな気分になっていたいか。それが、「居心地の良い教室」という全体テーマの中での個人ビジョンになります。 よく「チーム学校」などのテーマで、学校の目標をそのまま全ての教師の目標としておいてしまうケースを耳にしますが、僕は全体のビジョンに個人が縛られ過ぎないことが大切だと思っています。……

沖縄戦の混乱と貧困のために義務教育を受けられなかった「おじぃ」や「おばぁ」が学ぶ、民間の夜間中学「珊瑚舎スコーレ」がある。沖縄県内には戦中戦後の混乱や不登校などのため、義務教育を修了していない15歳以上の人が6541人いるとされており(2010年国勢調査)、他都道府県と比較しても突出している。 沖縄戦に加え、その後27年も続いた米国統治下で日本国憲法が適用されず、憲法が保障する教育の機会が十分ではなかった影響が大きいと考えられる。同校の夜間中学校で学ぶ、平均年齢78歳の生徒らの日常から見えてくる「学校の役割」とは――。同校代表の星野人史氏による特別寄稿。

お年寄りがなぜ学校で学ぶか

珊瑚舎スコーレ代表 星野人史

珊瑚舎スコーレは2001年4月に沖縄県那覇市に開校した、いわゆるフリースクールと呼ばれる学びの場です。初等部、中等部、高等部、専門部(休講中で2021年再開予定)、夜間中学校の5課程それぞれにカリキュラムがあり、時間割がありますから、フリースクールというよりNPO法人が運営する極小規模の無認可総合学校と呼んだ方が適当かとも思います。
■生徒の平均年齢78歳
そのうち夜間中学校は、沖縄戦の混乱と貧困のために子供の頃、義務教育を受けられなかった方々を主な対象として2004年開設しました。今年度の生徒の平均年齢は78歳です。子供のころからずっと働き続け、年をとってからやっと学校に通う余裕ができた方々です。入学してからも昼間働いていたり、家事などに従事したりしている人が多いので、夜間に開講しています。 月~金曜の午後6~9時、1時限50分の授業を1日3時限、さまざまな教科の勉強を3年間して卒業になります。……

1945年8月5日、新宿発長野行き中央本線列車が東京都八王子市の湯の花トンネル入口で、硫黄島から飛来した米軍の戦闘機P51、4機の銃撃を受けた————。小型機による単独の列車への銃撃としては日本最大の犠牲を出したが、太平洋戦争の甚大な被害の中で、日時や場所、犠牲者が報じられることなく、歴史に埋もれていった。 東京都立東大和南高校で日本史を教える齊藤勉教諭は、23歳でこの事件を知ってから37年間、この事件を追い続ける現役の高校教師だ。今年3月に定年退職し、再任用として今も教鞭(きょうべん)をとる。平和を希求する子供を育てたいという齊籐教諭に、教師としての使命感、これまでに集積した惨劇の記憶を聞いた。
■人生の糧となった若き日の出会い
 齊藤教諭は文学部史学科で、日露戦争直後の満州・大連での、日本人の動向を研究。卒業後、八王子市郷土資料館の非常勤職員となり、7人のチームで八王子の戦争の記録を残す業務にあたった。  「戦死者についての取材は、胸が痛くなった」と齊藤教諭は語る。八王子空襲でわが子に焼夷(しょうい)弾が当たったという母親、湯の花トンネル銃撃での犠牲者の遺族——。齊藤教諭の中に「後世に伝える義務がある」という強い思いが芽生えた。「若いときのこの出会いが人生の指針となった」と語る。  37年かけて銃撃事件について膨大な資料を収集し、被害者や遺族、目撃者、救済にあたった人々への取材を重ねた。……

靖国神社の第一鳥居を右手に見ながら九段坂を歩く。上り切った先にインド大使館が現れる。手前を左に折れると緑道が続いた。蝉(せみ)時雨がかまびすしい。成虫は命が尽きるまで1週間余りしかないといわれる。その蝉が、まるで生きた証しを求めて鳴く。鳴いているというより、泣いているといった感じか漂うのはなぜだろうか。10分もしないうちに東京都千代田区三番町の千鳥ヶ淵戦没者墓苑に着いた。
■過去に目を閉ざす
「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも目を閉ざすことになる。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすい」。墓苑に足を踏み入れると、旧西ドイツのワイツゼッカー連邦大統領による34年前の演説を思い出していた。 墓苑は1959年3月、日本政府によって建設された。今年は創建60年目に当たる。第二次世界大戦中に海外で命を落とした旧日本軍人・軍属、一般邦人ら戦没者240万人の遺骨のうち、政府や旧戦友らが持ち帰ったものの、引き取り手がない遺骨36万9166柱が納められている。「無名戦没者の墓苑」と呼ばれるゆえんだ。 毎年5月に厚生労働省の主催で営まれる納骨の式典。……

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