【連載】新しい潮流にチャレンジ

 紙面に掲載した連載の初回分を紹介します。
教育創造研究センター所長 髙階玲治

 今号から新しい連載紙面「新しい潮流にチャレンジ」(月1回掲載)がスタートします。

 教育再生実行会議、中教審などから次々と教育改革に関する提案が出され、それが実行されようとしています。この新しい潮流に、学校として、教師としてどのように考え、どのように対応していったらよいか、教育創造研究センター・髙階玲治所長が舌鋒鋭く迫ります。


教育はどう進化するか 多様化する教育課題と学校教育

○次期教育課程の基準改訂の動き

 次期教育課程の基準等の論議が中教審で始まった。その論議は、従来と異なる様相がいくつかみられる。教育課程をめぐる論議が先行して行われていたからである。

 文科省内に「育成すべき資質・能力を踏まえた教育目標・内容と評価の在り方に関する検討会」が2012年12月に発足し、14年3月に「論点整理」を示している。国立教育政策研究所においても数年前から「教育課程の編成に関する基礎的研究」を立ち上げ、「21世紀型能力」を提示している。

 また、政府が主導する教育再生実行会議が最初のテーマとしたのは「いじめの問題等への対応」であったが、その論議から発展した「特別の教科 道徳」が中教審から先行的に答申された。さらに、2020年のオリンピック・イヤーを目指して英語教育の拡充策が提唱され、小学校中学年からの導入を目指す論議が中教審で行われている。「道徳」と「英語教育」は特別な扱いとして先行的に実施される。

 次期学習指導要領の全面実施は2020年とされているが、中教審に「次期教育課程の基準等の改善」が諮問される以前から、このような動きがみられるのはなぜなのか。

 私の推測であるが、1つは教育課程の基準についての構造的な組み直しを考えてのことであろう。次期教育課程は「育成すべき資質・能力」を掲げているが、その育成を目指して各教科等の目標・内容・評価を収斂させるということである。従来は、各教科等の目標・内容が優先されていて、教育課程の基準が掲げる理念との間に乖離がみられたというのである。

 2つは、グローバル社会を生き抜くことのできる自立した人間の育成である。知識・技能の習得のみでなく、その活用を図りながら課題の発見と解決能力を身に付けた人間の育成である。その確かな「力」の獲得のために学習方法としてアクティブ・ラーニングを提唱している。英語力拡充もそうである。

 次期教育課程の基本の考えを2つ挙げたが、近未来の教育を進める上で必然的なものであると考える。だが、学校教育に導入されるための万全の体制は可能であろうか。

○学校教育はどう進展してきたか

 実のところ、グローバル社会に生き抜く人間の形成は長年の課題でなかったかと考える。そこで戦後の教育を展望したいのだが、分かりやすくするために戦後からの教育の歩みをイメージ図化して提示したい。

 それを1957年から始めたい。当時のアメリカは経済や科学の分野などで世界で最も優れていると考えていた。その鼻を明かすように、ソビエトが人類初めての宇宙船を打ち上げたのがこの年である。それはアメリカにとって大きな衝撃であった。宇宙船の名前をとってスプートニク・ショックと呼ばれた。

 そのショックからアメリカは今後、科学の分野等でソビエトの後塵を拝すと考え、あらゆる分野で立て直しを図る政策を強力に推し進めることとした。そうした政策の一つに「教育の高度化」を掲げたのである。

 それを推進したのが心理学者のブルーナーであるが、「教育の高度化」を目指す理由として、「これから知識爆発時代がやってくる」と宣言した。今で言えば「情報化・国際化・グローバル化の到来」の意味であろう。

 当時の知識爆発時代の教育で目指す政策は、「教育現代化」という形で日本にも導入された。教育内容の高度化である。60年代の教育の象徴である。大量の知識の詰め込みが始まり、学習塾通いが増大した。

 しかし、教育の高度化はまもなくアメリカでほころび始める。教育内容についていけない子どもが大量に生み出され、Back to Basic(基礎に戻れ)という運動が起きたのである。

 しかし、わが国の場合は70年代も教育現代化は続く。過度の塾通いや受験競争の激化への反省から「ゆとりと充実」の教育が生まれるのは80年代に入ってからである。学習内容も授業時間も縮減された。その直後、内閣主導の臨時教育審議会が立ち上がり、多様な提言を行ったが、その中に、学校教育で学習は終わりでなく、生涯にわたって学ぶべきとして生涯学習社会の提言がなされたのである。

○時代に逆行した「ゆとり教育」

 その後、「ゆとり」を掲げた教育は80年代、90年代、そして今世紀まで続く。特に前回の教育課程は学校完全週5日制を踏まえて、「ゆとり教育」を一層徹底するものであった。学習内容3割削減と言われ、学力低下への懸念が国民的な関心になった。それは時代に逆行した政策であったと言える。

 なぜなら、その「ゆとり教育」は、その後も拡大を続ける国際化、情報化、グローバル化とは全く逆の動きであって、図に示すギャップ1.をますます大きくさせるものであった。

 60年代のブルーナーの言う「教育爆発の時代」は学校教育の力が、進展する時代の動きにある程度対応できるという期待があった。しかし、今やギャップ1.の大きさは、高等教育レベルをはるかに超えている。臨教審が掲げた生涯学習社会とも異なった様相を示しはじめている。

 一方、80年代の頃から子どもを取り巻く社会環境もまた大きく変わりはじめた。無気力・無関心・無責任などの3無主義やしらけ世代の言葉が生まれ、不登校、いじめ問題、校内暴力などが大きな課題となった。学校に背を向ける子どもたちの増大である。図のギャップ2.がそうである。 

 わが国は2つのギャップを抱えている。特に将来、子どもたちはギャップ1.の世界で生きるのである。そのための「力」を、子ども個々にどう身に付けるかが重要な課題である。

 実のところ、最近の教育改革の動きは、国際化・情報化・グローバル化の進展に向けた「人づくり」に向けられているのではないか、と考える。そのことの認識が決定的に重要なのである。

○「社会を生き抜く力」の育成

 今回の次期教育課程の基準等の中教審への諮問の冒頭は「理由」として次の文言がみられる。「今の子供たちやこれから誕生する子供たちが、成人して社会に活躍する頃には、わが国は、激しい挑戦の時代を迎えていると予想されます。生産年齢人口の減少、グローバル化の進展による絶え間ない技術革新により、社会構造や雇用環境は大きく変化し、子供たちが就くことになる職業の在り方についても、現在とは様変わりすることになるだろうと指摘されています」

 近未来は「激しい挑戦の時代」が始まる。そのために子ども個々にどのような「力」を身につけさせればよいか。

 2013年から始まった第2期教育振興基本計画は、これまでの「生きる力」を超えた「社会を生き抜く力」を提唱している。それを「多様で変化の激しい社会の中で個人の自立と協働を図るための主体的・能動的な力」と言っている。

 しかし、そのことは子ども個々に容易に身につくことではない。前提として子ども個々が、主体への自覚や自尊感情を持っていることが大切であるが、それがわが国の場合、極めて低いのである。

 例えば、内閣府は2013年に、日本、韓国、アメリカ、英国、ドイツ、フランス、スウェーデンの若者対象の国際比較調査を行っているが(『我が国と諸外国の若者の意識に関する調査』)、その調査結果は「自分自身に満足している」のが、わが国は45・8%と最低だった。自己評価を高めること、それは小・中学校の段階から進める必要がある課題である。

 つまり、「社会を生き抜く力」の育成は決して単なるスローガンではないことである。

 今後、学校教育は何をなすべきか。新しい潮流にチャレンジする学校づくりを目指すことが必要な時代となっている。それを問い続けたいと考える。