【連載】幼少接続スタートカリキュラム

 紙面に掲載した連載の初回分を紹介します。
聖徳大学児童学部児童学科教授 小田 豊

幼児教育の誤解を克服する

■はじめに

 文科省は今年1月、国立教育政策研究所教育課程研究センターと協力して「スタートカリキュラム スタートブック 学びの芽生えから自覚的な学びへ」を発表した。

 スタートカリキュラムとは、小学校に入学した子どもが幼稚園・保育所・認定こども園などの遊びや生活を通した学びと育ちを基礎として、主体的に自己を発揮し、新しい学校生活を作り出していくためのカリキュラムだと説明している。しかし、スタートカリキュラムの背景には、幼児期の「学び」への疑義があるのではないかという研究者もいる。

 そこで本連載では、このスタートカリキュラムの意味について幼児教育と小学校教育の考え方の相違や指導の在り方などさまざまな角度から考えてみたいと思う。

■幼児期と学童期

 ある幼稚園長が「卒園式で保護者に『幼稚園では本当にたくさん遊ばせていただきました。小学校に行ったら、これじゃいけないですから』と言われました。そんな言葉を聞き、幼稚園は、ただ遊ばせているわけではなく、遊びを通して人が生きる上で必要な知恵や経験を積み重ねているのにと、悔しい思いをしました」と、幼児期の教育が誤解されていることへの難しさ・寂しさを語ってくれた。

 このエピソードは、幼児期の不定型な教育の重さが、定型的な小学校教育の連続性を支えていることが保護者に伝わっていないことを示すと同時に、両者に大きな距離が生じていることへの危惧を感じる。

■発達の特性をしっかりと考慮する

 本来、人間の生活や発達は、周囲の環境と相互に関わり合い行われるもので、そのことを切り離して考えることはできない。特に、幼児期は心身の発達が著しく、環境からの影響を強く受ける時期でもある。この時期にどのような環境のもとで生活し、環境とどのように関わったかが、将来にわたる発達や人間としての生き方に重要な意味をもつことになる。

 同時に、幼児期は教師から教えられたことをそのまま学んで育つ時期ではない。この時期は、遊びを通して幼児が周囲の環境と主体的に関わりながら、さまざまなことを自分から積極的に学び取る時期である。こうした幼児期の特性を考えると、幼稚園教育の在り方は小学校以上の教育方法とは異なることになる。

 当然、幼児期の教育は意図的な教育の場であるのはいうまでもない。幼児期の教育では、その目的や目標が有効に達成されるよう、幼児の発達や生活の実情に即しておのおのの時期に必要な保育・教育内容を明らかにし、それらが生活を通して、幼児の中に育まれる計画性のある適切な教育が行われなければならない。

 ところが、先のエピソードのように、幼児期の教育の遊びの不定型さだけに目がいき、その背景にある個々の子どもの豊かな主体性や教師の意図が見えず、単に遊ばせているだけとの捉えで、小学校教育との距離を広げている点も感じられる。このことは、往々にして見られる幼児教育と小学校教育のセクト的対立や、受験を念頭に置いた能率主義に陥った立場からの連続性の強調など、幼児一人ひとりの現実的な成長と無関係とまではいわずとも、いくぶん歪曲された見方が支配的であったことが考えられる。

■幼児、学童期をひとりの人間としてどう生きるか

 いま必要なことは、幼児期から学童期の発達的特性をできるだけ客観的に捉えると同時に、幼児期と学童期を一人ひとりの人間としてどう生きることが最も充実した生き方になるかを考えなければならない、そういう時期にきている。

 またいうまでもなく、幼児期の教育効果が小学校の学習活動にどんな形であらわれるかという直線的な物差しで安易に連続性を考えるべきでない。幼児期を幼児期として充実させることが、学童期を学童期として充実させることになる。個々の幼児の中で、何が連続する経験や学びで、何が段階的に脱皮、成長につながるものか、要素を客観的に眼で検討することが必要になる。