文科省は、2016年度の教員勤務実態調査の集計についての速報値(18年4月)を公表しました。前回の06年度における教員勤務実態調査と比較し、平日と土日ともに、いずれの職種でも勤務時間が増加したことが指摘されました。中教審では、「学校における働き方改革特別部会」を設置し、「学校における働き方改革に係る緊急提言」(17年8月)を行うなど、議論が進められました。文科省は「学校における働き方改革に関する緊急対策について」(17年12月26日)を示しました。

「子供の貧困」が深刻な社会問題になっている。厚労省の「国民生活基礎調査」(平成28年実施)によれば、「子供の相対的貧困率(17歳以下の子供全体に占める年間所得122万円未満の世帯の割合)が、13.9%となった」と公表された。これは7人に1人の子供が相対的貧困の中で育っていることを意味している。また、ひとり親家庭の子供の相対的貧困率は、OECD(経済協力開発機構)の調査によると、日本は加盟国でワースト6位という結果。「社会的擁護者」(※)が現在約4万5千人。そのうちの半数以上が虐待を受けた経験がある。

 紙面に掲載した連載の初回分を紹介します。算数教育アドバイザー 永井宏 活用力のある学力とは何か  PISA型の学力観や中教審答申にみる探究型授業で育てたい学力とは、どのようなものでしょうか。小学校2年生のかけ算九九に「いくつあるか けい算でもとめましょう」という問題が出てきます。  答えを九九を使って求めるには、九九を知っていなければできません。しかし、九九ができても、一部が欠けているため、縦横にそろった数の場合だけで形式的に使っていては解けないのです。知っていても、使えなくては基礎・基本の学力とはいいがたい。こうした場合にも使えてこそ確かな学力といえるでしょう。  ここで「このような場合にも九九が使えないか」ということが、子どもたちにとって真に考えるべき本時の問題把握となります。では、どう考えたらよいでしょうか。  その方策は、自分にできる既習事項に立ち返ってみることです。九九の意味からは「もとにする数のいくつ分」と考えられるところがあるかです。与えられた図の中で、そう考えてみてもよいところを、図の左半分とみれば6×3。すると、残りの右側は3×2、2つを合わせれば全部の数とみられます。図を上下に分けて3×5+3×3でもよいです。  いま一つは、図自体を、全体の数を変えないで、九九の使える図に変形してみてもよいです。すると、6×4で求められます。どちらも既習の九九の意味や図を基に、これを活用して問題解決を図っていることになります。活用力という点からは一歩進んだ学力といえます。しかし、この一例だけでいつでも使えるとはまだいえません。  そこで、条件の一部を変えた類題で、同様に使えるかを確かめ、理解の一般化を図るようにします。  ここでは、2×6+2×2+2×2や6×2+2×4。4×5なども数学的処理のよさから評価できる考えです。既習の適用から、さらに、発展的に考える図(4)のような目先の変わった問題にも取り組むことが大切です。こうした場面でも活用力が発揮できる学力こそ、求められているのです。  (参考文献=片桐重男著『算数の学力とは何か』、明治図書)。 永井宏(ながい・ひろし)氏 元川崎市立小学校長や算数教育研究会長などを務める。算数教科書執筆をはじめ『授業で使える算数ゲーム・パズル集』(明治図書刊)などの著書がある。 連載一覧へ

文科大臣からの中教審への諮問「初等中等教育における教育課程の基準の在り方について」(昨年11月20日)では、新しい時代を生きる上で必要な資質・能力およびそのために必要な学習・指導方法や評価の在り方の検討を求めている。

教師に対する保護者からの要望はさまざまです。例えば、給食の時間に、教師は「好き嫌いをしないで残さず食べましょう」と指導します。すると、「うちの子は、家でも生野菜は食べませんので、認めてください」「うちの子は、肉は好きですが、魚は嫌いなので、メニューの工夫をしてもらえないでしょうか」などの要望が出されます。このような保護者からの要望と教師の指導とのずれは、どのように捉えればよいのでしょうか。

奈良教育大学学長 加藤 久雄

掃除機や冷蔵庫の広告に人工知能・AIの文字が躍り、AIの発達に伴い失われる職業が話題になる。 携帯電話に搭載されているAIを駆使した情報提供機能は、「今、何時ですか?」の問いかけに「何時何分です」と音声で答えてくれる。深夜に「おやすみなさい」と言ってみたら、「もうこんな時間なのですね」と返ってきた。「奈良にあるおいしいお店は?」と尋ねれば、たちどころに検索結果が示される。便利な機能を通じて確実に日常生活にAIが浸透しつつある。 しかし、AIが万能ではないことも指摘されている。

 紙面に掲載した連載の初回分を紹介します。上越教育大学副学長 林 康成道徳が求めれる時代  今月に入って初会合が開かれた文科省の有識者会議「道徳の充実に関する懇談会」では、道徳の教科化の方向で検討が進められる、と新聞などで報じられている。いじめや体罰の問題などを背景として、道徳教育のよりいっそうの充実が求められているのである。  道徳の必要性はいつの時代にも語られてきたことだが、近年のこうした道徳を求める風潮は、実に様々な場面に見いだせる。企業活動においても、コンプライアンスという言葉で、法令順守の必要性が求められ、モラルに反してでも利潤を追求しようとする企業は、消費者からの反感を買い、結果として商売が成り立たなくなってしまうケースもある。時代が道徳的であることをわれわれに求めているような状況だといってもよいだろう。  だがその一方で、道徳教育については、今でも反対意見がある。道徳的価値観を押しつけることは、個人の自由や自律に反するのではないかというのである。  諸外国の事例を見ると、たしかに、道徳を宗教と同一化し、道徳の時間を学校のカリキュラムに組み込んでいない国もある。しかし、よくよく見てみると、そうした国であっても、人間性の育成や人間関係づくりにかかわるような内容を含んだ他の教科や科目が設置されていることが多い。例えば、道徳も含んだ公民教育が導入されていたりもする。  道徳教育は、なにも専制国家の専売特許などではなく、民主的な社会でも求められるものなのである。集団の持つ規範を個人に教えるということの意味を、改めて考えてみるべきであろう。  日本では、小・中学校に道徳の時間が設置されている。また同時に、学校の教育活動全体を通じての道徳教育も行われている。そのいずれの場合も、学習指導要領に掲げられた内容(道徳的価値)を教えることになっている。だが、そうした方法の妥当性は十分に検討されているのだろうか。  小学生と中学生では、発達の様相が相当に異なっているが、同じ方法で道徳教育を行えばそれでよいのだろうか。もっと違ったアプローチはありえないのだろうか。そうした様々なアプローチを認めるということが、道徳教育の活性化につながるとは考えられないのだろうか。  また高校では、学習指導要領に従って考えると、道徳教育は行われることになっているが、道徳の時間は存在しない。では、高校では、どのような道徳教育を行うのが良いのだろうか。特に高校では、入試によって、高校ごとの平均的な学力に大きな差があるが、そのことが道徳教育の方法に影響するというようなことはないのだろうか  道徳が求められる時代だからこそ、小学校から高校までを見据えて、これからの道徳教育について再検討することが求められるといえるのではないか。今回を含め、6回にわたってこうした問題を考えてみたい。    林泰成(はやし・やすなり)上越教育大学副学長(今年度から)、放送大学客員教授=著書に『人間としての在り方生き方をどう教えるか』(教育出版)、『モラルスキルトレーニングスタートブック』(明治図書)など。 連載一覧へ

熊本県退職校長会は、「誇りと絆を大切にした風格ある退職校長会」を旗印に掲げています。本会に所属することによって意義ある生活を送りたいという会員の思いを重く受け止め、本部役員を中心に各郡市等退職校長会との関わりに配慮しつつ、多様な事業に取り組んでいます。本部役員および各理事を中心に、本会の各事業のさらなる充実を図るとともに、各郡市等退職校長会に設置された5つの専門部活動を中心に、組織の活性化を目指してさらに充実した活動を行っているところです。

今回は、2年前に洛友中の昼間部を卒業した女子生徒の作文を紹介します。本校の卒業記念文集『夜空』からの抜粋です。

インターネットが普及して約25年。DVDが誕生して約20年。YouTubeやスマートフォンが誕生して約10年。たった30年のうちに、私たちの生活は大きく変化しました。今後はAIがさらに発展するとみられています。こうした劇的な時代の変化に応じ、教育・学習は、知識詰め込み型から応用力・変革力育成型へ生まれ変わろうとしています。

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