紙面に掲載した連載の初回分を紹介します。東京女子体育大学教授 田中洋一言語活動充実の意義を再確認しながら ■学習指導要領が求める言語活動  現行学習指導要領が言語活動を中心に据えた授業展開を求めていることは周知のことですが、本連載を始めるに当たって、あらためてその趣旨を確認しておきたいと思います。  言語活動充実の方針は、学習指導要領「第一節 教育課程編成の一般方針 1教育課程編成の原則」の中で述べられています。その要点を述べると次のようになります。  1〓各学校は生きる力の育成を目指し、創意工夫を生かした特色ある教育活動を展開する。  2〓1の中で、(1)基礎的基本的な知識および技能を確実に習得させる。(2)「(1)」を活用して課題を解決するために必要な思考力・判断力・表現力その他の能力を育む。(3)主体的に学習に取り組む態度を養う。  3〓その際、生徒の発達段階を考慮して言語活動を充実する。また家庭との連携を図りながら学習習慣を確立するよう配慮する。  このことからわかるとおり、学校教育は生きる力の育成を目指して、(1)の知識技能、(2)の能力、(3)の態度を育てます。その手段として、「言語活動の充実」と「学習習慣の確立」があるということなのです。  学校での授業改善の現状を見ると、趣旨を理解した優れた実践も多いのですが、言語活動自体が目的化し、生徒による発表、話し合いなどがあればよいというものも散見されます。  ここは基本にもどり、学習指導要領に示された趣旨を理解して授業改善を図る必要があります。前述の(1)(2)(3)のどれも育成すべき大切な要素ですが、特に(2)と(3)は生徒の主体的な活動の中で育てることが必要ですので、ここにねらいを定めた言語活動が必要になります。 ■言語活動はそれぞれの教科目標達成のために行う  各教科と言語活動の関係は、国語科だけが他の教科と異なります。言語教科である国語科は、教科目標の中に「適切に表現し正確に理解する能力」を育成することが明示され、国語を駆使する力の向上自体が目標の一つになっています。 したがって国語科は例外となりますが、他の教科にとって言語活動は、あくまで教科目標を達成するための手段ですので、話し方の技術を身に付けるとか、文章力を育てるということは授業の目標にはならず、評価の対象でもありません。各教科は、それぞれの教科目標達成のために言語活動を行うのです。 ■話したり聞いたりする言語活動  本連載では、言語活動の中でも、「話したり聞いたりする活動」を中心に取り上げます。この言語活動はその有効性が認識されてきましたが、授業が予定通りに進行しなかったり、苦手な生徒への指導方法が確立していなかったりするために、多くの教師に敬遠されてきた経緯もあります。  次回から、その在り方や機能について少しずつ明らかにしていきましょう。  田中洋一(たなか・よういち)東京女子体育大学常任理事・教授。専門は国語教育。中教審国語専門委員、学習指導要領中学校国語作成協力者などを歴任。 連載一覧へ

 紙面に掲載した連載の初回分を紹介します。北海道北広島市立大曲東小学校教諭 山田 洋一教師がボケる授業は 子どもの言いたいを引き出す  よくご存じの漫才には、「ボケ役」と「ツッコミ役」がいます。ボケ役は、テーマに対して面白いことを言って観客を笑わせる役。一方、ツッコミ役は、その面白いことについて、素早く指摘し、観客に笑う箇所を指摘する役割を担っています。笑いのある授業では、これらの役割のどちらを教師が担うかが、授業スタイルの分かれ目となります。  教師がボケ役を担う場合、授業は教師がわざと間違えたり、不適切な言動をし、それらを子どもが正していくというスタイルになります。こうした授業スタイルは、すでに自明なことの確認や、あるいは教室に「わかっている子」と「わからない子」が混在している場合に、有効です。こうした授業は「間違えるはずがない」と思われている教師が間違うという形態で授業が進むので、それだけで子どもたちの意欲は高まります。  つまり、「先生の間違いを私たちが正さなきゃ」と意欲を高めることになるのです。「意見を言いなさい」「手をあげなさい」と言わなくても、子どもたちはどんどん発言します。このスタイルの授業は子どもたちの「言いたい」を引き出す授業といえます。  特に、低学年の授業でこの手法は有効です。例えば、1年生は入学して、すぐに「廊下の歩き方」「トイレの使い方」「手の挙げ方」「発表の仕方」に関する指導を受けます。これら「○○の仕方」を教える授業は教師がボケ役を担う授業スタイルと、とても相性が良いです。 ふつうこうした授業は、先生が一方的に「○○の仕方は…」と正しい仕方を教えるというスタイルで進んでいきます。内容によっては、多くの子どもたちが知っていることを教えるわけですから、子どもによっては大変退屈な時間になります。  しかし、教師がボケ役を買って出れば、状況は一変します。「では、まずトイレに入るときは、足で戸を開けます」「先生、『足で開けちゃいけない』ってお母さんが言っていました」「そうでした、そうでした。先生間違えました。こうして手で開けてね。そして、オシッコのときには、便器から離れて立ってします」  1メートルほど離れた所に立つ教師。すかさず男の子から、「先生、こぼれちゃいます!」とツッコミが入ります。「でも、先生はこれくらい飛ばすことができます!」今度は女の子が「それでもダメ!」と手厳しい指摘をします。  こうして子どもたちは正しい仕方を、促されなくても、自分から発言していきます。  教師がボケる授業は、子どもの「言いたい」を引き出すことができます。連載一覧へ

 紙面に掲載した連載の初回分を紹介します。ITジャーナリスト 趙章恩教育格差なくす改革でもある  「デジタル教科書」「スマート教室」は、韓国の教育現場を象徴する言葉になった。  校内の学校には、教室にインターネットが使えるパソコンが100%ある。教師は授業中、インターネットやIPTV(インターネットを利用して動画サービスを利用できるようにしたテレビ)を使って参考資料をプロジェクターに映し、子どもたちの理解を高める。一部の学校ではタブレットPCとデジタル教科書を使って授業を行っている。子どもたちは自ら教育サイトを検索し、探究したことを電子黒板に送信し、みんなの前で発表する。  家庭では、サイバー担任先生が指導してくれる「サイバー家庭学習」を利用して予・復習する。サイバー家庭学習は、教育庁が無料で提供している。学校からの告知も、紙にプリントして配る時代は終わり、今は全て学校のホームページに掲載する。教師も保護者も生徒も、当たり前のようにインターネットを十分使いこなしている。  韓国の文部省にあたる教育科学部は、96年に「教育情報化促進施行計画」を発表し、学校・教育・校務の情報化とデジタル教科書開発に着手した。デジタル教科書を使うためのバッググラウンドとして、インフラと教育情報化を整えてから、07年に「デジタル教科書常用化推進計画」を発表した。デジタル教科書に書き込んだ内容をいつでもどこでも見られるようにし、学習評価までも一通り情報化しないとデジタル教科書を使う意味がないからだ。  08年からは、全国の小・中学校100校近くをデジタル教科書研究学校に指定、教育現場の意見を反映してデジタル教科書をアップグレードしている。研究学校は「デジタル教科書を活用した協同学習モデル開発」「デジタル教科書を活用した自己主導学習モデル開発」など、学校ごとに研究テーマがある。テーマに合わせてデジタル教科書を使った授業モデルを設計し、担当教師はデジタル教科書を使ったクラスと、紙の教科書を使ったクラスとを比較した結果を教育庁に報告する。  教育科学部は11年に「スマート教育推進戦略」を発表し、14年は小中学校、15年は高校で、本格的にデジタル教科書を使うことにした。11年からは、デジタル教科書研究学校とは別に、スマートラーニング研究学校(タブレットPCと3Dディスプレー、電子黒板、電子ペンと電子ペーパー、クラウドコンピューティングなど)を運営している。  教育科学部がデジタル教科書に期待している点は大きく2つある。(1)教師が一方的に教える授業ではなく、子どもたちとコミュニケーションしながら一人ひとりのレベルに合わせた授業を行い、子どもたちは自ら探究する力を身につける(2)経済的理由で参考書が買えない、塾に行けない子どもたちも、デジタル教科書に搭載されている豊富なマルチメディア資料を利用することで十分学習できるので教育格差がなくなる。  韓国では、中学・高校の受験がなく、大学受験1本勝負なので、小学生から大学入試を目標に勉強する。塾に通う子どもたちは、学校の授業はレベルが低いからと興味をなくし、塾に行けない子どもは、学校の授業についていけないといった格差が問題になったのも、デジタル教科書を開発するきっかけになった。デジタル教科書は、学校の授業をより楽しく、意味のあるものにしなくては、という危機感から始まった教育改革でもある。  そのために、韓国ではデジタル教科書の端末を何にするのかではなく、教科書そのものの中身と授業モデル設計にもっとも力を入れている。  韓国は、世界どこよりも早く教育情報化に成功したとして、海外から注目されている。しかし、韓国でのデジタル教科書開発は、全て順調だったわけでない。教科書会社の反発、保護者らの反対もあった。次回は、デジタル教科書に反対する意見をもつ人たちをどのように説得したのかを紹介する。連載一覧へ

 紙面に掲載した連載の初回分を紹介します。目白大学人間学部児童教育学科教授 小林 福太郎心の教育への期待と現実の停滞  今から15年前の平成9年8月に、当時、文部大臣であった小杉隆氏は中央教育審議会に「幼児期からの心の教育の在り方について」を諮問した。その背景には、同年5月に社会を震撼させた中学生による幼児連続殺傷事件があった。 当時の少年事件の状況をふり返ると、減少傾向が続いていた少年刑法犯の総数が増加に転じており、続出する少年による犯罪の凶悪化や低年齢化が危惧されていた。このような中で、学校における「心の教育」の充実が求められるようになり、同時に道徳教育の推進が大きな関心事となったのである。  もちろん、心の教育の全てを道徳教育が担っているわけではない。しかし、心の教育を進めていく上で道徳教育の存在は欠くことのできない重要なカギとなることは、改めていうまでもない。  同年、文部省は「道徳教育推進状況調査」(平成9年)を実施している。その結果を見ると、道徳教育の要である道徳の時間の実施状況については、本来行うべき年間35時間を満たしている学校は、小学校では67・9%にとどまっており、中学校にいたっては41%と極めて低調な結果となっている。果たして、このような状況の中で各学校における心の教育が適切に推進され、懸案の課題解決に応えることができるのだろうか。  ■道徳授業の必要性と実態  表は、長崎県教育委員会が平成17年に実施した調査結果である。「死んだ人が生き返ると思いますか?」という設問に対して、「はい」と答えた児童生徒は全体で15・4%、中学校2年生は18・5%となっている。この結果に対しては様々な見解が示されるだろうが、数値を真摯に受け止め、子どもたちに命を大切にする心と態度を育成していくことが急務であることは確かである。  現代社会における少子化や核家族化の進行は、人間同士がふれあう機会を狭めたり、身近な人の死に接して生命の尊さを体感したりする機会を奪っている。また、物質的な豊かさは快適な生活をもたらす一方で、感謝の念を抱いたり、忍耐力を培ったりすることを阻害している。  改めて現代の子どもたちの置かれている状況を考えてみると、これまで以上に道徳の時間などを通して、自らの生き方について深く考えさせていく時間をしっかりと確保していくことが求められているといえる。  しかし、大学生に小・中学校の道徳授業を振り返えらせると、おおむね上位を占めるのは、「お説教の時間(生徒指導的な)」「ビデオを見たのが印象的」「学校行事の準備や練習」などであり、子どもの心を耕すような授業とはかけ離れた実態が浮かび上がってくる。  平成9年、私が都内の教育委員会に勤務していたころ、研修会の講師に当時の小杉隆文部大臣の実兄の内海静雄先生(元全国小学校道徳教育研究会長)をお招きしたことがある。そのとき、ご一緒させていただいた帰路の車中で、先生は物静かに、そして、熱く道徳授業のあるべき姿を語られていたことが、今も私の心に焼き付いている。  半世紀も前に特設された道徳授業は、今なお厳しい状況にある。次号から、停滞する道徳授業の活性化に向けて言及していきたい。 小林福太郎(こばやし・ふくたろう) 東京都練馬区教育振興基本計画懇談会副座長、新宿区教委区立学校第三者評価委員会委員、武蔵村山市小中一貫校村山学園検証委員会委員長などを歴任。主な著書に『市民科で変わる道徳教育』(教育開発研究所)、中学校道徳副読本『きみがいちばんひかる とき』(光村図書出版)など連載一覧へ

 紙面に掲載した連載の初回分を紹介します。東久留米市教育委員会指導室 東京都東久留米市教育委員会では、平成21年度から小・中連携教育を推進してきた。市内7つの中学校を中心にした研究グループを編成して取り組む一方、全校から主幹教諭や教科の専門家を招聘し小・中連携教育課程委員会を立ち上げ、各教科・領域のモデル的な指導案集を策定してきた。  今年は指導案の検証授業を実施し、改良を重ね「東久留米スタンダード」を目指している。市内外の人的資源を結集しながら、無理のない小・中連携教育を目指す点に特徴がある。今後6回にわたり、その実践を紹介する。  ■第1期3か年計画~小・中連携は必要か  本市の小・中連携教育は、必要に迫られての取り組みである。授業満足度調査からは、中学生では授業が「分かる」「楽しい」との肯定的な回答が減り、不登校も小6と中1を比べると約4倍に増加する現状があった。さらに、小・中教員間の子ども理解や指導観に微妙なずれがあることもあった。  そこで、小学校高学年から中学校にかけて学びの段差を適切にして乗り越えられるよう、小・中学校が互いに連携を図る教育を進めていくことが必要であることが分かった。では、具体的にどうしたらよいか。  この課題を解決するため3つの視点からアプローチした。連携方策上の視点として設定したのは、「9年間を見通した教育課程の編成」「児童・生徒の人間関係づくり」「教師間の連携意識の高揚」である。  まず、平成21~23年度の3カ年計画でカリキュラムづくりや、体制づくりに向けた取り組みをスタートした。市内小・中学校の教員が協働する教育課程委員会では互いの授業公開などを交え、市内で教科ごとの共通のカリキュラムづくりを模索した。さらに、市内2中学校区の小・中学校をモデル校に地域特性などを踏まえた小・中連携での学習・生活指導の在り方なども追求した。  ■第2期新3か年計画~児童生徒が直接交流へ  今年度から「新3か年計画」を実施。モデル校の研究を生かし、市内の全7中学校区で連携授業と交流を図りながら、小・中学生が部活などで定期的に交流し合う体制もスタートさせた。  また、教育課程委員会が、これまで考えてきた各教科の指導案を実際の授業に落とし込んで検証・改善する「検証授業・研究会」も実施。教科ごとに小・中学校教員が互いに授業を見せ、それぞれの学習内容の理解や具体的な連携実践の在り方を協議し合っている。  市内の小・中学校教員が学習、生活指導面の情報を共有し、共に子どもを育てる意識をもつことを出発点に、「児童・生徒の人間関係づくりを視野に、共に活動し体験する機会を意図的、計画的につくる」「各校の現状を踏まえた連携で9年間を見通した実践可能な範囲で教育課程を編成する」を重視し、目標としている。  そのため、小・中一体型校舎での実施や新たな教育内容の創設などといった取り組みにはしない。あくまでも無理のない小・中連携教育を目指している。連載一覧へ

 紙面に掲載した連載の初回分を紹介します。日本持続発展教育推進フォーラム理事・環境省認定環境カウンセラー 宇野彰人危機対応力を高める  7月に防災科の創設が見送られた。今そこにある危機について児童生徒に理解させ、危機予測、危機回避能力を高める教育は、「生きる力」として重要である。教科化にあたって最後まで議論が分かれたのは指導時間の確保についてであったという。また今後、系統的・体系的な指導内容を整理して学校に示すとされている。  しかし、これまで、「○○教育」というものが数多くあげられてきたが、そのうち教育課程に明確に位置付けられたもの、または実践し評価まで行った学校はどのくらいあるだろうか。  内容が増えた教科書を終わらせることが最優先で、ゆとりのない今の学校は、時間が設定され、指導計画が示されていないと実施できないでいるというのが実態である。このままでは防災科の趣旨も生かされずに「○○教育」同様の運命をたどることになるのだろうか。  しかし、これまでの「〇〇教育」と防災科の明らかな違いは、今すぐ直接的に命に係わる待ったなしの教育であるという点である。東日本大震災や九州北部豪雨等の災害で我々は何を教訓として学んだのか。被災者の無念さに報いるためにも危機対応に関する教育は、喫緊の国家的課題のはずである。「教科を横断して」とか「各学校において適切に」といったあまり現実的でないものではなく、学校は具体的な時間と指導計画・内容を必要としている。  「地を離れて人なく、人を離れて事なし。故に人事を論ぜんと欲せば、先ず地理を観よ」と吉田松陰は弟子に語ったとされる。日本の国土の特色として「川が短く急流が多い」「自然災害が多い」と、中学校地理のどの教科書にも記述されている。それらを自地域に置きかえて理解を深めてきただろうか。そこで、まず「自分が住む地域と学校のよさ」「将来に残したいもの」は何か、「それらを維持・発展させるために」はどうすればよいのかについてじっくり調べ、考えさせ、行動させる学習を行いたい。  次に、この地域に予測される自然災害、交通事故や痴漢の出没等の危険な場所など「地域の持続発展のハザード」を調べ、対策を考え行動できるようにする。同時に「楽しい学校生活を送るために」日常生活を常に見直し、改善を図っていく。そしてそれらのなかで自己防衛意識(self defense)や行動規範を身につけさせる、「環境(ふるさと)学習」を改めて教育課程に位置付ける必要があると考える。  新学習指導要領が小中で実施されたばかりで教科の新設は現実的でないのであるなら、「総合的な学習の時間」の半分の時間数でもそれに充てるようにする等の工夫はできないだろうか。  一方、予測不可能な状況へのシステム化の遅れを改善し、平常時の予防措置や緊急事態発生時の危機対応、収束時の事後措置について対応力を高めるようにするためには、学校のみならず、保護者・地域住民、関係諸機関とともに学習する系統的・体系的プログラムを導入して実際の場面で役に立つ学習とすることが欠かせない。▼連載・特集一覧へ

 紙面に掲載した連載の初回分を紹介します。日本教育大学院大学客員教授 村松賢一声を「届ける」つもりで  昨年、教員免許更新講習で「スピーチスキル」の講座を開設したところ、応募が殺到し、教員の話し方に対する関心の高さを改めて知った。  受講動機を尋ねると、「生徒に対して話をするとき、自分の言葉が通じていない、生徒の中にしっかりと落ちていないと思うことが多くなった」(中学校教員)、「伝えたい内容、理解させたい事柄が、しっかり子どもたちの中に入るような話し方を考え直す機会にしたい」(小学校教員)など、きわめて基本的なレベルでのニーズが高いことがわかった。それも10年以上の教員経験者がである。  要望を「基本的」といったが、その処方箋は、発声法から間のとり方、話の内容・組み立て、表現技法など多岐にわたる。初回は、キホンのキである声の出し方を考えてみたい。  日ごろ、授業を見せていただく中で、確かに、「先生の声が子どもに届いていないのではないか」と思うことがままある。ボソボソしゃべる人より、むしろ声を張り上げて話す先生の方に感じるのだ。聞こえてはいるのだが、子どもたちの頭の上を素通りしているという印象である。一方で、それほど大きな声ではないのに、子どもの気持ちをぐっと引きつけて話す先生がいる。  両者を比べて、ある大きな相違に気がついた。子どもたちに対する視線の向け方が違うのである。前者は、子どもたちを、「みんな」と一括りにするようにして漫然と「眺め渡す」。一方、後者はほんの一瞬だが、必ず、一人ひとりと眼を合わせているのである。そして、頷いたり首を傾けたりしながら、まるで対話するような調子で話す。こういう声は聞き手の心の中にしっかり落ちる。アイコンタクトと届く声は、不即不離の関係にあるのだ。  声の言葉は、聞こえていれば届いていると思ってはならない。十把一からげにせず、固有名詞をもつ一人ずつと「アイクロ回線」(眼差しが出会うチャンネル。筆者の造語)を通し、声を届ける(声で触れる)という意識を持ってはじめて、子どもたちの中に入る。  村松賢一(むらまつ・けんいち)客員教授 NHKアナウンサー、お茶の水女子大学教授を経て現職。著書に『できる教師の「話し方・聞き方」』(明治図書刊)など。▼連載・特集一覧へ

 紙面に掲載した連載の初回分を紹介します。和歌山大学教育学部非常勤講師 間森誉司実物を持ち込み教室を異空間に  大きな布に包んだ実物教材を2つ、教室前部に持ち込み提示する。まず、1つ目を広げる。中から出てきたのは、黒い煤で汚れた「羽釜(はがま)」である。その上で、「どのようにしてご飯を炊いていたの?」と問う。  すると「薪を燃やし火で炊いていた」「ご飯が炊けるまで火の番をしなければならない」「煙い思いをしないと火が起こせない」――。5年生の子どもたちは、キャンプの経験などをもとに、様々な意見を活発に発表する。たった1つの実物教材「羽釜」の出現で、教室が「農家の台所」に変わっているのだ。  次いで、もう1つの包みを開けて教室前の右側に提示する。中から出てきたのは「IH電気炊飯器」である。そして「どのようにしてご飯を炊いているの?」と、毎日の家庭での体験を順次発表させていく。  子どもたちからは「お米を研いで入れ、水加減をし、スイッチ入れるだけ…」「タイマーをセットすれば、起きたら炊けているよ」などが挙がる。そんな発表を授業の進行に併せながら、黒板に両者が比較できるよう構造的に板書するのだ。  両者を矢印でつなぎながら問いかける。「この変化は、わずか40年ほどの間だよ。どう思いますか?」子どもたちは、一目瞭然で工業の発展と「急激な生活の変化」に気づく。  次に提示するのは、「家電製品の普及率のグラフ」である。洗濯機、冷蔵庫、カラーテレビが80年代には、ほぼ100%普及していることを読み取り、この事実を確かめ合った後で、「工業の発達で本当に生活が豊かになったと言えますか?」と質問を投げ掛ける。  先ほどの普及率グラフを生かした話し合いで「ずいぶん楽になった。豊かになった」と結論づけようと考えていた子どもたちにとっては意外な質問である。ここから環境や資源問題など、工業の発達の「負の部分」へも目を向けることができる。  このように実物教材は子どもを異空間、別世界へと誘う不思議な力を持っている。▼連載・特集一覧へ

 紙面に掲載した連載の初回分を紹介します。神戸カウンセリング教育研究所代表・兵庫教育大学名誉教授 上地安昭危機社会の中の学校に警鐘  東日本大震災による「自然災害の危機」や「原発による放射能汚染の危機」、さらには「世界の金融・経済危機」「紛争・内乱・テロ襲撃の危機」「人類存亡の危機」、身近な「家庭崩壊の危機」「失業の危機」など、日常生活の中で頻繁に「危機」を実感する昨今である。  この現実は、危機的な社会情勢を反映する重大なサインとして、深刻に受け止める必要がある。一見豊かな現代社会の中で、現代人は「危機」と背中合わせに生存しているとの緊迫感をもたざるを得ない。  社会の中の学校も決して例外ではない。このような社会の危機的状況に連動し、子どもにかかわる危機も、まさに危惧すべき重大な問題のひとつである。これまで安全だと信じてきた学校もその渦中に巻き込まれ、年ごとに危機感が募る事態に直面している。  成長発達の途上にある幼児・児童生徒は、危機事態への自らの抵抗力を十分身につけていないだけに、計り知れない犠牲を強いられる可能性が大いに懸念される。このたびの東日本大震災で児童74人と教職員10人が犠牲になった宮城県石巻市立大川小学校の惨事がその一例である。  あらためて子どもの尊い命を守るための学校の危機対応は、全教職員と保護者および地域社会にとって、きわめて重大な責務であるとの認識が望まれる。  学校で起こる危機の内容は、次に示すように多様である。その危機の被害および加害の状況から、便宜的に次の3つのレベルに分けることが可能である。児童生徒および教職員個人が体験する個人レベルの危機、学級や学年および学校全体が直面する学校レベルの危機、そして学校を超えて地域社会全体を巻き込んだ地域社会レベルの危機の数々である。  ◇個人レベルの危機=不登校、家庭内暴力、家出、受験の失敗、虐待、性的被害、自殺(企図)、病気、家庭崩壊、両親の失業・離婚、家庭内の不幸な出来事(事故・事件・病気・死亡など)、教師バーンアウトなど  ◇学校レベルの危機=いじめ、学級崩壊、校内暴力、器物損壊、不審者の校内侵入、校内事件・事故、校内での自殺(企図)、感染症(集団インフルエンザなど)、食中毒、保護者と学校間のトラブルなど  ◇地域社会レベルの危機=自然災害(風雪水害・震災)、火災(放火)、環境汚染(公害)、暴行・傷害・カツアゲ・スリ・万引・ひったくりなどの粗暴犯罪、殺人・強盗・放火・強姦等の凶悪犯罪、集団薬物乱用、IT被害、教師の不祥事など  なお、学校現場においては、これらの危機への対策として、それぞれの危機レベルと危機の内容に応じた事前の積極的対応が急がれる。▼連載・特集一覧へ

 紙面に掲載した連載の初回分を紹介します。東京学芸大学准教授 杉森伸吉 同学専門研究員 古屋真共通体験で仲の良い仲間関係が促進  文科省が新学習指導要領でも体験活動の重要性をあらためて強調している。国立青少年教育振興機構が平成22年に出した「子どもの体験活動に関する調査研究」報告書でも、子どもの頃の体験(自然体験、友達との遊び、地域活動)が豊富な大人ほど、意欲・関心、規範意識、職業意識が高い人が多いことが示されている。  それに対して、たとえば、「体験活動の重要性はわかるが、ただでさえ忙しくなるばかりの学校になぜ体験活動を入れないといけないのか」「どの程度体験すれば十分なのか」などの声もあるだろう。教員への負担軽減にも配慮しながら、学校教育で有意義な体験活動をどのように展開すれば良いのだろうか。  これから6回の連載(初回と最終回が現執筆者)では、こうした疑問に答える意味でも、これまで先駆的に実践されてきた学校教育における体験活動の事例をベースに、学校教育における体験活動の意義を教科・領域での学びの活用策、実践作りの視点や留意点も交えつつ紹介したい。  まず、初回である本稿では、学校教育で体験活動を行うことの意義について述べる。  学校で体験活動を行うことによるメリットは、多い。まず、家庭や地域で十分な体験を与えられる児童生徒ばかりではないので、学校で体験活動を提供することにより、体験の機会が少ない児童生徒に一定以上の体験活動を保証することができる。  たとえ学校で与えられる体験の絶対量が多くはなくても、全く与えないよりも大きな効果がある。なぜなら、同じ量の体験なら、体験が多い段階よりも少ないときに与えられたほうが効果的だからである。  学級経営の観点からすると、児童生徒間で共通体験をもち、仲の良い仲間関係ができることは安定した学級作りにもつながる。学級が安定すれば、勉強や学校行事などへの集中力も高まり、学力の向上にもつながる。特に、集団宿泊体験や、子どもだけでの自由遊びの体験は仲の良い集団作りに効果的である。  宿泊体験などで全員で遊ぶ自由な時間(教員たちは見守る)をプログラムに組み込み、仲間関係が促進された例を挙げる。図は、ある青少年教育施設で小学校4年生の1クラスが5日間宿泊体験しながら担任が通常の授業を行い、放課後は2時間ほど自由な時間を設けて遊んだ結果である。  初日は既存の仲間で男女別に遊んでいて、3日目に男女一緒に遊び、4日目に全員で遊ぶようになる様子が見られる。このように教師主導ではなく仲間だけで遊ぶ体験も集団作りには有効であろう。教師は仲間関係を見守り、観察することで子どもたちの人間関係も見えてくる。  そのほか、体験が予測と異なることで驚きや疑問が生まれ、探究心や確かな学力が高まる、理屈では分からない勘が養成されるなど、学校での体験の意義と学校への期待は大きいといえよう。 ▼連載・特集一覧へ

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