不登校の子供たちのための新聞がある。NPO法人全国不登校新聞社が発行する「不登校新聞」は先ごろ、創刊から20年を迎えた。不登校の子供やその保護者に向けて不登校経験者の声を届け、社会に不登校のリアルを発信してきた。自身も不登校経験者である石井志昴編集長に、取材・発行を通じて見えてきた、不登校やいじめをめぐる状況の変化について聞いた。
■不登校の自分がどうしたら生きていけるか
――石井さんはなぜ不登校新聞の編集長になったのですか。
石井 私自身が中学2年生で不登校になり、フリースクール「東京シューレ」に通いました。それはちょうど不登校新聞創刊の頃で、子供でありながら記者として取材するようになりました。10代の子供だけで、すごい人たちに会いに行くので、取材そのものが学校では教えてくれない大きな学びになりました。取材では社会への問題提起をとても大事にしていました。 当時の私のテーマは「不登校の私がどうしたら生きていけるのか」でした。私自身が本当に迷っていたのです。イラストレーターのみうらじゅんさんに取材して、「あなたみたいになりたい。どうやったらそうやって生きていけるのですか」と聞いたこともあります。出てくる答えは本当に一つではなくて、人それぞれでした。その「人それぞれ」ということが、学校とはまるで違ったんです。 一つの答えを求めて、みんなで答え合わせをしていく。……

主宰を務めるホリエモンこと実業家の堀江貴文氏が「学校教育を破壊し、再構築する」と発案し、設立が決まったサポート校「ゼロ高等学院」。しかし7月26日の開校記者会見では、そういった強い表現はまったく無く、「教育改革は待ったなしだ。これから必要とされる人材をつくりたい」(堀江氏)など、実学の必要性が熱っぽく語られた。果たして同校では、どのような教育を行っていくのか。学院長の内藤賢司氏に、ゼロ高の実像を聞いた。(聞き手 編集部長・小木曽浩介)
――開校記者会見後の反響は。
内藤 会見から1週間で、初年度入学者目標400人に対し、190件ほどの問い合わせがあった。入学希望者は全国に満遍なくいて、中学3年生や高校1年生が最も多い。次いで高校中退者や、大学に通っていない18、19歳だ。 「親の都合で海外に引っ越したので、日本の高校に通えなかった」というような理由で、米国、スペイン、ニュージーランドなどからも連絡をいただいている。想定外のニーズに驚いている。……

妹尾写真教育新聞特任解説委員 妹尾昌俊(教育研究家、中教審委員)

 ■甲子園の感動の裏に
先日、夏の甲子園(全国高校野球選手権大会)が開幕した。連日熱戦が繰り広げられ、楽しんでいる読者も多いと思う。1回限りの真剣勝負で、毎回感動がある。 だが部活動の在り方を考えると、甲子園の盛り上がりは複雑な心境になる。 とりわけ今年は観測史上まれにみる猛暑が続く。……

主体的な学びに向けた脱一斉授業の取り組みの中で、グループワークをさらに進化させた「チーム学習」。学級運営にスポーツマネジメントを応用し、それぞれの児童の個性を生かす“先生が教え過ぎない授業”。元神奈川県公立小学校教諭で、現在は佐久穂町イエナプランスクール設立準備財団理事を務めている桑原昌之氏に、具体的なチームビルディングの手法を聞いた。
■異なる個性同士をつなげるビジョン共有
――児童と共につくる学級のゴールは何ですか。
クラスの共通目標は「居心地の良い教室にすること」です。これは大きなテーマのようなものですが、居心地の良さというのも実際は人それぞれですから、チーム全体の目標だけでなく、個人のビジョンも必要になります。 僕は始業式の日に「未来作文」というのを書かせていました。クラスが解散する日の自分自身の気持ちをつづる、未来日記みたいなものです。最後の日に、どんな気分になっていたいか。それが、「居心地の良い教室」という全体テーマの中での個人ビジョンになります。 よく「チーム学校」などのテーマで、学校の目標をそのまま全ての教師の目標としておいてしまうケースを耳にしますが、僕は全体のビジョンに個人が縛られ過ぎないことが大切だと思っています。……

沖縄戦の混乱と貧困のために義務教育を受けられなかった「おじぃ」や「おばぁ」が学ぶ、民間の夜間中学「珊瑚舎スコーレ」がある。沖縄県内には戦中戦後の混乱や不登校などのため、義務教育を修了していない15歳以上の人が6541人いるとされており(2010年国勢調査)、他都道府県と比較しても突出している。 沖縄戦に加え、その後27年も続いた米国統治下で日本国憲法が適用されず、憲法が保障する教育の機会が十分ではなかった影響が大きいと考えられる。同校の夜間中学校で学ぶ、平均年齢78歳の生徒らの日常から見えてくる「学校の役割」とは――。同校代表の星野人史氏による特別寄稿。

お年寄りがなぜ学校で学ぶか

珊瑚舎スコーレ代表 星野人史

珊瑚舎スコーレは2001年4月に沖縄県那覇市に開校した、いわゆるフリースクールと呼ばれる学びの場です。初等部、中等部、高等部、専門部(休講中で2021年再開予定)、夜間中学校の5課程それぞれにカリキュラムがあり、時間割がありますから、フリースクールというよりNPO法人が運営する極小規模の無認可総合学校と呼んだ方が適当かとも思います。
■生徒の平均年齢78歳
そのうち夜間中学校は、沖縄戦の混乱と貧困のために子供の頃、義務教育を受けられなかった方々を主な対象として2004年開設しました。今年度の生徒の平均年齢は78歳です。子供のころからずっと働き続け、年をとってからやっと学校に通う余裕ができた方々です。入学してからも昼間働いていたり、家事などに従事したりしている人が多いので、夜間に開講しています。 月~金曜の午後6~9時、1時限50分の授業を1日3時限、さまざまな教科の勉強を3年間して卒業になります。……

1945年8月5日、新宿発長野行き中央本線列車が東京都八王子市の湯の花トンネル入口で、硫黄島から飛来した米軍の戦闘機P51、4機の銃撃を受けた————。小型機による単独の列車への銃撃としては日本最大の犠牲を出したが、太平洋戦争の甚大な被害の中で、日時や場所、犠牲者が報じられることなく、歴史に埋もれていった。 東京都立東大和南高校で日本史を教える齊藤勉教諭は、23歳でこの事件を知ってから37年間、この事件を追い続ける現役の高校教師だ。今年3月に定年退職し、再任用として今も教鞭(きょうべん)をとる。平和を希求する子供を育てたいという齊籐教諭に、教師としての使命感、これまでに集積した惨劇の記憶を聞いた。
■人生の糧となった若き日の出会い
 齊藤教諭は文学部史学科で、日露戦争直後の満州・大連での、日本人の動向を研究。卒業後、八王子市郷土資料館の非常勤職員となり、7人のチームで八王子の戦争の記録を残す業務にあたった。  「戦死者についての取材は、胸が痛くなった」と齊藤教諭は語る。八王子空襲でわが子に焼夷(しょうい)弾が当たったという母親、湯の花トンネル銃撃での犠牲者の遺族——。齊藤教諭の中に「後世に伝える義務がある」という強い思いが芽生えた。「若いときのこの出会いが人生の指針となった」と語る。  37年かけて銃撃事件について膨大な資料を収集し、被害者や遺族、目撃者、救済にあたった人々への取材を重ねた。……

■来年も続く「暑さ」への対応を
異常な酷暑が続く中、愛知県豊田市立の小学校で校外学習に参加した小1男児が重度の熱中症である熱射病で死亡した。 他にも全国的に熱中症で倒れる児童生徒が相次いでいる(本紙7月26日付既報)。この背景には、どんな問題があるのか。 子供が部屋にいる。……

靖国神社の第一鳥居を右手に見ながら九段坂を歩く。上り切った先にインド大使館が現れる。手前を左に折れると緑道が続いた。蝉(せみ)時雨がかまびすしい。成虫は命が尽きるまで1週間余りしかないといわれる。その蝉が、まるで生きた証しを求めて鳴く。鳴いているというより、泣いているといった感じか漂うのはなぜだろうか。10分もしないうちに東京都千代田区三番町の千鳥ヶ淵戦没者墓苑に着いた。
■過去に目を閉ざす
「過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも目を閉ざすことになる。非人間的な行為を心に刻もうとしない者は、またそうした危険に陥りやすい」。墓苑に足を踏み入れると、旧西ドイツのワイツゼッカー連邦大統領による34年前の演説を思い出していた。 墓苑は1959年3月、日本政府によって建設された。今年は創建60年目に当たる。第二次世界大戦中に海外で命を落とした旧日本軍人・軍属、一般邦人ら戦没者240万人の遺骨のうち、政府や旧戦友らが持ち帰ったものの、引き取り手がない遺骨36万9166柱が納められている。「無名戦没者の墓苑」と呼ばれるゆえんだ。 毎年5月に厚生労働省の主催で営まれる納骨の式典。……

グループワークをさらに進化させた「チーム学習」。学級運営にスポーツマネジメントを応用し、それぞれの児童の個性を生かす“先生が教え過ぎない授業”だ。元神奈川県公立小学校教諭で、現在は佐久穂町イエナプランスクール設立準備財団理事を務める桑原昌之氏に、「チーム学習」を成り立たせるための、居心地のよい学級づくりの秘訣(ひけつ)を聞いた。2回目は、桑原氏の教員人生の変遷をたどる。
■教師とサッカークラブコーチの駆け出し
――「チーム学習」を取り入れる前は、どんな教員でしたか?
自分自身が小・中学校で出会ってきた先生たちが、たまたま個を尊重してくれる方々だったこともあり、高校生の時に教員を目指して大学へ進むことを決めました。しかし大学卒業後すぐは採用されず、非常勤で高校の保健体育講師を勤め、25歳の時に正規採用となり、神奈川県伊勢原市の公立小学校に勤務しました。 最初は、自分の中にあった「教師はこうあるべきなんじゃないか」という理想像に従って、必死になって型通りの一斉授業をしていました。しかし、1人で児童全員の学びの姿を細かく見ていくのが、とても大変でした。どうしても「置いて行ってしまう子」が生まれてしまうのです。その存在に気づいても、スケジュール通りに授業をこなすことに必死だったので、なんだか自分自身が苦しくなってしまうことがありました。 地域のサッカークラブのコーチをしている時も、同じ課題にぶち当たることがありました。……

深掘り 解説委員 鈴木鈴木 崇弘(城西国際大学大学院教授・日本政策学校代表)

いじめ防止対策推進法を再考する
 いじめ防止対策推進法は、2011年の滋賀県大津市のいじめによる自殺事件をきっかけに、その防止対策として制定された。  同法の重要な点は、学校内においていじめの防止組織をつくり、情報共有を図り、従来は担任などの個人教員に任せられていた対応が、組織対応をとるように方向転換されたことだ。  同組織には、心理や福祉の専門家、弁護士、教員・警察経験者ら外部専門家の参加・対応が可能だが、重大事態が起き、調査委員会の立ち上げ後に外部専門家が参加することが多いという問題が、同法施行3年後実施のレビューでも指摘されている(注1)。……

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