「生きる道」を届ける 不登校新聞の石井編集長に聞く(上)

不登校の子供たちのための新聞がある。NPO法人全国不登校新聞社が発行する「不登校新聞」は先ごろ、創刊から20年を迎えた。不登校の子供やその保護者に向けて不登校経験者の声を届け、社会に不登校のリアルを発信してきた。自身も不登校経験者である石井志昴編集長に、取材・発行を通じて見えてきた、不登校やいじめをめぐる状況の変化について聞いた。


■不登校の自分がどうしたら生きていけるか
――石井さんはなぜ不登校新聞の編集長になったのですか。

石井 私自身が中学2年生で不登校になり、フリースクール「東京シューレ」に通いました。それはちょうど不登校新聞創刊の頃で、子供でありながら記者として取材するようになりました。10代の子供だけで、すごい人たちに会いに行くので、取材そのものが学校では教えてくれない大きな学びになりました。取材では社会への問題提起をとても大事にしていました。

当時の私のテーマは「不登校の私がどうしたら生きていけるのか」でした。私自身が本当に迷っていたのです。イラストレーターのみうらじゅんさんに取材して、「あなたみたいになりたい。どうやったらそうやって生きていけるのですか」と聞いたこともあります。出てくる答えは本当に一つではなくて、人それぞれでした。その「人それぞれ」ということが、学校とはまるで違ったんです。

一つの答えを求めて、みんなで答え合わせをしていく。減点方式で一つの答えが間違っていたら、「あなたは間違いです」と言われるような学びではなく、もっとダイナミックな学びがあると痛感したんです。「これからもこの新聞を作っていきたい」と思ったのが、なれそめですね。

■校則がいじめの萌芽(ほうが)になる
――約20年たって、当時と現在を比較すると、不登校の状況に大きく変わったところはありますか。
石井編集長自身も不登校を経験した

石井 20年前と現在を比べると、不登校は1.5倍に増えています。それから、学校のいじめが「スクールカースト」として確立されたという点が大きく違います。私たちの時代にもいじめはありましたが、今の子供たちに話を聞くと、スクールカーストが本当に大きな存在になっています。

もう一つ挙げると、校則があります。70年代から80年代にかけて、丸刈り校則などが社会問題化するのですが、今の校則は「眉毛をそってはいけない」「下着の色が決まっている」といった、非常に細かいことまで多くの学校が定めている。都内の高校の半数以上で「地毛申請」があると聞いて「そこまで管理するのか」と驚きました。こうした「管理校則」は顕著に増えているというデータもあります。

子供たちに話を聞いていると、達成しなければいけないハードルがとても高いことに気付きます。子供が反抗するからルールができたのではなく、あらかじめ言うことを聞かせるようになっている。髪染めを例にしても、非行や校則違反に対して罰があるというのではなくて、最初から起こさせないためにすごく厳しく細かいルールをたくさん守らせている。それゆえに、みんな生きづらさや息苦しさを感じている。そういう空気が学校にまん延しています。

■板挟みの現場教員
――どうしてそんな状況になってしまったのでしょうか。学校現場の余裕のなさも関係しているのでしょうか。

石井 学校の先生と話をすると、「世の中の職業の中で一番余裕がないのでは」とすら感じます。お会いできても、信じられないぐらい遅い時間を指定されますし、話を聞いていて、本当に大変だと思います。一方で、話を聞いていると、一体それは子供に守らせる必要がある校則やルールなのだろうかということも、先生たちは必死で守らせていました。例えば、小学校で子供たちが騒がないようにするというルール。大声を出してしまう子に、先生は常に注意しなくてはいけない。低学年ではとても無理です。でも、騒ぎすぎると管理職からすごく責められる。子供と管理職、そして保護者との間で板挟みになっている現場の先生がいます。

ただ、一番傷ついているのは子供です。学校が公に人権を侵害するルールを決めてしまうと、子供たちの中では、もっと厳しいおきてを作るんです。これこそが、いじめの萌芽(ほうが)です。これは子供だからではなくて、基本的に人間の社会がそうなっている。大きな法律があれば、それを守らせるための鉄のおきてができる。これがスクールカーストとつながり、いろいろないじめや人間関係のあつれきを生んでいるのです。(「下」に続く)

(聞き手・藤井孝良)

 


【プロフィール】

石井志昴(いしい・しこう) 1982年、東京都生まれ。中学2年生の頃に不登校となり、フリースクール「東京シューレ」に通うようになる。「不登校新聞」には創刊号から関わり、06年から編集長に。不登校の子供や親など、300人以上を取材してきた。

【不登校新聞】

1997年の中学生の焼身自殺・体育館放火事件をきっかけに、翌98年に親の会、フリースクールなどの市民団体が母体となり創刊。現在は月2回、紙とウェブ媒体で発行する。累計読者数1万3000人。不登校の子供や保護者に対して「学校以外の道は死だけではない」と呼び掛ける。