(教育時事論評)研究室の窓から 第7回 授業研究考

国立教育政策研究所教育研究情報センター総括研究官  千々布敏弥

世界に冠たる“jugyokenkyu”

タイで開催された世界授業研究学会に参加してきた。99年に刊行された『ティーチング・ギャップ』において、日本の授業の水準の高さとその要因としての授業研究が称賛されて以来、日本の授業研究は世界中から注目を集めている。世界授業研究学会は、07年に香港で開催されたのを皮切りに、シンガポール、ブルネイ、インドネシア、スウェーデン、東京で開催されてきた。これらの国で授業研究学会が開催されるのは、日本に習った授業研究の取り組みがあるからに他ならない。

授業研究はアメリカやシンガポール、イギリス、中国などが政府あるいは大学のイニシアチブで推進しているほか、JICAやAPECが支援する発展途上国でも実施されている。

アメリカでは、日本人研究者が授業研究コンサルタントの会社を立ち上げ、各地の学校に指導に赴くほか、本場の授業研究を参観するのを希望するアメリカの教師たちを引き連れて、日本の授業研究ツアーを開催している。私自身も最近は、シンガポール、香港、カザフスタンからの授業研究視察団のお世話を行った。

シンガポールやインドネシアは、授業研究シンポジウムを毎年大々的に開催し、日本人研究者をキーノート・スピーカーとして招聘している。シンガポールでは、教育省の方針で授業研究が普及しており、現在では半数以上の学校で授業研究が実施されている。

授業研究は英語で「レッスン・スタディ」と称されている。授業をレッスン、研究をスタディと翻訳した結果だ。〝jugyokenkyu〟と書かれる場合もある。英語で授業研究に該当する言葉がないためである。指導案は「レッスンプラン」、協議会は「ディスカッション」と、既存の英語がそのまま使われる。

では、教材研究はどうだろうか。実は、これに該当する英語がない。

今回の世界授業研究学会では、教材研究に言及するプレゼンテーションがいくつかあった。いずれも〝kyozaikenkyu〟と称されていた。日本語に堪能な外国人研究者は「ペダゴジカル・コンテント・ナレッジに近い概念」だと紹介していた。

「ペダゴジカル・コンテント・ナレッジ」とは、アメリカの研究者リー・ショーマンが86年に提起した概念である。教科に関する知識が授業で実際に活用される場合に必要となるものであり、単なる教科に関する知識でもなく、教授法に関する知識でもない。授業の実践場面に即した事例知識のようなものと解説されている。一般的な日本語訳が定着していなく、「内容と教授方法についての知識」(吉崎静夫)、「授業を想定した教材の知識」(北田佳子)などの翻訳が行われているが、そのまま「ペダゴジカル・コンテント・ナレッジ」、あるいはPCKと称される場合が多い。

PCKが提起された当時は、これこそが教師教育の根幹となるべきものというとらえ方が、日本を含めた世界中で広まった。名古屋大学のサルカール・アラニ准教授は「日本の教材研究の概念はショーマンより深い」と指摘する。指導案に関する協議場面は諸外国に広まっているが、その過程における教材研究の意義はまだ伝わっていない。PCKより奥深い〝kyozaikenkyu〟の意義を日本人が明示的に解説する必要がある。

おそらく、指導案に記述されている「教材観」「児童観」なども日本独自の概念だろう。日本語に堪能なアメリカ人研究者キャサリン・ルイスは英語の講演でも、「子どもを見る眼」は日本語のままに語っている。

日本の〝jugyokenkyu〟は、世界に冠たる教育文化遺産なのだ。

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