次期学習指導要領の論点整理 安彦忠彦神奈川大教授に聞く

c20160101_011中教審の教育課程企画特別部会から昨年8月に次期学習指導要領を作成する上で議論のたたき台となる「論点整理」が示されたのを受け、学校種別部会や教科別のワーキンググループで具体的な検討が始まった。前回改訂時の中教審委員で、高校教育部会の部会長代理などを務めた安彦忠彦神奈川大学特別招聘教授に論点整理はどのように映ったのか、次期学習指導要領について聞いた。

子どもの興味・関心で発想

――論点整理が示されましたが。

全体をみると、コンピテンシー・ベース(資質・能力)の方向性だ。それは私が座長を務めた「育成すべき資質・能力を踏まえた教育目標・内容と評価の在り方に関する検討会」でも求めていた。それを引き継いだのは評価する。ただ、コンピテンシーについて、なんら批判的な吟味もしないで、取り入れるのはどうか。私の見方からすれば、コンピテンシーという能力の中に資質を入れてしまっている。人格的な資質を実社会・実生活に効果的に働くための能力に合わせるようにしている。そういう能力について批判的に対象化してみる視点が抑制されているように見える。

コンピテンシーの中に資質を入れると、それがよりよく機能するような粘り強さや創造性などは評価するが、それを抑える人格的なものを軽視する懸念がある。コンピテンシー能力論は、今の産業界で機能する力を強調して、現在の社会が要請しているという前提に立つ、いわば適応主義的な性格のものだ。今の社会や産業界を批判的に吟味する別の能力も必要だ。論点整理は、そのことには触れていない。

――具体的には。

特に、資質に関わる部分は、能力と何が違うかというと、明朗性やがんばり、責任感等、なになに力と言わない人間の性質を言っている。その部分は従来、人格性の視点から捉えてきたもので、人格の方が全体である。

だが、論点整理では両者の関係を逆転させ、能力の中に必要な資質を人格的な要素部分として入れている。文科省とOECDが連携して進めている「次世代対応型教育モデル」も同様の考えだ。今のコンピテンシー論は、大人の実社会・実生活で必要だと思われる能力を示すのみで、子どもの興味や経験、活動、さらに発達的な観点がない。これではカリキュラムづくりは難しい。大人の世界の論理で、有能な社会人を学校で育てていないとの批判から、こうしたコンピテンシー論が先行している。子どもの興味・関心にも目を広げる発想をもたないといけない。

人生を描く「観」

――「社会に開かれた教育課程」については。

それは日本では明治以来からやっている。実業界で有用な力を育てるのが日本の公教育の目的だった。むしろヨーロッパの方が、アカデミックで文化的な教育を進めてきた。そういう意味では、開けているのはこちらかもしれない。米国の影響だが、日本は工学部を大学に設置し、実業界の要望に応えてきたのである。その認識もなくOECDの教育モデルを重視するのはどうかと思う。先日の大阪の講演で、「経済に従属する教育と言われている。本当にそれでいいのか」との質問があった。経済は手段であり、普通の人にとっては生活を支える糧を得る活動にすぎない。

実はその上で、自分の人生をどう送ろうかと考えるのが本来の目的だ。そのように考えなくなって、経済活動だけに目を奪われ、人生哲学がない。私から言わせると、「観」がなくなっている。人間観などの「観」だ。人生全体を見通してどう人生を組み立てるかが重要だ。自らいろいろな人生を描く「観」が必要である。

――現代が抱えている教育の問題は。

教育の固有の意味は「自立」である。これは事実としての教育だ。教育は能力を引き出したり、個性を伸ばしたりなど、理想・思想の面からの教育が語られてきたが、忘れられているのは事実としての教育である。人類が地上に現れて以来、事実としての教育があった。それが家庭・地域教育を含む「私教育」である。近代国家が営む学校等の「公教育」とは区別される。今は私教育が衰えており、公私の区別ができておらず、しかも公教育に依存している。こうしたことから、公権力につながる産業界に都合のいい教育を行っている。

そのため公権力や産業界に依存して、自立した人間が育っていない。自らの人生を左右する就職さえも自分で決められない学生がいる。これは能力ではなく、人格的資質の問題だ。自立した大人を育てないといけない。

ところが私教育の核たるしつけも「お願いできれば」と保護者まで学校に依存している。この現状に手を付けないのなら、現在の社会にのみ有能なロボットをつくるだけである。

批判する力を

――高大接続改革についてはどう思われますか。

アクティブ・ラーニングを実施する教育は賛成だ。その流れで入試制度を変えるのは重要だ。順応や適応でなく、批判的な視点を育んでもらいたい。現状では、コンピテンシーの力は必要だが、批判して吟味する力も身に付けないといけない。

新しい入試制度は多様な方法を活用するほか、問題解決能力を試す問題も考えており、高大接続改革の方向性は支持している。ただ、平成21年頃から数字上は大学全入時代となり、学生の質の担保を入試だけでするのは難しい時代だ。米国のように出口で質を担保する制度にしないといけない。

――これまでの議論のなかで、次期学習指導要領の課題を挙げるとしたら。

内容や時数も検討しないといけない。論点整理では、「現行を前提として」と明記してあった。先の検討会では内容の精選・厳選の参考に、国際バカロレアや逆向き設計論等を例示したが、その決め方については言及していない。

なぜ「現行を前提」なのかと文科省関係者に聞いたら、前の学習指導要領で、内容を3割削減し、学力低下で叩かれたのが理由だという。いわゆる「ゆとり教育」の二の舞になりたくなかったとの思いが、事務方や委員のなかであったようだ。しかし、大事なことはやらないといけない。平成15年の一部改正では、基礎・基本を見直し、それと「総合的な学習の時間」とをつなげて、質の高い思考力を育てるようにした。

その結果、PISA2003では日本の読解力の成績は下がったが、PISA2006で横ばいとなり、PISA2009でV字回復した。平成15年の一部改正で、各教科の勉強を「総合の時間」で生かす形でうまく連携できたと思う。全国学力・状況調査で出題される活用問題(B問題)で成果が上がるようにした。現行の学習指導要領は、それを引き継いでいる。現場では各教科と総合の時間とを連携させて指導する必要を、十分理解していない教員もまだ多い。

現行の学習指導要領で、総合の時間を減らし、教科の時間を増やしているのは、教科の中で活用型の指導をして両者をつなぐのがねらいだ。小・中学校教科書の練習問題では、活用型と習得型を分けた構成となっているが、一方の高校は、活用型学習を無視して、一挙に探究問題を行わせる教科書となっており、答申を生かしてない。だから、今審議されている高大接続がどのような制度になるのか注目している。

――次期学習指導要領に期待することは。

まず、内容をどうするかが大事だ。内容を精選して基礎・基本を必ず固めてもらいたい。そうしなければ土曜授業が一律に復活する可能性がある。土日は、家庭・地域で私教育を実践し、人間性を育んでもらいたい。

もう一つ、長期的な観点で教育を考え、地球環境問題を盛り込んでほしい。ESDを重視すべきだと思う。昨年は、地球温暖化対策の国連会議COP21で「パリ条約」が採択された。地球温暖化対策は多少前進すると思うが、21世紀を考えるなら数百年先を見通さないといけない。

地球環境問題は学校という公教育で指導するべきだ。これについては正面から考えないと地球レベルで取り返しのつかない事態になる。次期学習指導要領にはこの2つを盛り込んでもらいたい。

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