(教育時事論評)研究室の窓から 第13回 ゆとりと強靱化 大臣メッセージを整理する

国立教育政策研究所研究企画開発部総括研究官 千々布敏弥

 

5月10日付で馳文科大臣は、「教育の強靱化に向けて」と題するメッセージを公表した。このメッセージに関して読売新聞は「『ゆとり教育』との決別、明確に」と題して報道した。毎日新聞、日経新聞も同様の見出しを掲げた。朝日新聞の見出しは「『脱ゆとり』を継続」であった。

教育新聞は「一般紙は『ゆとり決別宣言』などといった見出しで報じた。だが、この文書のどこにも、そのような内容は書かれていない」と報じた。大臣メッセージの文面は教育新聞が指摘するとおりであるが、確認してみると、記者会見の席上で読売新聞が指摘したような発言があったらしい。朝日新聞は社説で「『脱ゆとり』路線はすでに進んでいる」と指摘し「いま『ゆとり決別宣言』というのなら、『ゆとり』の何が問題だったかをきちんと総括し、発信する姿勢が欠かせない」と論じた。

これらの論調を、私なりに整理してみたい。

「ゆとり教育」という言葉は、実は文科省の言葉ではない。「ゆとりと充実」というキャッチフレーズの前半部分だけが独り歩きしたものである。同省としては、平成10年改訂に関する議論の際から「生きる力」という言葉で、教育課程の理念を表現してきた。

「生きる力」を育むための教育の総括については、20年の中教審答申が丁寧に行っている。10年改訂の学習指導要領は「理念を実現するための具体的な手立てが必ずしも十分ではなかった」として、5つの課題を指摘した。

第1にこれからの子どもたちに「生きる力」がなぜ必要か、「生きる力」とは何か、ということについて十分な共通理解がなされなかったこと。第2に学校における学習指導について、子どもの自主性を尊重するあまり、教師が指導を躊躇する状況があったこと。

第3に思考力・判断力・表現力等を育成するための各教科と総合的な学習の時間との適切な役割分担と連携が必ずしも十分に図られていないこと。第4に基礎的・基本的な知識・技能の習得とともに、それらを活用する学習活動を行うための授業時数が十分でなかったこと。第5に社会の大きな変化の中で家庭や地域の教育力が低下したことを踏まえた対応が十分ではなかったことである。

20年答申は、学習指導要領の理念や目標に誤りはないが、そのねらいを達成するための必要な手立てとしての授業時数等に課題があったと総括している。前回改訂時の考え方は、このたびの論点整理でも踏襲されており、「『生きる力』を育むという理念について、各学校の教育課程への、さらには、各教科等の授業への浸透や具体化が、必ずしも十分でなかった」と記述している。20年改訂時は授業時数を増加しており、昨年8月の論点整理では「現行学習指導要領の各教科等の授業時数や指導内容を前提」とすることを掲げている。

大臣メッセージにあるように、「学習内容の削減を行うことはしない」こととなっている。

このたびの大臣メッセージは、「『ゆとり教育』か『詰め込み教育」かといった、二項対立的な議論には戻らない」と述べた。この記述も、やはり20年答申で「教育については、『ゆとり』か『詰め込み』かといった二項対立で議論がなされやすい。

しかし、変化の激しい時代を担う子どもたちには、この二項対立を乗り越え、あえて、基礎的・基本的な知識・技能の習得とこれらを活用する思考力・判断力・表現力等をいわば車の両輪として相互に関連させながら伸ばしていくことが求められている」と述べられていることと同趣旨である。

つまりは、この大臣メッセージは、文科省としてすでに発信しているものを改めて発信したものである。現在審議されている教育課程改訂の方向性を分かりやすく伝えようとしたのだろう。その意図がずれて伝わったようだ。

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