(教育時事論評)研究室の窓から 第14回 「深い学び」とは 授業研究から生み出される

国立教育政策研究所研究企画開発部総括研究官 千々布敏弥

 

聴き合う関係が構築されている教室は、心地いい。

発言する友達を見る表情が柔らかい。友達の発言に「いいです」「同じです」などと機械的に応答するのでなく、表情で受け止めている。「そんな考えがあるんだ」「そうそう」などの表情で聴いている。よく分からない発言があったら、まず「理解できない」「何を言いたいのだろう」という表情がクラスの中に、波紋のように広がり、その後にさりげなく「もう一回言って」と誰かが発言する。

発言した子も、自分の考えが十分まとまらないまま発言したのを後悔しているのだろう、少々ばつの悪そうな表情をしている。別の子が「○○君が言いたかったのは……だと思います」、そこから「あー」「そうか」などのつぶやきが広がる。教師が「○○君、それでいい?」、ようやく助け船を出す。

南哲朗先生という、すでに退職された横浜市の先生がいる。若き教師の頃、東京大学に内地留学生として派遣された。その頃の南先生の実践と振り返りは、稲垣忠彦ほか編『シリーズ授業4 社会:社会のしくみと歴史』(岩波書店、1992年)、稲垣忠彦・佐藤学著『授業研究入門』(岩波書店、1996年)で紹介されている。

佐藤学氏は南先生の授業を「他者の意見を楽しんで聞くという『聞き上手』の子どもたちが育っている」と評した。

聴き上手の子どもたちは学びも深い。南先生が用意した、埋め立てに反対する漁業関係者に市が賠償金を払って解決しようとしたことを示す資料に、子どもたちは猛反発する。「いくらもらってもいやだ」と叫ぶ女の子もいた。子どもたちの予想外の反発に驚きながら、南先生は最後の発問を投げかけた。

「それでも、横浜は埋め立てを続けてきたんだよね。江戸時代は田を作るため、明治・大正になってからは工場を作るため、最近はMM21のような施設を作るために埋め立ててきた。それでも埋め立ててきた理由はなんだ?!」

私が今まで拝見した授業の中で、最高に気に入っている発問だ。この発問だけコピーしても、あの授業は再現できない。ベテラン勝負師が少しずつ相手を攻め続けた末の最後に放つ勝負の一手だ。揺らぐことのない教材研究の成果から放たれた発問でゆさぶられた子どもたちは、次の時間もその次の時間も話し合い、結論は出なかったらしい。それだけ子どもたちにとって深い学びになっていた。

南先生に改めて尋ねてみた。どう授業を創ったのか。横浜市の教科研究会で何を学んだのか。東大で何を学んだのか。南先生とのやりとりの中で浮かび上がった第一は、先生自身が教材研究を楽しんでいるということだ。南先生は横浜の埋め立ての歴史を調べるため、市役所、図書館、埋め立ての現地に足繁く通った。その過程を、地図を示しながらうれしそうに語る南先生からにじみ出ていたのは、本人がいかに社会科を好きか、その単元を面白いと感じているかということだった。それが子どもに伝播して、あの追究力の高さが生み出されたのだろう。

南先生の授業の構成要素の第二は学級経営だ。子どもたちが仲良くなる、聴き合う関係を創るために先生はいろいろな手を打った。席の決め方、グループの作り方、聴くことのできない子どもの叱り方、人の話を聴いた後にまとめる方法など細かな手段をいろいろ伺ったのだが、おそらく根本は「子どもが喜んで通いたくなるクラスを創りたい」という思いのようだ。

次期学習指導要領について審議している中教審では、「深い学び」が焦点化されつつある。「深い学び」とは、日本の教師たちが授業研究を通じて追究し続けてきたものだ。子どもの深い学びの前に教師の深い学びがある。テクニックだけで子どもが深く学ぶことはあり得ない。南先生ほどの深さを再現するのは難しいだろう。だが、皆それを目指してきている。その歴史を大事にしたい。

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