(本紙編集局はこう読む 深掘り教育ニュース)いじめの定義見直しで議論

「木を見て森を見ず」の恐れも

文科省の平成28年度「いじめ防止対策協議会」は6月30日に第1回会合を開いた。その中で「いじめの定義」をめぐって、学校現場などに依然としてぶれがあることが指摘された(本紙では7月7日付、電子版では会合当日に既報)。「いじめは」、どう定義されればよいのだろうか。

■変遷するいじめの定義

 

いじめの定義は、これまで何度か変更されてきた。

問題行動調査の定義を見ると――。いじめが調査項目に加わった昭和61年度当初は「(1)自分より弱り者に対して一方的に、(2)身体的・心理的な攻撃を継続的に加え、(3)相手が深刻な苦痛を感じているもの」とされた。

さらに平成6年度からは、この定義に「個々の行為がいじめに当たる否かの判断は表面的・形式的に行うのではなく、いじめられた児童生徒の立場に立って行うこと」との観点が追加され、いじめかどうかは被害者の立場に立って判断することとされた。

平成18年度からは、いじめは「当該児童生徒が、一定の人間関係にある者から、心理的、物理的な攻撃を受けたことにより、精神的な苦痛を感じるもの」となった。「一方的」「継続的」「深刻な」という文言が削除され、より対象が広がった。

そして、いじめ防止対策推進法が平成25年度に制定され、その中で、「当該児童生徒と一定の人間関係がある他の児童生徒が行う心理的又は物理的な影響を与える行為(インターネットを通じて行われるものを含む)であって、当該行為の対象になった児童生徒が心身の苦痛を感じているもの」と定義された。インターネットによるいじめが対象に加わったほか、「精神的な苦痛」が「心身の苦痛」となる。

■定義だけがぶれの原因か

 

しかし、見て分かるように、現在のいじめの定義は、すべてのいじめを網羅しようとしたために拡大し、学校や教員の間で、いじめかどうかの解釈に迷うという事態も生んでいる。

さらに、被害者の意識を重視しているめに、被害者が精神的な苦痛を感じたといえば、いじめになってしまう点も、否定できない。

いじめの定義の曖昧さは、学校現場のいじめ認知件数のぶれにもつながるため、協議会ではいじめの定義を明確化させることが大きな課題となりそうだ。特にいじめ防止対策推進法は、施行3年目で法律を見直すとされており、今年度がその時期に当たっている。

だが、いじめの定義をこれ以上見直すことに、どれだけの意味があるのか。時代の変化とともに子どもたちの人間関係はより複雑になっており、いじめはどんどん複雑化している。定義しようとすればするほど、逆に「木を見て森を見ず」という事態に陥りはしないだろうか。

そもそも、問題行動調査のいじめ認知件数には、都道府県間で、最大で約30倍の差がある。これは、いじめの定義の曖昧さだけが原因なのか。確かに、教職員間でいじめの解釈にぶれが生じたり、定義通りに解釈されたりすれば、いじめの件数が膨大な数になるとの指摘はある。

しかし、もっと大きな背景として、いじめ認知件数が多いと「学校のマイナス評価になる」という意識や雰囲気が、まだまだあるのではないか。いじめは、どんな学校でも起こり得る。いじめをゼロすることなどできないという認識を、学校や教育関係者、そして社会は、再確認すべきだろう。

■健全な生徒指導を

いじめと他の行為の区別がつかないと困るという声もあるかもしれない。だが、からかい、脅迫、暴力行為、けんか、いやがらせなどの行為といじめを明確に区別したとして、それにどんな意味があるのか。いじめならば対応するが、いやがらせやけんかならば放っておくという対応は、教育の場ではあり得ない。

大切なのは、さまざまな問題行動の防止に努め、起こったら早期に発見し、重大事態になる前に早期解決するという、健全な生徒指導を行うことだ。

いじめで厄介なのは、教職員の見えないところで行われることであり、そのために注意や工夫が必要となる。いじめ防止対策推進法があるから、いじめに対応しなければならないわけではない。いじめの定義にあまりこだわっていると、いじめ防止対策推進法自体が「機械的対応」になってしまいかねない。

必要なのは、いじめ認知件数の増加をマイナス要因と受け止めないようにする教職員の意識や教育風土の改革であり、いじめを見逃さないよう、教職員が子どもと触れ合える時間を増やすことだろう。

関連記事