(新しい潮流にチャレンジ)カリキュラム・マネジメントの課題

教育創造研究センター所長 髙階玲治

 

日常の授業にどう生かすか
○カリキュラム・マネジメントへの疑問

カリキュラム・マネジメント(CurM)は次期教育課程の重要な課題であるが、そのものは現在でも極めて重要で、それを抜きには単元構成も授業も成り立たないものである。

しかし、次期教育課程の「論点整理」では、CurMについて特に次の提示を行っている。

(1)各教科等の教育内容を相互の関係で捉え、学校の教育目標を踏まえた教科横断的な視点で、その目標の達成に必要な教育の内容を組織的に配列していくこと。

(2)教育内容の質の向上に向けて、子供たちの姿や地域の現状等に関する調査や各種データ等に基づき、教育課程を編成し、実施し、評価して改善を図る一連のPDCAサイクルを確立すること。

(3)教育内容と、教育活動に必要な人的・物的資源等を、地域等の外部の資源を含めて活用しながら効果的に組み合わせること。

実はCurMについて解説が多くみられるのだが、この文言が提示されるだけで内実についての説明がほとんど見られない。

学校現場では素朴な疑問がいくつもあるのではないか。特に(1)について次の疑問がある。

▽「各教科等の教育内容を相互の関係で捉え」とあるが、学校の教育課程を編成する場合、各教科等の教育内容の配列が先であって、相互の関係を何よりも重視するのはなぜか。

▽「学校の教育目標を踏まえた」とあるが、学校教育目標は、国で定めた「学校教育の目標」とそれぞれの学校固有の「学校の教育目標」があるが、後者として理解してよいか。また、「学校の教育目標」は教育全体を網羅的に表現したもので直接学習内容に直結しないことが多いが、この場合どう考えるべきか。

▽「教科横断的な視点」とあるが、具体的な視点を明示してほしい。

▽「その目標の達成に必要な教育の内容」とあるが、この場合の「目標」は「学校の教育目標」の意味と考えるが、教育課程編成における教育内容はかなり網羅的・多岐的でこの文言どおりにならないと考えるがどうか。

いわば「説明不足」な文言が多いと感じる。また、実際に学校現場でこの考えを受容したとして、どう進めるべきか、教育課程編成モデルを提示すべきでないかと考える。

○カリキュラム・マネジメントの実践方略

さらに重要な課題がある。CurMを実施する主体についてである。「論点整理」では、「管理職のみならずすべての教職員がその必要性を理解し、日々の授業等についても、教育課程全体の中での位置付けを意識しながら取り組む必要がある」としているが、これはやや曖昧な表現である。むしろ日常の授業にかかわるCurMこそが重要で、すべての授業者を主体とする考え方が必要である。

ところが、識者の説明に中には、CurMは校長の役割と断じていたり、管理職や主任層で行う、などの限定的な説明がみられる。しかし、CurMは教育課程を編成すれば事足りるのではない。一つの単元や題材に基づいて、子どもの主体をどう形成するか、対話的な学習をどう進めるか、深い学びになっているか、などアクティブ・ラーニングとしての学習過程を構築する必要がある。すべての授業者が主体になるべきである。

なお、学校の教育課程は校長が編成する、とされているが、校長が教務主任を中心にすべての学級・教科担任を総動員して教育計画を作成するのである。CurMもまた、そうあるのが当然である。そのような全体構想の中で校長がリーダーシップを発揮するのである。

実のところ、CurMは校長の考える教育課程編成方針のレベルのみでなく、学校としての教育課程重点化レベル、各教科等の単元構想レベル、日常の授業レベルなど、CurMの対象によって質的に変わることである。

その場合、校長はすべてのCurMのレベルに関与することは難しい。実は、ここ数年、私は毎月1回夕方から開かれる私的な小学校国語研究会に参加しているが、そこでは単元構成に基づく授業実践や構想を持ち寄って協議が行われる。主に校内研修の場での資料に基づくものであるが、協議で気づくことは、学年等が主体になって単元構成や本時の授業展開を考えているが、校長の関与はほとんどみられないことである。それが学校の実際ではないか。

重要なのは、教師それぞれのCurM力の形成である。しかも、その力は日常のどの単元においても発揮されることを目指す。つまり、研修機会で得た知見が日常実践化することが重要なのである。子どもに直接影響が及ぶのでなければ何のためのCurMと言えるであろうか。

ただ、私の現時点での感想は、それぞれの教師がCurM力を身に付けることの難しさを痛感している。CurM力を身につけるには相応の研修機会、その中には自己研修も含む、が必要である。その時間や場が決定的に少ないという現状である。教師個々の授業への取り組みの意欲や熱意は感じるが、教師の資質・能力を鍛える環境条件があまりにも劣悪ではないかと思えるのである。

○カリキュラム・マネジメントは広がる

さらにCurMは多様な形で展開される。アクティブ・ラーニングは定型がない、と言われるように、CurMもまた単元によって多様な展開が考えられる。そこで、何が最適なCurMであるか、吟味が必要である。

「学ぶのは子どもである」から、例えばアクティブ・ラーニングであれば、個々の子どもが主体的に学んだか、対話的に学んだか、深い学びに到達したか、などの吟味である。

そのような日常のCurMがあって、教師は鍛えられ、子どもの学習活動は豊かになる。

一方、必要になるのが、学習活動の広がりを求める教師の創意あるCurMである。例えば、次の実践例がある。

ある小学校4年の国語の実践であるが、単元名「自分の安全は、自分で守ろう」という話し合い教材に対して、実際に宿泊学習と結びつけたCurMを考えた。宿泊学習では、宿泊地での行動(散策、見学場所など)、宿泊マナー(食事、入浴、部屋の清掃など)が重要である。そこで、何が必要な行動であるかを、全員の考えをつなぐ意味でウェビング図を活用した。その結果から、課題ごとに数人の係(グループ代表)を決め、その係が話し合って必要な行動をまとめた。つまり、係が課題についてのエキスパートになって、グループに戻って説明する。ジグゾー的な発想である。

この実践例は「自分の安全は、自分で守ろう」という教科書教材に示された課題について、実際の宿泊学習に結び付けて自分たちの「切実な課題」を深めている。教科書が求めている話し合い活動は実践的な生活行動への結びつきによって一層深化するのである。「どんな行動が行われるか」「楽しい行動を安全に行うにはどうするか」「一人ひとりが安全を自覚した行動はどうあればよいか」などの社会的な行動力を学び、身に付ける。

一般化していえば、(1)新しい行動を予測して問題を発見する(2)予測した問題の整理する(3)問題を解決する方策を集団全体やグループで考える
(4)解決策を実際に行動化する(5)行動の結果を持ち寄り、検証する。

この過程で、教科書教材が求める「話し合い」の形成が十分行われている。

CurMは、このように複雑な要素を含んだ取り組みである。それは学年レベルや教科レベルなど、実践的な単元構成と深くかかわる問題である。したがって、CurMをどう実質的に充実するか、が大きな課題なのである。今後の実践的な追究に期待したい。

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