(教育時事論評)研究室の窓から 第16回 学校文化は良好か

国立教育政策研究所研究企画開発部総括研究官 千々布敏弥

 

今夏は、都道府県教育委員会関係者から相談を受ける機会が多かった。それぞれ個別の事情があるのだが、共通する課題があるのに気づいたので、ここで整理しておこう。

私が国立教育政策研究所の研究として実施した都道府県の学校文化を測る調査で、学校文化が良好である自治体と良好でない自治体の違いが明らかになった。

学校文化が良好であるとは、教員間で学校の目標が共有されている、授業をお互いに見合うことが定着している、教員間のコミュニケーションが良好である、ということだ。対して良好でないとは、それまでの慣習にこだわって新しい取り組みができない、教員間で考え方がバラバラである、という特徴がある。この調査は、私が以前から感じていた都道府県の文化の違いを明確にしたいとの思いから実施した。

私はこれまで、47すべての都道府県を研修講師等で訪問しているが、行く先々の雰囲気が異なる。全員がきちんと背筋を伸ばして座っている会場から、会の冒頭から居眠りをしている参会者がいる会場までさまざまだ(ちなみにその会場では「最後まで寝なかったのはあなたがはじめだとお褒めの言葉をいただいた」)。

会場に座っている参会者たちが研修に意欲を燃やしているか嫌々ながら来ているかは、彼らの表情と姿勢にあらわれている。何より会場の空気ににじみ出ており、その空気は都道府県で共通する場合が多い。講演の最後に「国が予算と人を増やしてくれないことには我々にはどうにもできない」と皮肉な質問や意見を投げかける参会者がいる都道府県は、実は決まっている。

そのようなネガティブな文化が蔓延している都道府県の教育委員会関係者からは、苦労話を聞かされる場合が多い。教育委員会の指導を市町村や学校が受け入れないことが根本にある。そうした都道府県の指導主事は重荷を背負っている雰囲気を漂わせている。

デスクワークに追われ、準備が不十分なまま学校に指導に赴き、精一杯の指導言を投げかけても教員たちが受け止めてくれない。やりきれない思いが漂っている。一部に非常に元気のいい方もいるがレアケースだ。校長に非常に気を遣っている。教員として先輩にあたるから当然だろうが、指導主事が学校の指導者として受け止められている都道府県があるのを考えると、もう少し指導主事が毅然としてもいいのではと思う。

そんな都道府県に共通してみられる特徴は、教育委員会の学校訪問の頻度が少ないことだ。年に1回だけ、あるいは数年に1回程度しか訪問できていない。そのような都道府県では、すべての学校が課題を抱えているわけではない。全国レベルの研究校もあるし優秀な教員も多い。だがそうでない学校と教員がそれ以上に多い。学校間格差と教員間格差が大きいのがネガティブな文化が支配する都道府県の特徴だ。

全国学力調査の成績が良好な都道府県では、教育委員会が年に複数回訪問し、前回訪問時に指摘した課題の改善度をチェックしている体制が多い。教育委員会と学校の関係が良好であることが要因の一つだが、教育委員会としても指導の焦点を絞り込む工夫を行っている。絞り込み方を学校に応じて変えている都道府県、統一方針を毎年定めている都道府県などの違いがあるが、「すべてを指導するのは不可能。焦点を絞って改善を目指す」との認識が共通している。そのような体制下で学校に対する外部評価と支援が入り、PDCAサイクルが回っている。そのことが学校の全体水準を引き上げている。

このような事例に学び、改革に邁進している都道府県がある。全国学力調査の成績も向上している。そこに共通して見られるのは、リーダーシップと教育関係者が共有する危機感だ。どちらかが欠けるとうまくいかない。

さて、本稿の読者が属する文化はどんなものだろうか。

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