(新しい潮流にチャレンジ)「そのつど評価」でやる気を

教育創造研究センター所長 髙階玲治

 

教師は「内的基準」を磨く
c20160922_01〇「ほめる」ことが少ない教師たち

ある研究会で、元校長が「最近、授業を3時間通して観たが、その間、教師は一度も子供をほめることがなかった」と嘆いていた。

私も何度か経験がある。6年生の授業の話し合いの途中で思いがけなく難しい言葉がでた。教師が「この言葉の意味わかる」と問いかけたところ、2人ほど手を挙げて少し違った言い方で説明した。教師は「そうね」と言って次に移る気配があったとき、一人が辞書を引きながら「こんな意味が書いてあります」と読み上げた。教師はまた「そうね」と言うだけで授業を移行させてしまったのである。

私は常々、教師の「言葉かけ」を重視し、特に子供の学習意欲を育てるために、「ほめる」「認める」「励ます」「アドバイスする」ことの大切さを提唱してきた。

ところが、多くの教師は、ほめたり、認めたりすれば子供の励みになる場面でも、言葉かけがない。

時にポーカーフェース的な教師がいて、子供がよい発言すると、それを板書するだけで、その場を過ごしてしまう。「よく調べたね」とか、「その考えはとても面白い」など言葉かけをすればその子の気持ちをホットにするだけでなく、他の子供たちも、発言の「よさ」がわかり学びあえるのだが、それを考えないのである。

日本の教師の特有の傾向でもあろうか。

以前、書いたことがあるが(本紙「クオリティ・スクールを目指す」連載第41回・平成26年11月24日付)、アメリカから帰国した6年生が逆カルチャー・ショックを受けたらしい。「先生のほめ方が違う。日本の先生はゴールから私たちを見ている感じで、アメリカの先生はスタートから私たちを見ているみたい」と語ったという。

この言葉の意味は大きい。日本の教師は、子供が目標を達成することが重要と考え、そこに視点を当てて子供を評価する傾向が強い。学習のプロセスへの配慮が低く、「できたか」「到達したか」という結果主義である。そこに他の国との大きな違いがある。

〇言葉かけが少ない日本の教師

わが国の教師は、子供への言葉かけが下手である。そのことを示すデータがある。

ベネッセが、東京、ソウル、北京、ミルウォーキー、オークランド、サンパウロの子供たちに行った調査である。

図をみてほしい。「先生からほめられた」は調査国中最低、わずか6%ほどでしかない。「がんばったね、と励まされた」もほぼ6%である。6%とは、40人学級であれば2~3人である。

この調査ではアメリカが圧倒的に高い結果である。しょっちゅう「励まされた」は何と75%を超えている。圧倒的な違いである。「ほめられた」も30%である。

なぜ、このように日本の教師は子供を「ほめる」ことや「励ます」ことが少ないのであろうか。また、他の項目を見て感じるのは個別対応の少なさである。

実は、子供を「ほめる」ことや「励ます」ことは「評価」なのである。評価といえば成績評価やパフォーマンス評価、ポートフォリオ評価、また「真正な評価」を思いおこすかもしれないが、日常における教師の子供への対応もまた「評価」に含まれる。

ただ、「ほめる」「認める」「励ます」「アドバイスする」などの評価行為は研究者からほとんど語られることがない。評価価値が低いと考えられているのではないか。むしろ教師にとって極めて難しい評価方法を強要されることが多い。

しかし、教師なら誰もが知っているように、その場での子供の発言を「ほめる」と、その子供は目を輝かせる。ホットな表情を見せる。教師の言葉かけが子供の意欲づけとなるのである。さらに、自分をほめてくれる教師を「嫌い」とは思わないから、子供と教師の関係もホットになる。学級のすべての子供と教師がホットな関係になれば、学級全体がホットになる。

私はそうした教師の言葉かけを「そのつど評価」と呼んでいる。

ただし、その場での言葉かけによる評価は断片的なものである。「そのつど評価」のみでは十分ではない。次期教育課程では、従来の評価方法に代わってパフォーマンス評価やポートフォリオ評価が評価の中心になる可能性がある。そうした評価に期待するのは、学習プロセスを重視していることである。教師が日常的にそうした評価を使いこなせることが重要であるが、現状としては定着度が低いのではないか。

そうした真正な評価を排除するのではなく、日常で生かせる評価のあり方として「そのつど評価」を子供の学習意欲を高める指導スキルとして重視したい。「できたか」「到達したか」という結果主義のみで評価するのではなく、アメリカの教師のように、子供の学習プロセスをスタートから励ましながら進めたいのである。そうすれば真正な評価に結びつく。

〇教師は「内的評価」を磨く

ただ、その場その場での「そのつど評価」は極めて主観的な教師の言葉かけのようにみえる。それは「評価に値しない」と判断されそうである。

しかし、「教師の主観であっても大いに結構」である。主観的でもよいから子供の「よさ」を見いだしたら、すかさず言葉かけをする。子供はその瞬間、「やった!」とホットな気持ちになる。教師の励ます行為が子供の気持ちを高ぶらせ、次なる学習へ意欲を持続させていく。

教師の言葉かけは主観的に見えるが、長年の指導経験によって、その場に応じた適切な言葉かけが生まれる。もともと教師は子供と多く接しているうちに何が評価に値するかという「内的基準」を持つようになり、熟達によって間違った評価はあまりしなくなる。

ただ、どのような言葉かけが子供の気持ちをホットにするか、自分の言葉かけを練り上げる必要がある。特に経験の浅い教師はそうすべきである。そのため言葉かけに熟達することが重要である。

時には教師の言葉かけは、テストの評価よりも子供に与える影響が大きい場合がある。文化勲章をもらうほどの書家が、「今あるのは、田舎の小学生のころ、担任の教師から書をほめられたことがきっかけであった」と語っていた。

教師の「ほめ言葉」が将来の生き方につながった例を何度も聞いたことがあるが、それほどに教師の言葉かけは大きな影響を持つことがあるといえる。

教師が「内的基準」を磨き言葉かけを日常的に行えば、子供の学習意欲を高め、課題追究の意識を一層強めることが可能である。「学びに向かう力」を伸ばすといえる。

現在、中教審で評価に関する論議が行われていると考えるが、指導要録の評定・評価は公的で制度的な評価といえるものである。それに対して日常の評価は、何よりも子供がその場で「よかった」と思えることが大切で、断片的な観察評価であっても極めて重視すべきである。

「ほめる」「認める」「励ます」「アドバイスする」などの言葉かけによる「そのつど評価」を積極的に行いたい。

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