(本紙編集局はこう読む 深掘り教育ニュース)「指導死」とは何なのか

親の会が文科省に要望書

教員の行き過ぎた指導が原因で自殺に追い込まれた子供の遺族らでつくる「指導死」親の会は9月16日、学校の安全配慮義務などを求めた要望書を文部科学省に提出した(本紙9月29日付、電子版9月20日付既報)。

「指導死」とは、いったい何なのだろうか。

■行き過ぎた指導が原因

昨年12月に広島県で、中学校3年生男子が、学校側の事実誤認による万引の疑いのため志望高校に推薦できないと言われたのを苦に自殺した事件は、全国に大きな衝撃を与えた。

このように、生徒指導などでの不適切な指導、行き過ぎた指導、または体罰などにより、子供が自殺に追い込まれる事態を指して、同会は「指導死」と名付けている。

同会によると、「指導死」の定義は、子供が、(1)不適切な言動や暴力等を用いた指導を教員から受けたり見聞きしたりすることにより精神的に追い詰められ死に至ること(2)妥当性、教育的配慮を欠く中で、教員から独断的、場当たり的な制裁を加えられ、結果として死に至ること(3)長時間の身体的拘束、反省や謝罪、妥当性を欠いたペナルティー等を強要され、精神的苦痛により死に至ること(4)暴行罪や傷害罪などに相当する教員の行為により死に至ること——とされている。

また、このような「指導死」は、平成元年から27年までの間に66件発生しているという。

■すべての自殺に背景調査を

同会が文科省に提出した要望書では、まず子供の自殺に当たっては、文科省の「子供の自殺が起きた時の背景調査の指針」(改訂版)に則り、全部のケースで基本調査を実施し、必要と判断される場合は詳細調査を行うこと、それらの内容を速やかに遺族に報告することを求めている。

また正しい指導を子供の安全に配慮して行うこととして、事実誤認による指導をしないよう事実関係を確認し、指導中に子供を一人きりにしない「安全配慮義務」の実施を要望。

さらに、計画性のない行き当たりばったりの指導が「指導死」の背景にあるとして、指導に当たっては、事前に指導計画を作成し、校長、保護者、児童生徒に提示して、それらの了承の上で指導するよう求めている。

これらの要望事項について、正直なところ学校現場では、賛否が分かれる部分もあろう。学校が報告する子供の自殺件数は警察庁の発表よりも4〜5割程度少ない。文科省の指針は、すべての自殺案件で背景調査を行うよう求めており、「たとえ自らに不都合なこと」があったとしても事実と向き合うよう学校に求めている。

これらの点は、要望書の言う通りだ。子供を一人にしないという安全配慮義務の履行や、事実誤認による指導をしないというのも当然だ。

ただ、実際の生徒指導などは「生きもの」であり、対応が非常に流動的だ。事前に指導計画を立てて、保護者や児童生徒にも了解を得るなどは、長期的に見れば可能でも、具体的局面では困難ではないか。

■「指導死」が問うもの

しかし、同会の要望書の最も重要な点は、学校現場に対して「指導死」という概念を突き付けているところだ。これについては、学校関係者の中には、ごく一部のレアケースを批判しているにすぎないという受け止め方が多いかもしれない。

だが、事実関係を詳細に確認しないまま子供に反省を求めたり、多数の教員で囲んで事情を調べたりするなどは、実際にはかなりあるのではないか。また反省文を書くまでは帰さなかったり、トイレなどにもいかせず長時間にわたり指導したりするという場合もありそうだ。

困難な環境の中で教員は生徒指導などに奔走している。それは間違いない。けれども「熱心な指導」は一歩間違えば、場当たり的で理不尽な指導にもなりかねない。体罰は論外だが、問題行動と思われる事態に対して、「即時対応」として強く怒鳴ることなどは、教員なら誰しも経験があろう。

しかし、同会が「指導死」の定義の中で、「教員と生徒の関わりのすべてを指導と位置付ける」としているように、本来、教員と児童生徒の関係は、指導する者とされる者という関係で成り立っているのは、否定できない事実だ。そして、その関係には子供たちの人権や心情を尊重することも不可欠であり、それがないなら、本当の意味での「指導」とはいえない。

多忙化の中で仕事に追われ、子供たちと対応している中で、教員は本当の「指導」ができているか。「指導死」の問題は、そんな逆説的な問いを学校現場全体に投げ掛けている。

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