(新しい潮流にチャレンジ)カリキュラム・マネジメントの充実方策

教育創造研究センター所長 髙階玲治

 

教師は授業力をどう高めるか
○次期教育課程で何が変わるか

先日、中学校の研究会でのことである。次期学習指導要領は、中学校の場合、現行と比べて各教科等も、年間授業時数も少しも変わらない。「いったい何が大きく変わるのか」と問いかけてみた。

誰もが何かが大きく変わると思っていたというが、そう問われると急には答えられない様子だった。現行の学習指導要領が変わったときは、”ゆとり教育からの脱却”を目指して数教科の授業時数が大幅に増え、全体として教科書は3割も厚くなった。変わる実態が明確のようにみえた。今回も「学びのイノベーション」という言い方すらある。しかし、何が、どう変わるのか。

一人だけ手が挙がった。「学び方が変わるのでは」と言った。正解であろう。中教審は育成すべき資質・能力を掲げて「何を知っているか」「知っていること・できることをどう使うか」など、「学びに向かう力」の育成を基本にしている。また「アクティブ・ラーニング(AL)」や「カリキュラム・マネジメント」の重要性を強調している。そして「学習内容は変わりません」と断言する。

確かに「学び方」を変えることを主眼にしているようにみえる。

しかし、「どのように学ぶか」としてALを提唱しているが、それがブームのようになっているにしても、それだけで「学び方」が成立するか疑問がある。学習が成立するためには「何を学ぶか」が重要で、各教科等の目標・内容などがきちんと踏まえられる必要がある。ALのみでは実態がなく、「主体的・対話的で深い学び」というスローガンめいた言い方は今後流行するであろうが、授業そのものは「活動あれど学びなし」に陥る危惧を感じる。「深い学び」を獲得するための具体的・実践的な手立てが必要である。

○学習活動の構造化のイメージが必要

今回の学習指導要領の改訂で強調されていたのは「学びに向かう力」としてのコンピテンシー(汎用的スキル)の獲得であった。現行の教育課程においても、単に知識や技能を持つだけでなく、身につけた知識や技能を新たな課題解決に主体的に活用できる力が必要とされていたが、さらに進んで変化の激しい将来の社会において主体的に自立し、活力のある社会を形成できる人間として成長するための「力」の形成が必要とされたと言える。

そのための学習の在り方の改革が求められているが、一方では教師の指導力として実践化が可能になるような具体的な手立てが必要である。学習指導要領が「学びの地図」とされる理由であろうが、その地図がどのように描かれるか、大きな関心と期待を持ちたいと考える。

ともあれ教師にとって「学び方が変わる」のは、授業や単元の学習過程の組み立てをどうするか、ということで極めて重要な関心事である。

そこで私は、学校が取り組む学習構造として3つの観点を考えている。

(1)教科等の固有の「見方・考え方」に基づいて、その単元の展開に適切と考える学習過程を構想する。幸い、中教審の教科等のワーキング・グループがそれぞれの教科等の学習過程を構想している。それらを参考にする。学習には「何を学ぶか」が重要であって、学ぶ価値のある学習対象の選択が重要である。子供が学習課題を見いだし、興味や関心を持って課題追究することで「どのように学ぶか」が形成される。ただ、従来の授業観にとらわれていると新たな学びが形成できない。

(2)そこで、教科等の学習過程の構想についてALの視点から再吟味する。これまでの学習過程はとかく教師主導が多く、子供主体の相互交流も不足であった。また、学習過程を再吟味することで、全体的な授業時数の調整を行うなど、深い学びに到達できるかを予測的に検証する。単元の学習過程の効果的・効率的な展開が極めて重要になるのが、時間消費型のALである。

(3)さらにこのような学習展開において重要なことがある。今回の教育課程論議の当初から言われていた汎用的スキルの形成をどうするかである。中教審の『審議のまとめ』に「教科等を超えた全ての学習の基礎として育まれ活用される資質・能力」として「言語能力」と「情報活用能力」が挙げられているが、他の汎用的スキルもまた学習過程に組み込まれることが望ましい。ただ汎用的スキルはどの学習過程にも生かされるものではないので、必要に応じて効率的な取り上げ方の工夫が必要である。

このような3つの観点から学習構造をイメージ化したのである。この3つの観点に基づいた授業力の形成が教師に求められると考える。

○カリキュラム・マネジメントの重要性

これからの授業力は子供の主体活動を重視した新たな学習過程の展開力というべきものであるが、それと並行して必要なのはカリキュラム・マネジメント(CM)力である。実はカリキュラム・マネジメントをCMと記述するのはあまり好きではない。CMはコマーシャル・メッセージとして手垢が付くほど出回っている。それでCurMとしていたのだがこれも落ち着かない。CMを業界略語? とするしかない。

ともあれ、CMもまた新たな展開を必要とするのであろうか。中教審の『審議のまとめ』に次の文言がある。(1)のみ示す。 (1)各教科等の教育内容を相互の関連で捉え、学校教育目標を踏まえた教科横断的な視点で、その目標の達成に必要な教育の内容を組織的に配列していくこと。

実は『論点整理』では学校教育目標が「学校の教育目標」となっていた。目標表現の言い方として両者は当たり前のように混同して用いられているが、「学校の教育目標」に対比されるのは学校教育法の「(小)学校教育の目標」である。つまり、「学校の教育目標」はその学校独自の目標で、校訓や学校教育目標、年度教育目標、経営方針など多様な表現がある。

『審議のまとめ』の(1)は学校で編成する教育課程を意味していると考えるが、そこに学校教育目標を位置づけるのであれば、教育課程編成方針の重点目標や教科等相互の関連目標等として明確化する必要がある。特に教科担任制の中学校等で必要とされることである。

また、「各教科等の教育内容の相互の関連」を強調しているが、実際には各教科等の年間指導計画が先であって、その操作の中で「相互の関連」を図るのが普通である。各教科等の年間計画がほぼ構想された段階で総合的な視点から教科横断等を考えるべきである。

さらに重要なことはCMは教育課程編成にとどまらず、授業者の単元構成や日常の授業の展開に実践的に結びつくというのである。単元の学習過程も授業のあり方もCMであるとする考え方が重要である。むしろ、単元構成の段階で試行錯誤する姿が普通であり、そこから適切といえる学習活動が生まれる場合が多い。CMは実践に根ざすことこそ重要なのである。

このほど中教審から、次期学習指導要領の『答申』が示された。2020年代の教育課程の「新しさ」は何か、学校教育はどう充実し進化するか、深く考えたい。

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