(本紙編集局はこう読む 深掘り教育ニュース )教員がアクティブ・ラーナーに

分かりやすい言葉の真を問おう

次期学習指導要領に向けた中教審答申「幼稚園、小学校、中学校、高等学校及び特別支援学校の学習指導要領等の改善及び必要な方策について」が、昨年12月21日、北山禎介中教審会長・三井住友銀行取締役会長から、松野博一文科相に手交された。この3月には、新たな学習指導要領が告示される。2030年の社会に生きる今の子供たちを育むために、教育改革として大きく動く内容が、多く盛り込まれている。

この中で、学びの質を高めるために「主体的・対話的で深い学び」の実現が重視されている。だが、児童生徒のどういった姿や学び方がそうなのかが見えにくい、との声があるのも事実だ。

■共通理解や指針が求められている

全連小の大橋明会長と全日中の榎本智司会長は、本紙のインタビューに、次のように答えている。(本紙1月1日付、第3494号1面)

大橋会長は、「研究授業などで、児童のどういう姿が『主体的・対話的で深い学び』なのか、共通理解すること。そしてそれを、教育課程や指導計画に落とし込む作業」が必要になると述べている。

榎本会長は、「深い学びについては指針が必要だと考える。総合的な学習の時間が導入されたとき、研究授業の大半では、子供が活動したり発表したりしていたが、『活動あって学びなし』という状態になってしまっていた。同じように、形式にとらわれた授業になってしまわないよう、気を付けなければならない」と語った。

大橋会長は、「いまのうちに全教職員が、具体的にその姿の共通理解を持たなければいけない。これは、授業を通してやっていくしかない」とも話している。

「主体的・対話的で深い学び」を実現させる手立てとなる「アクティブ・ラーニング」も、会長2人のこれらの言に連なっている。

■言葉は難解ではないが

「主体的」との言葉は、これまでの学校教育、生徒指導などでもよく口にされた。「対話的」は、すでに重視されている言語活動においても用いられる。だが、「深い学び」はどうだろうか。

「主体的」と「対話的」は、その言葉が特殊な用語ではないので、意味は通じる。通じるだけに、その意味の理解や具体像、内包と外延は、かえって曖昧になる。「深い学び」も、難しい言葉遣いではないし、難解なレトリックでもない。だからこそ、そこが落とし穴となる可能性を孕んでいる。

まして、それらが連なった「主体的・対話的で深い学び」とはいったい、どんな意味で、いかなる事態なのか。

単純な表現だが、その内実がよく分からないイメージ戦略のような感もある。「生きる力」もそうだった。

分かりやすい、あるいは分かった気にさせる言葉ほど、よほど気を引き締めてかからないと、会長2人が言外に警鐘を鳴らしているように、教員個々に共通理解がなく、結局は授業に具体的に落とし込めず、形式にとらわれた教育課程や授業に脱してしまう可能性は、十分にある。

■まずアクティブ・ラーナーに

授業で積極的に発言する児童生徒は「主体的」なのか。もしもこの子供が、他の発言に全く耳を傾けず、受け入れず、自分の意見を形成的に練り上げていかなかったとすれば、それはちっとも「対話的」ではない。そこに、学びの深まりは望ぶべくもない。積極性は主体性の一要素ではあっても、直線的にはつながらない。

発言が活発なら、それは対話的なのか。いろいろな意見を聴いて自己内対話をし、沈思黙考している子供は、極めて対話的である。

知る、理解する、振り返る授業は、すでに、さまざまな研究授業や日常の取り組みで行われている。それがどのように深い学びにつながるのか。実践的な課題は大きく、重い。

主体的・対話的は、自尊感情や自己肯定感にも関わる。

次期の新たな学習指導要領は、これまでにも増して、校長をはじめ教員が、これについて学んでいかなければならない内容が目白押しだといえる。

これまで会った中に、「学習指導要領を読んだことがない」と、まるで自慢げに語る教員が実際にいた。

「主体的・対話的で深い学び」を実現させるアクティブ・ラーニングは、まずもって校長をはじめ教員に必須だ。「主体的・対話的で深い学び」について深く問うアクティブ・ラーナーにならなければ、全国に、画餅が蔓延してしまう。

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