(教育時事論評)研究室の窓から 第21回 負の学校文化を見える化

国立教育政策研究所研究企画開発部総括研究官 千々布敏弥

 

部外者の果たす役割が大きい

文科省の若手職員から聞いた話を紹介したい。

彼が数年間出向した県では、「学力」という言葉に、アレルギー的反応を示す教師が多かったそうだ。

「学力に差があるのは当たり前」

「過度の競争をあおるのはよくない」

「知徳体のバランスが重要」

「テストの成績が悪くとも実社会で生きていく力に問題はない」など。

いずれの県でも語られそうな言葉の数々。

学力調査で全国平均よりも低い自県のデータを示すだけでは、上記の認識はなかなか改まらなかった。

そこで彼は一計を案じた。学校を卒業した若者が実社会でどうしているのか、大丈夫かどうかをインタビューして回ったのだ。

マクドナルドの店長が言った。「『ダブルクォーターパウンダー・チーズ』というメニューがあります。お客様が言ったこのハンバーガーの注文を復唱することができない若者がいます」という。チラシに、あるハンバーガーは○月○○日から、あるパイは○月○○日から販売と記されている。そのような複雑な情報を記憶できない若者もいるらしい。

運送会社の社長に、段ボールが積み上がった倉庫を見せられた。手前に積み上がっている段ボール箱の数から全体の数の推計ができない若者がいると言われた。
ガソリンスタンドの店長からは、燃費の計算ができないために、接客に支障が出る若者がいるとの訴えも聞いた。

彼は学校も見て歩いた。学ぶ姿勢の悪い子供がたくさんいた。忘れ物もしている。ノートに書く字が幼い。ひらがなのバランスが悪い。漢字はなおのこと。

そのような子供がいる学校のロッカーや下駄箱は整頓されておらず、床にものがちらかっている。

高校では、生徒たちが小・中学校レベルの学び直しを行っている。それでも追いついていない。高校を卒業して就職した若者の3年間の離職率が、5割を超えている。全国平均は4割だった。

問題解決能力やコミュニケーション力など、現代的な課題のはるか手前の段階でつまずいている子どもがいる。学ぶためというより生きていくための大事なもの、読み書き計算の能力よりももっと根源的な力が欠けたまま年齢を重ねている子供もがいる。

彼は、これらの状況を写真で示しながら県内各地で訴えた。彼が発掘した県下の学びの状況は、一部の状況であろう。きちんと育っている子供もたくさんいる。一部の状況であっても「さすがにこれはまずい」という認識が広まったらしい。

私は、彼が発掘した事実の数々に圧倒されながら、なぜこのような状況が明らかになってこなかったのだろうか、なぜ問題視されなかったのだろうか、と不思議に思った。教師であれば、目の前の子供の状況に気づくはず。校長であれば、各教室の様子がわかるはず……。

だが、日常的に同じ状況を目にしつづけていたら、それを問題と思わなくなってしまうのだろう。それを研究者は、学校文化あるいは組織文化と呼んでいる。

彼が出向した県には優秀な教師もたくさんいた。だが、優秀な教師の取り組みが学校に広まっていない。同じ学校の中で教師の能力にばらつきがあり、学校ごとのばらつきも大きい。ばらつきが大きいことを不思議に思わないのも、実は学力に課題のある県に共通する文化だ。

このような学校文化を変えようとする試みにおいて、部外者の果たす役割は大きい。その組織文化に浸かっていないから、おかしいことをおかしいと指摘できる。コミュニティ・スクールや民間人校長の意義はここにあるだろう。

文科省から出向した若手職員も、その県にいい刺激を与えた。

彼とその県の交流は継続しており、その後も講演等で訪問し続けている。

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