(新しい潮流にチャレンジ)教育課程はどう進化してきたか(1)

教育創造研究センター所長 髙階玲治

 
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社会に向き合う教育の課題
○教育課程の変化のイメージ化

次期学習指導要領の『答申』が公表され、2020年以後の学校教育が確定したが、10年ごとの改訂から戦後どう教育課程は変わったかを若干考えてみたい。

掲げた図は、戦後の教育課程の変遷を一目でわかるようにイメージ図化したものである。ただし、最近描いたものではない。80年代の教育課程の改善以後、つまり臨時教育審議会(臨教審)当時から、教育課程が変わるたびに書き足したもので、当時は中教審が『答申』を出したことも含めていたが、最近は省略している。

この図では改訂のたびの学校教育レベルの変動に注目している。今回の改訂は前回とほぼ同じであるが、前回はかなり高くなっている。何が学校教育レベルと決めるかは論議のあるところであろうが、年間授業時数が増加するなど明らかな変化がみられる。

そのことでは前回(2010)は「ゆとり教育」からの脱却を目指して一部教科の授業時数を大幅に増加させたという経緯がある。今回はそれがなく、小学校に英語科等を導入している程度であまり変わらない。実のところ、小・中学校共に週の時間割は満杯で、小学校の英語科導入にも四苦八苦というところである。年間授業時数増加は極めて難しい。

しかし、今回特に注目されるのは、2030年の教育を志向しているように将来的な社会の変化に課題を抱いていることである。教育課程の基本的な理念は「社会に開かれた教育課程」である。通常の認識でいえば、今回の教育課程は大きな変化を予測させるものがあったといえる。それがなぜ、学校教育レベルが前回と同程度で収まったのか。

○時代の変化にどう向き合うか

前回の改訂は「ゆとり教育」からの脱却が大きな目的だったことから、授業時数の増加は十分理解できるであろう。その学校教育のレベルが今回も引き継がれている。質的な改革が目指されているということであろう。

ともあれ、戦後からの教育を考えると、図で分かるように大きく変わった例がある。60年代の教育である。このときは今以上に教育課程に深刻な状況がみられたのではないか。

それは1957年のスプートニク・ショックが大きく影響している。周知のように人類最初の人工衛星をソビエトが打ち上げたことで、それまで経済のみでなく科学の分野でも世界のトップをいくと自負していたアメリカが大きなショックを受けたのである。米ソ競争の激しい時代であったことから、アメリカは多くの分野でソビエトに負けるのではないかと深刻な状況に陥った。

そこで、将来にわたってアメリカを再生するために必要と考えられたのが教育の改革であった。心理学者のブルーナーが先導した「教育現代化」は日本にも大きな影響を与えた。特に数学や理科の学習内容のレベルを高め、授業時数も増加した。極めて大きな転換であった。

それまでの教育は、デューイが提唱する経験主義が主流であった。その流れを変えるためにブルーナーが提唱したのが構造主義といわれるものである。「どの教科でも、知的性格をそのままに保って、発達のどの段階のどの子供にも効果的に教えることができる」という彼の有名な言葉がある。

わが国の教育課程もまた大きく舵を切った。それが60年代の教育である。各都道府県に現在の総合教育センターの前身である理科教育センターが設置されたのも当時である。私が勤務していた北海道教育研究所は1975年当時、まだ教育現代化講座は続いていた。

しかし、アメリカでは教育現代化が始まってまもなく授業についていけない子供が増加し、「基礎に戻れ(Back to basics)」の運動が教育改革を変えていた。ところがわが国はそれが70年代の終わりまで続くのである。

○学校を取り巻く課題の推移

ブルーナーはソビエトに対抗するのみで教育を考えていたのではない。これからは「知識爆発時代がやってくる」と考えたのである。情報化社会の予見である。当時は情報化・国際化といってもそれほどでなく、学校教育のレベルを上げれば対応が可能と考えたのであろうか。

しかし、社会の変動は激しく、情報化・国際化・グローバル化の進展は学校教育との間に大きなギャップをもたらしていた。図にみられるギャップ1.の課題である。だが一方、学校教育の高度化は学力格差を増大させる結果となった。学習塾が繁盛し、受験地獄が言われるなどした。その反省から生まれたのが80年代の教育である。学習内容を減らし、授業時数も削減した。「ゆとりと充実」を掲げた教育のスタートであった。

この改革は、予想しない方向に教育を動かす結果になった。それは、学校が荷重な教育から免れたと判断した結果なのか、「ゆとりの時間」と称して自由な活動を展開し始めたのである。学校創意活動である。「ゆとり教育にゆとりなし」と揶揄される状況が生まれたのである。

また一方では学校に背を向ける子供たちの極端な増加である。図のギャップ2.がそうであるが、70年代後半から徐々にその傾向が顕在化しはじめていた。「無気力・無関心・無責任等の傾向」「校内暴力」「性非行」「登校拒否」「家庭内暴力」などである。

私は当時、北海道立教育研究所に勤務していて、全国教育研究所連盟(全教連)の共同研究を担当していた。そこで都道府県等の38機関の協力を得て1万5千人に上る小・中・高校の教員調査を実施した。その調査で驚いたのは、先の問題傾向の予測もあったが、日常の授業における児童生徒の学習態度の混乱が顕著だったことである。「私語やおしゃべりをする」「気力がなくぼんやりしている」が最も多く、小学校1年生ですら80%前後、その他80~90%もみられたのである(全教連編『新しい生徒指導の視座』、ぎょうせい、1986)。

学校教育の改革が急を要することは歴然としていた。

○教育改革はどう考えられていたか

80年代に入ると「教育を文部省(当時)にまかせておけない」として中曽根首相のもとで臨教審が発足する。

臨教審は従来の学校教育を課題視する姿勢を明確にしていた。答申は4次まで続くが、その第1次では、まず問題点として「制度、運用の画一性、硬直性の弊害」をあげ、受験競争やいじめ、青少年の非行などに言及している。学校教育が画一化・硬直化しているという厳しい批判がみられた。

そうした課題解決に向けて明治以降の教育の在り方の改革はもちろんあるが、未来志向については次のように述べている。

「21世紀に向け、国際化、情報化、人生80年型社会への転換の時期にある。21世紀科学技術文明は、人間の生き方を問い直し、人間性の回復を強く求めることとなろう。教育もこのような時代の要請にこたえる必要がある」

そして、教育改革の基本的な考え方として8つあげているが、その第1の「個性重視の原則」は他の全てに通じる基本的原則とされた。その他とは「基礎・基本の重視」「創造性・考える力・表現力の育成」「選択の機会の拡大」「教育環境の人間化」「生涯学習体系への移行」「国際化への対応」「情報化への対応」である。
国際化・情報化・グローバル化の進展の中で、将来求められるのは、人間性の回復であり、個性重視の原則と考えられたのである。

しかし、図のギャップ1.がますます大きくなる現状から生涯学習体系の移行が提唱されて、その後社会全体に大きな影響を与え、多様な形で社会人の学習機会を生み出したが、学校教育もまた基礎・基本の徹底、自己教育力の育成等を掲げている。ただ、未来志向としては十分でない印象がある。

そこで今回の『答申』を考えると、「学びに向かう力」の育成を掲げていることは、学校教育そのものが生涯における「力」の育成であるという、その考え方が明瞭にみられるのである。つまり、将来的な力となる「資質・能力」の形成は、臨教審を超えた提案がみられるのではないかと考える。

だが、その実現は可能であろうか。

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